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世界最強・最大のピラミッドともいわれる「皆神山」および皆神神社の不思議!  [信州探訪]

世界最強・最大のピラミッドともいわれる「皆神山」および皆神神社の不思議! 


 


 831日新郷村の「キリストの墓」および91日、秋田県大仙市協和町の「唐松神社」について書きました。そこに「竹内古文書」という話が出てきましたが、この古文書は、茨木県北茨木市にある「皇祖皇太神宮」と関係があり、竹内巨麿という人物に繋がります。


 こんなことをサラッと書き記しましたが、それに類する「前提になること」をいろいろ書くべきですが、それは追々書くとして、今回は省略させて戴きます。いきなり書いてしまいますが、富士山と白山は強力なエネルギーを放っている山ですが、それぞれのポイントを唐松神社に交じりとこ迄引っ張ると2等辺三角形になります。頂角を半分に割って、その真ん中を南西に下すと長野市松代の「皆神山」に交わり、且つその先の「富士山、白山を結ぶ線の真ん中」を通過し、それを更に伸ばすと伊勢神宮に行き当たります。


さてさて、ここに出てくる皆神山は、今でこそ山体は歪んでしまっていますが、元々は端正な円錐台だったと言われています。重力の歪みがあり、山の中の一部は・・・・・・・・・


  


    つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7511


 


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記事 引用・参考元 天下泰平・滝沢泰平氏 公式ブログ


http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51912168.html


画像元  original


動画元  original


https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E5%A4%A7%E7%A4%BE&rkf=2&ei=UTF-8&imt=&ctype=&imcolor=&dim=large (諏訪大社)


https://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RCK_t3WKtZ.QUADSKU3uV7;_ylu=X3oDMTBiZGdzYWtnBHZ0aWQDanBjMDAz?p=%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E7%A5%9E%E5%AE%AE++%E5%BF%83%E5%BE%A1%E6%9F%B1+%E3%80%80%E7%94%BB%E5%83%8F&aq=-1&oq=&ei=UTF-8(伊勢神宮・心御柱)


 


 


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神が湖面を通った跡、諏訪湖の「御神渡り」出現なるか、宮司ら見回り開始! [信州探訪]

神が湖面を通った跡、諏訪湖の「御神渡り」出現なるか、宮司ら見回り開始!


5日は寒の入りです。長野県の諏訪湖では、湖面に張った氷がせり上がる「御神渡り」の見回りが始まりました。
 午前6時半、諏訪湖畔では、御神渡りの神事をつかさどる地元の八剱神社の宮司や氏子が、湖の様子を観測したり、水温を計るなどしました。5日朝の諏訪の最低気温は氷点下4.9度とほぼ平年並みでしたが、水温は4度ほどあり、まだ氷は張っていません。

 諏訪湖では2013年を最後に御神渡りが見られていないため、関係者は・・・・・・

 

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記事・画像 引用・参考元 Excite News <TBS News i >
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20170105/Tbs_news_78067.html


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【信州シリーズ】 信州方言 考 [信州探訪]

【信州シリーズ】 信州方言 考

信州は、標準語をしゃべり、方言というものはないと、少なくても、信州を離れるまではそう思っていた。ところが故郷を離れて、42年経って、故郷に戻ってきたら、やたらに方言というものが気になって、恐れいりや(入谷)の鬼子母神という事に相成った。

 改めて、列挙すると、【しょうしい】→恥ずかしい。【もうらしい】→可哀想。【ごむせえ】→汚らしい。【わにる】→人見知りする。【えぼつる】→拗ねる。【おひゃらかす】→揶揄う。【おしょくる】→へし折る。【があたく】→散らかっている。【かずける】→~のせいにする。【かまける】→愚痴を言う。【かんじる】→寒い。【かんます】→掻き混ぜる。【きなし】→無意識に。【げえもねえ】→甲斐がない。【ごすたがわく】→腹が立つ。【ごしたい】→疲れた。【こすっからい】→ずるい。【こてえる】→打撃を受ける。【こわい】→硬い。【おっかない】→恐い。【このけんまく】→こんなにも沢山。【べしゃる(又はべちゃる)】→捨てる。【とぶ】→走る。【ぼこ】→赤ん坊。【まくらう】→大食いする。【まていに】→丁寧に。【みぐさい】→格好悪い。【ちょんこづく】→調子づく。などなど。

【その他に、用例を出して説明する方が解りやすい例として】・・・・・・・・


 
 
 
 
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【信州シリーズ】 県歌「信濃の国」 何かと理屈で喧しい信州人の統合<!?>の象徴! ‘48年県議会で、長野県の分県意見書案上程採決の時、傍聴席から「県歌」の大合唱! 分裂危機回避! [信州探訪]

【信州シリーズ】 県歌「信濃の国」 何かと理屈で喧しい信州人の統合<!?>の象徴!
‘48年県議会で、長野県の分県意見書案上程採決の時、傍聴席から「県歌」の大合唱!
分裂危機回避!

県歌「信濃の国」

 他県の方にとって、長野県の県歌「信濃の国」のことを聞くとびっくりするかも知れない。県歌というものを持っている県も数多くあると思うが、信州でのこの歌は本当に特別な扱いなのである。まあ!長野県の特徴を、ずらっと並べた、観光案内のような歌詞なのだが、先ず信州人で、この歌を知らない者はいない。

 明治32年に、長野師範学校の漢文の教師作だった浅井冽が作詞し、信濃教育会誌153号に発表された。それを同校の教師依田弁之助が作曲したものである。この時点では未だ普及されていなかったが、翌年依田の後任として、赴任してきた北村季晴が作り変え、長野師範学校記念運動会で、女子部の遊戯用の曲として使ったところ、以後歌われるようになった。更に明治35年、皇太子行倖の際、この歌を上呈したのをきっかけにして、師範学校校歌となった。

 この師範学校の校歌になったというのが・・・・・・・・・


 
 
 
 
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【信州シリーズ】第3弾!「松本すずめ、諏訪のトンビ、上田のカラス」のたとえ!   [信州探訪]

【信州シリーズ】第3弾!「松本すずめ、諏訪のトンビ、上田のカラス」のたとえ!

 「松本のスズメ、諏訪のトンビ、上田のカラス」という言い方があるという。先ず、松本。スズメの様に様々な人が集まり侃侃愕愕、留まるところを知らず。自流の意見を並べ、ちっとも纏らない。百家争鳴を意味し、その論争は論多くして分裂含み。諏訪のトンビ」とは・・・ 上空で弧を描きながら、獲物を見つけると急降下して、あっという間に餌をあさるトンビ。 おいしいところをさっとさらう利にさとい諏訪人を言うのだという。 「上田のカラス」は・・・ カラスはとても利口な鳥。世の中の動きをじっと見て、自分の動き方を決めるのが東信・上田の人間の特徴だとのこと。上田平は、NHK大河ドラマの真田一族の郷。昔から外圧(平賀・村上・武田・徳川・北条など)の脅威にさらされながらもじっと権謀術策、知略を練ったというところだろうか!? 真田丸を見るとさもありなんと思う。

 さてここまで来て、さて長野は何だっけ!?と思ったが、ちっとも浮かばない。調べてみたがそれについての記述には出会えなかった。仕方がないので・・・・・・・・


 
 
 
 
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【信州の習慣】 「北信流お盃の儀」について! 結納の「親子固めの杯」の段になって突然唸りだした叔父を見て、嫁側の親族が驚いたのなんの! [信州探訪]

【信州の習慣】 「北信流お盃の儀」について! 結納の「親子固めの杯」の段になって突然唸りだした叔父を見て、嫁側の親族が驚いたのなんの!

北信地方で行われる宴席では、北信流というお盃(さかずき)の儀というものが存在(!?)します。「ホクシンリュウ」と聞くと、「北辰一刀流」と思うかも知れませんが、宴席などの「流儀」の事なのだが、これも知らない人が、その場に居合わせると吃驚するのではないかと思います。結婚式、葬式の後の「お斎」の席、同級会、法事、上棟式、歓送迎会、祝賀会など、あらゆる宴席で行われます。主賓や主宰者に祝意や感謝の意を表して献杯し、宴席のけじめとする儀式です。

 同じ信州でも、この習慣があるのは、東・北信エリア(中信である北安曇郡でも行われてる所がある)であるが、上田市や、小県郡、旧飯山藩の領地だったところではこの習慣はないそうだ。

 それでは結婚式を例に「北信流」の流れを再現してみます。宴も終わりに近づくと、司会者もしくは来賓代表が頃合いを見計らって・・・・・・・


 
 
 
 
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今夏~秋は餌不足でクマ出没が増える? 長野県が警戒情報を発動 [信州探訪]

今夏~秋は餌不足でクマ出没が増える? 長野県が警戒情報を発動

今年は各地でクマ(ツキノワグマ)の出没や人的被害が相次いでいる中、長野県は「この夏~秋は特にクマの人里への出没や農作物被害に注意を」と警戒情報を発動しました。春先から気温が高かったため山の果実などの生育が早く、なくなるのも早まってクマの餌不足が発生。里や畑などへの出没が増える恐れが出てきたとの判断です。長野市などでは実際にクマの出没が増えている地域もあり、登山や山仕事などのクマよけ対策が市民の間で真剣に検討されています。
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 長野県林務部が出した「夏季のツキノワグマ出没注意について」の情報によると、・・・・・

 

  高越良一(たかごし・りょういち) 信濃毎日新聞記者、長野市民新聞編集者からライター。この間2年地元TVでニュース解説

  引用・参考元 https://thepage.jp/detail/20160717-00000004-wordleaf? 

  page=2&utm_expid=90592221-74.LdrGpjcWS4Czgnu3l9N7Eg.0&utm_referrer=https



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【信州探訪】 覚音寺の重要文化財 千手観音像、持国天・多聞天像 大町市八坂 [信州探訪]

 旧八坂村は現在大町市に編入されている。ここは標高も高く、携帯電話が圏外で通じなくなる箇所も多い。義妹がここの出で法事があったので来たのだが、早く着き過ぎてしまい、時間調整をしようと思ったのだが、さて余り来たこともないところなので思い当たる名所も思い浮かばず、「どうしたもんじゃろのう!?」と思いながら車を走らせていたら、「重要文化財 千手観音像、持国天・多聞天像、藤尾覚音寺 入口」という案内板が目に入った。

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 とにかく脇道に入って車を走らせたが、山道で、行けども行けどもそれらしきところに出ず、峠道を走るだけなので、さては道を間違えたのかと心細くなった。一旦戻ったが、小さな部落があり、お寺らしきものものもなかったので、もう一回おなじ山道を走った。
途中坂道を上がってきた車とすれ違ったが、後ろからも、車は来ず、こんな山の中に本当に寺があるのかと再び不安になった。戻った部落から20分くらい走ったところでやっと覚音寺の本堂が見えてきた。

 車を止めて、境内に入ろうとしたら、車が1台駐車場に入って来た。「あれ!?自分の他に、こんな山奥のお寺に来る酔狂な奴がいるんだなあ?」と思っていたら、な・なんと当寺のご住職だった。「いや~!こんな山奥の寺にようこそお越し下さいました!」と声を掛けて戴きました。「こんな山道を来るのは当寺に参拝しに来て下さったに違いない!」と思って、出掛けたのだが、車をUターンして、態々戻って来て下さったとのこと。恐縮してしまった![先ほどすれ違った車がご住職の車だったのだ!]

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 勝手に境内を回って、写真でも撮ろうと思っていたのだが、急遽ご住職直々のご案内を受けての参拝になってしまったぞ! いやはやえらい事になってしまった! 藤尾の覚音寺(カクオンジ)は「藤尾の観音さま」と呼ばれ、古くから遠近の人々に尊ばれ親しまれ、ご本尊様は「十一面千手観世音菩薩立像」で脇侍の持国天・多聞天像とともに、国の重要文化財に指定されている由緒あるお寺であることが分かった。かつて十二ヶの坊を有する大寺で、その創建は平安時代の初期にまで遡るそうです。

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 この寺に本尊の千手観音が施入されたのは、平安時代末期の治承3年(1179)、今から800年以上も前の話です。当時あまり例がなかった、寄木造りの像であり、昭和9年の仏像の解体修理の際、観音像の胎内から「墨書木札」1枚、「紙本千手観音摺仏」28枚、「白銅鏡」1面が発見され、文化的意義の大きい仏像であることが判明しました。

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 その木札によると、当時大町を中心にして広く北安曇地方を治めていた豪族の仁科盛家が、現世の安穏や所願の成就を願って、千手観音を造り覚音寺に寄進した旨認めてあったとのこと。
 千手観音の造像の技法や彫り方には平安以前の古風な作りになっており、脇に立つ持国天・多聞天像も背に彫られた陰刻銘には建久5・6年(1194・95)とあるにもかかわらず、これも四天王にありがちな力みさがなく、穏やかな彫り方で、本尊様と同じく、古風なものを感じさせ、3体が同じような趣の像になっているそうです。

 なにせご住職直々のご案内を戴いての参拝なので、緊張と冷や汗の連続で、生きた心地(大げさな!)がしなかったです!はい!


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【信州の習慣】 「北信流お盃の儀」について [信州探訪]

 北信地方で行われる宴席では、北信流というお盃(さかずき)の儀というものが存在(!?)します。「ホクシンリュウ」と聞くと、「北辰一刀流」と思うかも知れませんが、宴席などの「流儀」の事なのだが、これも知らない人が、その場に居合わせると吃驚するのではないかと思います。結婚式、葬式の後の「お斎」の席、同級会、法事、上棟式、歓送迎会、祝賀会など、あらゆる宴席で行われます。主賓や主宰者に祝意や感謝の意を表して献杯し、宴席のけじめとする儀式です。

 同じ信州でも、この習慣があるのは、東・北信エリア(中信である北安曇郡でも行われてる所がある)であるが、上田市や、小県郡、旧飯山藩の領地だったところではこの習慣はないそうだ。

 それでは結婚式を例に「北信流」の流れを再現してみます。宴も終わりに近づくと、司会者もしくは来賓代表が頃合いを見計らって、「僭越ながらみなさまにおはかり申し上げます。ここで新郎新婦にお喜びのお盃を差し上げたいと存じます」(拍手)と「動議」を出します。
続けて、「つきましてはその代表役割の方の指名をもお任せ戴ければ幸いでございます」(拍手)と、人選の同意を取り付けます。「お盃を差し上げる方は○○様と●●様、斡旋(お酌)の方は□□様と■■様、お肴は△△様にお願いいたします」と指名をします。指名された人は新郎新婦の席の前に進み出て、盃を渡してお酌をします。新郎新婦はお盃を受けマス。、お肴が披露され終わると、(新郎新婦は)盃に口を付け頂戴します。お肴は鶴亀、高砂、竹産島その他目出度い小謡の一節を謡います。[お肴はその席に相応しい謡が選ばれます]新郎がお礼の言葉を述べます(貰い切りでお返しはしません)「只今はご丁重なお盃を頂戴し、有難く幾久しく頂き納めます」と謝辞を述べます。

 結婚式の場合は、貰い切で、お返しはありませんが、その他の席では、先にお肴を頂戴した側が、差し上げた方に、同じように、お肴を添えて、返礼をします。これを「お加え」と称します。「只今はご丁重なお盃を頂戴し、有難く存じます。本来なら方々へ差し上げるべきところ略儀ながらご代表の方へ差し上げますのでお受けをお願いいたします。お肴につきましては△△様にお願いいたします」こんなやり取りを行います。目出度い席では、これを何回も繰り返し、一晩中宴が続いたこともあった様です。

 「松代藩には以前から『お盃の式』というのがあり、殿様が公的の場に臨まれた時、藩の泰平弥栄と藩主の健康長寿を祈って、代表者を選び、お盃を差し上げる習慣があった事をもとに、廃藩置県後、役人【県令など】の就任などの歓迎の宴などで、松代藩の習慣に倣って始めたのが、東北信の各地に伝わって定着したものだという。

 大体は宴の最後の方でやることが多いのですが、本来は宴の始まりに礼儀を尽くしておくことが座の決まりとして大切で、 酒の席というものは兎角心易くなり、乱れ勝ち、失礼勝ちとなるので、宴が始まったらお盃の礼式は済ませておくという事だったと言います。それを済ませたら、酒が回るにつれ大いに談笑し、唄ったり踊ったりもよいといわれていたそうです。ここら辺は、如何にも生真面目で、律儀な信州人の気質が出ているのではないかと思います。

 新・高井の風土記 
http://www.okadanouen.com/takaino/hokusinryuu.html を参考にさせていただきました。

 以下私の弟の結納の時の話です。私の弟は、中信のある村から嫁を貰う(!?)事になりました。結納のため、親父と親父の従兄を乗せて、片道60kmの道を小生が運転して相手の家に向かいました。一頻挨拶を済ませ、それでは結納・・という事になり、双方相対で座りました。列の真ん中に、お膳を据え、その上に重ねた杯を置き、さてこれから結納を始めるという段になったのですが、その時やおら叔父が列の端に移動し、風呂敷包から、義太夫の卓(なんていうのか解らなかったので取り敢えずこの言い方で失礼します)を組立て始めたので、嫁方の親族は何が始まるのかと不安顔をし出しました。「それでは親子固めのお盃を・・・」と発し、叔父は朗々とお肴を謡い始めたのです。何が何だかさっぱり解らず、目を白黒させ、兎に角杯にを受けるように促され、相手方は杯を受けたのであります。小生の親父は、予め話を通すようなタイプではなかったので、[或いは北信流は何処でも普通にやられている習慣とでも思っていたのか]、いきなり遭遇した北信流には本当に吃驚したようです。[何が何だか解らんうちの、どさくさまぎれの、親子固めの杯などは、果たして有効(!?)だったのだろうか?小生は心配になった!]

 結納のが終わり、談笑の場になったのですが、「北信流」の話題になり、「あれは何だったんですか?」などと、聞かれ、親父が遅ればせながら北信流について話をしたのだが、「あれが話しに聞く北信流ですか?」などと話しを合わせて戴いたので、「やれやれ!」と一息つきました。それにしても、山に囲まれ、何処に行くにも峠を越えて行かねばならないから、習慣も様々であるが、この北信流の結納にはさぞかし吃驚したことだろう!


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【信州探訪】 雷電為衛門の墓に参拝する! [信州探訪]

雷電為衛門の墓に参拝する!

 雷電の生家の見学も終わって、さて帰ろうと思ったら、パンフがあり、ここら辺一帯の見どころが書いてあった。その中に雷電の墓というのがあったので足を延ばしてみた。少し迷ったが、10基余り墓地が集まったところに、雷電の生家「関家の墓」はあった。
結構新しい墓であったが、大家であるのか立派なお墓だった。石碑の表には「雷聲院釋関高為輪信士」と戒名が記されており、側面には「文政八乙酉年二月十一日、雲州雷電為右衛門行年五十九歳」という文字が刻まれていた。

 文政八年(1825)に他界したが、雷電の亡骸は荼毘に付されたあとなん箇所かに分骨された。その一つが勿論ここ故郷の大石村(現東御市大石)の墓である。雷電の墓の右隣には父親の関半右衛門の墓が並んで立っているが、その墓石は酒枡に大盃を裏返しにして積み重ねた格好になっている。無類の酒好きであったらしい。霊を弔うために雷電が態々そのような風変わりな形にしたという事である。

    【信州探訪】 雷電の墓
    https://youtu.be/YlqCw-NKDi4 ←クリックしてみてください! お墓の動画です!

 雷電の墓はこの他に、松江藩主松平家累代[松江藩のお抱え力士だった!]の霊廟の一隅。一つは東京赤坂の報土寺境内。最後の一つは、雷電が相撲界から身を引いたあとの生活の場となった佐倉市臼井[妻の実家]にある。そこには妻のほか子(女児)の墓などもあり、ほかに江戸時代の錦絵に描かれた雷電の雄姿を彫り刻んだ石碑なども立っている。

 雷電は、江戸に出るまでは、雷電を見出した好角家上原源吾右衛門(隣村)のもとで、彼の私塾で相撲のほか読み書き・算盤の指導を受けたという。結構な教養を身に付けていた。単なる力持ちだけではなかったのである。そんな雷電が信州から出たということに思いを馳せ帰路についた。

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【名所旧跡探訪】雷電為衛門の生家[東御市] 勝手にお入りください! お帰りは戸を閉めて!至って簡単!入場自由! [信州探訪]

【名所旧跡探訪】雷電為衛門の生家[東御市] 勝手にお入りください! お帰りは戸を閉めて!至って簡単!入場自由!

  大相撲の歴史上で最強の力士だった雷電は、信州東御市の出身である。道の駅「雷電クルミの里」があるが、そこには雷電の等身大の銅像が立っている。身長197cm、体重172kgという巨漢だった。当時の大人の体格からすれば、まさに巨人という趣だったろう。赤ん坊の時に、石臼で繋いでいた紐を軽々と引き回したとか、大名行列の邪魔になるからと言って、引いてきた牛を軽々持ち上げたとか、怪童のエピソードには事欠かない。

 その道の駅から車で5分くらいのところに生家がある。観光パンフを見ながら生家にたどり着いた。瓦屋根の2階建ての家でした。朝も早かったせいもあるが、別に受付がある様子もなく、「どうしたものかのう!?」と思っていたら、「ご自由にお入りください」と書いてあるではないか。入口の戸は結構重たかったが鍵は掛かっておらず勝手に入った。

   雷電生家 自由に入って、お帰りの際は戸を閉めて!
   https://youtu.be/eQTx5VtwjYY

   雷電生家 史上最強勝率を誇る雷電の生家 土俵もあるぞ!
   https://youtu.be/LYn0BqpRDKs

 先ず目に付いたのが土俵。これは観光用に後で作ったものかと思ったが、[生家とは呼ばれるが、実は雷電が大関時代に建てた家で]、屋内に稽古土俵、さらに稽古の様子を見学できるように2階座敷などを意図して当時造られたそうです。

 その他2階などには、いろいろ雷電にまつわる品や、資料[雷電直筆とされる「諸国相撲控帳(雷電日記)」「萬御用覚帳」の原本の写し]なども展示されている。

 伝わる話では、この大関時代に建てた家は、恩人である上原源五右衛門に遠慮して、彼の邸宅より一回り小振りに建てたという。その後関家(雷電の実家)の納屋として使われていたが、昭和に入ってから復元され、1984年から一般公開が開始された。

 1人しかいなかったので、ゆっくりと見学することが出来た。帰りは間違いなく戸をキチンと閉めて実家を後にしたのは言うまでもない。


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【名所旧跡探訪】雷電為衛門の生誕地 東御市 道の駅の名前にも雷電の名前が入っている! !どすこい!どすこい! [信州探訪]

 雷電為衛門は大相撲の歴史上で最強の力士だった。相撲人生で負けたのはたったの10番[場所外の天覧相撲の負けが他に1番ある。それを入れれば負けは11番となる]で、生涯勝率は、実に9割6分2厘、254勝10敗2引き分け、14預かり、無41、41休。なにせ雷電に勝った力士は希少価値があり、その1点で、記録に残されているから、雷電の凄さも解ろうというものだ!因みに雷電に勝った力士は9人である。という事は、雷電に2回勝った力士がいるという事になるが、その他に同一力士に2回も負けた例はいなかったというからこれまた凄い話だ! 

   雷電立像 道の駅雷電くるみの里にあります!
   https://youtu.be/fTyj5ZXErZM

   道の駅「雷電・くるみの里」東御市 雷電展示場も併設されています!
   https://youtu.be/rLR37syQ6sk

   雷電くるみの里 雷電為衛門の出身地と全国一にくるみの生産地!
   https://youtu.be/Nu0V5oTxCnE

 さて雷電は、小県郡大石村(現東御市)の出身である。道の駅「雷電胡桃の里」があるが、そこには雷電の等身大の銅像が立っている。身長197cm、体重172kgだったというから、当時の大人の体格からすれば、まさに大巨人という趣だったろう。赤ん坊の時に、石臼で繋いでいた紐を軽々と動かしたとか、大名行列の邪魔になるからと言って、牛を軽々持ち上げたとか、怪童のエピソードには事欠かない。

 この道の駅には、雷電のミニ展示室があり、化粧まわしや、手形、年表などいろいろな資料が展示してある。休憩の間に、御爺さんが、孫2人を連れて、展示を見て回っていたが、丁寧に雷電の生い立ちを、読み聞かせていたのは、実に微笑ましかった。女の子は余り興味が無かったと見えて、周りを飛び回っていたが、男の子の方は、熱心に聞き、質問もしていた。

 この他にも、生家や、墓、雷電ゆかりの場所が近在に残っています。生家も動画を撮ってありますので、別の機会に書いてみます。

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