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大欅枝打ち作業 勝善寺 長野県須坂市 境内がかなりスッキリした! [須坂探訪]

大欅枝打ち作業 勝善寺 長野県須坂市 境内がかなりスッキリした!

蔵の町須坂!旧市街地の真ん中に鬱蒼とした欅の森が見える。勝善寺は境内の広さ2900坪、何度か火災に遭い、現在の本堂は慶応2年(1866)から16年の歳月をかけて完成した。本堂の広さは317坪あまり。欅の大柱60余本が使われている。境内には欅は6本程あるのだが、昔鐘楼があったところが丘になっていて、そこに一際大きい欅がある。幹回り4m 高さ16mにならんとする大木である。これらの欅は枝が伸び、4月上旬ころ葉を茂らせ、夏は濃い緑、秋には黄色みが掛かり、雪の降る前には、茶色に変化し、落葉する。冬には各枝々に雪を乗せ、一面銀世界となる。そんな訳で、この欅群は季節の変わり目を端的に見せてくれる。

 その欅の大木であるが、南側の保育園に面した部分を今回枝打ちした。この保育園は、仏教系の園で、この勝善寺も関係している保育園であるが、屋根にこの欅の葉が落ちて大変なため、この度の枝打ちになったのではないかと思われる。

偶々遠くに出る用事もなく、家の中に居たので、撮影してみた次第である。

2日掛でかなりの枝を落としたのでスッキリした。あと10日もすれば・・・・・・・


 
 
 
 
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記事・動画・画像 Original

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須坂市消防団「ラッパ隊」全国的に名を轟かす!県大会優勝常連隊・全国消防操法大会でも大活躍!須坂の誇り! [須坂探訪]

須坂市消防団「ラッパ隊」全国的に名を轟かす!県大会優勝常連隊・全国消防操法大会でも大活躍!須坂の誇り!

「第25回全国消防操法大会」が14日、長野オリンピックスタジアムで開かれ、アトラクションとして、今夏の県消防ラッパ吹奏大会で優勝した須坂市消防団ラッパ隊が吹奏を披露、会場を埋めた約2万人の大喝采を浴び、須坂の名を全国に轟かせた。

 大会は県内初開催。熊本を除く46都道府県の代表が小型ポンプとポンプ車の2部で日頃の成果を競い合った。

 消防団ラッパ隊は組織化されていない都道府県があるため全国大会は行われないが、2013年11月に東京ドームで開かれた自治体消防発足65周年記念大会では、長野県を中心に全国から選抜された200人(長野県から80人、6県から各20人/県内は須坂市から22人、14市町村から2〜10人)が吹奏した。

 この人数から分かるように・・・・・・・・・・


須坂消防団ラッパ隊 県大会優勝報告演奏 「」オープニング https://youtu.be/8ZlSeRuccJQ

須坂消防団ラッパ隊 県大会優勝報告演奏 課題演奏曲 「??と仲間たち」
https://youtu.be/SbPNFSmYGYo

須坂市消防団ラッパ隊 県大会優勝報告演奏 「速足行進曲」
https://youtu.be/mbIv6Ma_WXs

須坂市消防団 ラッパ隊 課題曲2消防団旗・同3国旗に対する敬礼曲
https://youtu.be/bjMKXPygigA


須坂消防団ラッパ隊 県大会優勝報告演奏 「ウイルアムテル序曲」
https://youtu.be/1HjOmUDGGd8

須坂市消防団ラッパ隊 県大会優勝報告演奏 「アルペンファンファーレ」
https://youtu.be/qT4AYQ3q0DI

須坂消防団定期演奏会 フィナーレ[ 速足行進曲] 演奏団・ラッパ隊合同演奏 https://youtu.be/wmaJEz2tP-8





 
 

 

 IMG_2624.JPG

 

記事引用・参考元 いけいけ須坂 <須坂新聞2016-10-22 07:00>
http://www.suzaka.ne.jp/news/?subaction=showfull&id=1477087259&archive=&start_from=&ucat=4
画像・動画 Original




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大河千曲川に架かる全国でも珍しい「鉄道道路併用橋」村山橋 全長837.8m! [須坂探訪]

大河千曲川に架かる全国でも珍しい「鉄道道路併用橋」村山橋 全長837.8m!

長野県北部(北信)、県庁所在地長野市とその東の扇状地上に位置する須坂市(須べからず坂の町)その2つの市を別かつ日本一の大河千曲川(県内は千曲川、新潟県に入ると信濃川と呼称される。全長367Km)に架かっているのが村山橋である。長野電鉄長野線と国道406号で共用している全国でも珍しい「鉄道道路併用橋」である。鉄道としては、長野線の柳原駅と村山駅の間に位置する。

現在の村山橋は全長837.8 m、車道幅3.25 mの4車線、歩道幅3.5 mで両側歩道、鉄道幅4.8 mでロングレール、6連のトラス橋と5連の鋼製桁橋の組み合わせとなっている。
2009年(平成21年)までは下流側(北側)に大正時代に建設された旧橋が架けられていて旧橋も鉄道道路併用橋だった。

もともとこの位置には、明治末期に舟橋(川に船を並べ、その上に板を渡した橋)が架けられていた。これが老朽化してきたため、永久橋として架け替える計画が立てられた。この際長野~須坂間の鉄道建設の話も持ち上がり、長野電気鉄道を設立された。

一方この頃、長野市の東隣に位置する町村が長野市と合併する計画が進行しており、その中の1つである吉田町は、合併条件として・・・・・・・・


 
 

 

 yjimage (28).jpg

 

記事・画像 引用・参考元  .wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%B1%B1%E6%A9%8B




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須坂市消防団 全国に名を轟かすラッパ隊! 定期演奏会で県大会優勝の報告演奏をする!【ラッパ隊演奏第3弾】 [須坂探訪]

須坂市消防団 全国に名を轟かすラッパ隊! 定期演奏会で県大会優勝の報告演奏をする!【ラッパ隊演奏第3弾】


 須坂市ラッパ隊の件については、本日これで第3弾のアップになりますので、本稿について紹介については省略させていただきます。悪しからず。

 11月13日メッセホールで、消防団音楽隊の定期演奏会があった訳ですが、ラッパ隊も県大会優勝の報告演奏という事で、統制のとれた見事な演奏を披露して戴きました。全国的にも活躍をし、市民も誇りに思っているので、絶大なる声援が飛び交いました。市民に愛されている音楽隊・ラッパ隊でした!

 当日演奏されたうち、県大会の自由曲および予防消防キャンペーン行進の動画を・・・・

 

 
IMG_2613.JPG 



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須坂市消防団ラッパ隊 県大会でも10連勝!昨年度準優勝で連覇途絶えたが本年奪回する!定期演奏会で、優勝報告演奏を披露する! [須坂探訪]

 須坂市消防団ラッパ隊 県大会でも10連勝!昨年度準優勝で連覇途絶えたが本年奪回する!定期演奏会で、優勝報告演奏を披露する!

須坂市消防団の歴史は明治21年に遡ります。須坂町上町に私設消防組(組員38人)が創設され、その後も順次創設拡大してきた。近隣町村と合併し、消防組の組織強化が図られました。昭和29年に市制が施行され、消防団も須坂町消防団から須坂市消防団と改組改称。
その後も近隣町村との合併等により団員の増加を繰り返し、平成14年に見直し、定員数改正により11個分団、定員881人で組織され、現在に至っている。

須坂市消防団ラッパ隊は、ラッパ長の指揮のもと毎週日曜日に練習をし、日々演奏技術を磨いている。毎年行われる「長野県消防ラッパ吹奏大会」では、平成元年から出場しており、平成17年から26年度においては、実に・・・・・・

 


 それでは須坂市消防団音楽隊ラッパ隊の演奏を掲載しておきますのでお聞きください!
なおラッパ隊の予防消防キャンペーン行進の動画は
http://mahoroba19.com/archives/1386です。こちらもご笑覧ください!よろしくお願いいたします!

 引用・参考元 消防団・音楽隊・ラッパ隊の経緯につきましては、以下を参考に致しました。
http://www.nissho.or.jp/2009/07/post-87.html 公益財団法人日本消防協会 「全国消防団PR、わが街の消防団」

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須坂市民の誇り!須坂消防団演奏隊!定期演奏会(H28年度)フィナーレ 「消防団速足行進曲」合奏団・ラッパ隊合同演奏で幕を閉じる! [須坂探訪]

須坂市民の誇り!須坂消防団演奏隊!定期演奏会(H28年度)フィナーレ 「消防団速足行進曲」合奏団・ラッパ隊合同演奏で幕を閉じる!


H28年度須坂消防団定期演奏会が須坂市メッセホールで行われた。今年で33回目の開催である。須坂市の消防団演奏隊・ラッパ隊ともに、全員消防団所属の隊員で構成されている
のが特徴で、いまや県内においても唯一の存在になっているとのこと。日々練習に励み、特にラッパ隊は、県大会でも常に立派な成績を収め、また全国大会でも活躍し、その名を全国に轟かせている。<消防団120年・自治体消防65周年記念大会では、全国ラッパ隊200名のラッパ隊の中核メンバーとして須坂消防団から22名出演など>過去県大会・・・・・・
 
 
 
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東日本最大最古の「積石塚古墳」である八町鎧塚で古墳祭り!通り掛かったので寄ってみた! [須坂探訪]

東日本最大最古の「積石塚古墳」である八町鎧塚で古墳祭り!通り掛かったので寄ってみた!

本日は10時から上田で所用があり、須坂8時50分集合、9時出発で、大笹峠経由菅平高原に向かい、上田に下るべく車を走らせた。仁礼に入る手前の、八町地区まで来たところ、「八町鎧塚古墳祭り」のピンクの幟が林立し、はためいていたので、その先に目をやると、石積古墳が見え、人が大勢集まっていた。普通なら、車をその方向に進路を取るのだが、本日は相棒も居り、何よりもアポが入っているので、そういう勝手は許されず、止むなく車を直進させた。その仕事は、午前中で終わりそうで、また1時半くらいには長野市でアポが入っていたので、時間の余裕さえあれば、帰りに寄るということと相なった。

さてその上田での用事は、予定通り順調にいき、都合よく進めることができたので、八町鎧塚古墳祭りに寄ることが出来た。ステージエリアでは、吹奏楽の演奏をやっていた。プログラムを見たら、常盤中学校の吹奏楽部の演奏だった。小生の母校である。暫く聞いていたが、古墳の撮影もせなあかんと思って1周してみた。

通常古墳といえば、中に石室はあるというものの、その上に土を盛り、土塁上になっているのが普通だが、ここ「蔵の町須坂」の八町鎧塚古墳は、ご覧のように、小さな石がむき出しに積まれている、全国的に見ても「積石塚古墳」と分類される非常に珍しい古墳ということでした。この古墳は、積石塚古墳として、規模も、年代も、東日本において・・・・・・

東日本最大最古の「積石塚古墳」である八町鎧塚で古墳祭り!通り掛かったので寄ってみた!

本日は10時から上田で所用があり、須坂8時50分集合、9時出発で、大笹峠経由菅平高原に向かい、上田に下るべく車を走らせた。仁礼に入る手前の、八町地区まで来たところ、「八町鎧塚古墳祭り」のピンクの幟が林立し、はためいていたので、その先に目をやると、石積古墳が見え、人が大勢集まっていた。普通なら、車をその方向に進路を取るのだが、本日は相棒も居り、何よりもアポが入っているので、そういう勝手は許されず、止むなく車を直進させた。その仕事は、午前中で終わりそうで、また1時半くらいには長野市でアポが入っていたので、時間の余裕さえあれば、帰りに寄るということと相なった。

さてその上田での用事は、予定通り順調にいき、都合よく進めることができたので、八町鎧塚古墳祭りに寄ることが出来た。ステージエリアでは、吹奏楽の演奏をやっていた。プログラムを見たら、常盤中学校の吹奏楽部の演奏だった。小生の母校である。暫く聞いていたが、古墳の撮影もせなあかんと思って1周してみた。

通常古墳といえば、中に石室はあるというものの、その上に土を盛り、土塁上になっているのが普通だが、ここ「蔵の町須坂」の八町鎧塚古墳は、ご覧のように、小さな石がむき出しに積まれている、全国的に見ても「積石塚古墳」と分類される非常に珍しい古墳ということでした。この古墳は、積石塚古墳として、規模も、年代も、東日本において・・・・・・・

                        つづきはこちら

160070030----11002-G2.jpg


引用・参考元 須坂市 いきいき須坂
http://www.city.suzaka.nagano.jp/contents/event/event.php?p=b&id=11002&joho=oshi
(内容は15年のものですが、16年用に書き改めてあります)










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葡萄いまが盛りなり!須坂市はくだもの王国!ぶどう畑の1年を振り返る! [須坂探訪]

葡萄いまが盛りなり!須坂市はくだもの王国!ぶどう畑の1年を振り返る!

須坂市は「北信濃くだもの街道」という、林檎畑、葡萄畑の真只中を突っ切る道路がある程果物の一大生産地になっている。両側が林檎・葡萄畑で延々と続いている。

巨峰という品種の生産量が多いのですが、ナガノパープルという品種は、須坂市にある県果樹試験場で、巨峰とリザマートを掛け合わせて開発された新種です。種がなく、皮まで食べられる大粒の葡萄です。さらに、近年「種無し・皮食」の葡萄が次々と誕生する中にあって、特にナガノパープルは黒系の葡萄でもあり、皮にはポリフェノールがたっぷりと言うのが最大の強みともなっています。

ナガノパープル一房を食べると、赤ワイン1本分と同程度のレスベラトロール(ポリフェノールの一種)を摂取できるといわれています。肝心の味ですが、巨峰に勝るとも劣らない糖度ながら、「さわやかな甘さ」が特徴となっています。

 

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平成16年には品種登録がされ、現在は長野県内のみでしか栽培する事ができません。また、生産量も少なく、希少な葡萄です。JAながのなどの関係機関と力を合わせ、話題の「ナガノパープル」の生産振興に力を入れています。

平成25年8月、日本野菜ソムリエ協会の「第15回野菜ソムリエ サミット:テーマ”ブドウ”」において、JAながのが食味評価部門で大賞を受賞しました。

【ナガノパープルの誕生地・我が故郷須坂市!】
須坂市はナガノパープルの生まれ故郷であることは勿論ですが、須坂市周辺は内陸性気候で雨が少なく、1日の気温の高低差(日較差)が大きいうえ、砂礫質(松川や、八木沢川の扇状地)の土壌は水はけもよく、果実栽培、特にぶどう栽培には最適の条件を備えているのです。また、これまでに培ってきた高度なぶどう栽培の技術が、特に難しいとされるナガノパープルの栽培にも生かされています。

【ナガノパープルは、いつになったら買えるの?何処で買えるの?】
販売については下記にお問い合わせください。
※その年の気候によって収穫期が異なる場合があります。
JAながの須高営農センター・電話:026-245-0153
ご購入されたぶどうの品質については各販売店にお問合せください。

【ナガノパープルの歌】
須坂市仁礼町在住の中村仁(ひとし)さんが、ナガノパープルの歌を作りました!
中村さんは主にぶどうを栽培している専業農家ですが、農業の傍ら音楽活動も続けており、各方面から熱い注目を浴びているナガノパープルと信州ぶどうを広くPRしたいと音楽活動を展開しています!

ひとっちゃんの百姓日記(http://blog.suzaka.jp/hitochan)をご覧ください!
「信州須坂ぶどう物語」
地元TV取材を受ける中村氏・・・三四六さん来園しインタビューを受ける!

【信州須坂ぶどう物語】
地元にある試験場で育成された「ナガノパープル」。この誕生物語を、信州大学繊維学部感性工学科の学生さんが絵本にしました。
皮まで食べられるので手が汚れず、また、皮に多く含まれるポリフェノールを豊富に摂取することができとても健康的な「ナガノパープル」の誕生秘話です。

引用・参考元「いきいきすざか」
https://www.city.suzaka.nagano.jp/enjoy/kankou/budou/

さてここまで、ナガノパープルについて記しましたが、小生宅の畑の周りは、林檎・葡萄畑に囲まれているのですが、畑に行く度に、動画を撮ってありますので、1年の移りをアップしておきます。何しろ家庭菜園の延長というか、真似事しかしてないので、葡萄栽培に関する知識や経験は全くなく、ド素人百姓なので、従って偶々行った時の葡萄畑の様子程度という事でご覧ください!



※ タイトルに今が盛りと書いてありますが、8月中旬から10月の中旬までがシーズンなので、そろそろ終盤になっていますので記しておきます!

https://youtu.be/BBfF8pUmh_0

https://youtu.be/cPJADgnqfj4


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【須坂探訪】 いよいよ夏まつりの季節だ!カッタカタ祭りについて!  [須坂探訪]

 いよいよ夏まつりも始まった。「蔵の街須坂」も、先週の日曜日の子供みこしに始まって、16日「カッタカタまつり」が行われ、いよいよ来週から弥栄祭[祇園祭]が始まる。今は早朝墨坂神社(芝宮)☜須坂には墨坂神社が2社ある。奈良県宇陀の墨坂神社と関係があるらしい!)で、祭り開始の神事が執り行われ、それが終わり次第、笠鉾巡行が行われ、午前中で済ましてしまうが、我々の年少のころは、期間中(3日間くらい)祭り気分が町中に溢れていた。祭りが近づくと指折り数えて楽しみにしていたものだ。
 
 行列を見る人も多く、夜は夜で、辻々で屋台なども立って、芸者衆の踊りの披露などもあって、そんなに人が居たのかと思うほど、人で溢れたものだ。今は行列に参加している人の方が、見る人よりも多い様な寂しい光景になってしまった。

 その頃といえば、畑仕事も今ほど機械化もされておらず、人の手で耕したりしていた時代で、人々もあくせく働く毎日だったから、お祭りはいい休息日でもあったのだ。どんなに忙しなくとも、お祭りの3日間は、仕事は休んだものだ。家でも近在の親戚なども、態々訪ねてくれ、泊って行ったりもした為、凄く賑やかで、従兄妹たちとも1日中わいわい遊んだものだ。

 流石にそれぞれの親戚も代が変わり、小生の様に田舎を離れ、他所に家でも建てようものなら、それこそ付き合いも希薄になり、お祭りも昔みたいに、親戚も集まる機会も希薄になってしまった。

 さて「カッタカタ祭り」の様子を少し書いてみよう。まず「<カッタカタ>って何!?」と思われる方が多いと思われるので、そこら辺から説明します。

 嘗て(大正時代)須坂は日本でも有数な製糸業の街で大いに発展したのです。私が小学校に上がる頃までは、市内にも未だ製糸業を営んでいる工場もあり、一般の家でも、繭玉から糸を、繭玉から糸を括り出して、四角の木枠に巻き取る仕事に従事するところも結構ありました。[余談ですがNHKの<日本紀行>という番組が近所のお宅に取材に来たこともよく覚えています]その糸を手繰る木枠の出す音が、「カッタカタ、カッタカタ」と聞こえたので、中野市出身の中山晋平が、須坂小唄を作るに際して、この擬音を歌の中に取り入れたのです。

 カッタカタ祭りは、その須坂小唄を背景に、それぞれの連が趣向を凝らして踊るのですが、その歌の中に、「そりゃ!カッタカタのタ!そりゃ!カッタカタのタ!」と合いの手が入ります! その擬音が祭りの名前になっているという訳です。この祭り自体は、私の年少の時代にはなかったと思います。何時頃から始まったかは調べてありませんが、少なくても、私が郷里を離れるまでには行われていませんでしたから、それ以降始まった祭りだと思います。(郷里を離れて早や53年経ちます!)

 そういう訳で、弥栄祭(祇園祭)みたいな伝統的なお祭りではありませんが、子供も、若い人も、大人も、町内会や、職域、団体などの連を作って、自分たちのお祭りという色彩の濃い祭りで、市民の連帯や町づくりの一環になっているのではないかと思われる。

 いま何かと郷土色も薄れ、シャッター街なども増え、人の繋がりも希薄になりがちだと思うが、市民的規模で、こういう祭りが継続されているのはいいことだと思う。


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【お祭り】 いよいよ祭りの季節だ!今日は祭りの前哨戦?子供神輿の町内練りまわしだ! [須坂探訪]

7月・8月は夏祭りの季節だ!須坂市でも、「弥栄祭(祇園祭)」が行われる。今日とも7月は祇園祭だ。略1ヶ月を掛けて行われる。東北も8月1日盛岡の「さんさ踊り」を皮切りに、八戸の「三社祭」が3日ころから行われ、青森のねぶた、五所川原の立佞武多、弘前のねぷた、秋田の竿灯、仙台の七夕,山形の花笠踊りなどと東北各地で祭りがおこなわれる。 

京都も、東北もそれぞれ2年半赴任し、お陰でいろいろ足を延ばして、祭りを堪能してきた。京都は長らく都のあったところであり、総じてはんなりした優雅な祭りが多かった。東北の祭りは、長い冬をじっと耐え、春・夏に一気に気持ちが跳ね上がるといった風情で、誠にエレルギッシュな祭りだった。「自分たちの祭りだ!」という気概があって、雨が降ってもお構いなし、中止にもならず続行されていた。

翻って我が須坂の夏祭りは、規模もそんなに大きくないが、古き良き時代の祭りという感じの趣のある祭りだ。須坂は小藩ながら、城下町で、昔ながらのしもた屋風の街並み、蔵造りの建物も多く、そんな街並みを中を傘鉾の行列が通るのも風情があってよいものだ。

 本日は我が町内会の「子供神輿」が町内を練り歩いていた。我々の子供の頃とは違って、子供の数も、ぐっと減って、こういう行事をやるのも、人数が揃わなくて、苦労しているみたいだ。動画の様に、子供は数人のみ。父兄や、役員の数の方が多いくらいだ。そんな訳で、もう担ぐどころではなく、下に滑車を付けて、引っ張っていた。(我々のころは同じ町内でも5基くらい神輿が出ていた)

 再来週からは、いよいよ弥栄祭(祇園祭)も始まる。8月は御射山祭だ。参加する人数は昔のように多くはないが、こうして伝統的なものが、毎年受け継がれているのは嬉しいことだ!

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【須坂探訪】 老松100選の臥竜山の「捻じれ松」「根上がり松」 [須坂探訪]

 老松100選の臥竜山の「捻じれ松」「根上がり松」

 須坂市民の憩いの場である臥竜公園。臥竜池の東・南部を臥竜山が囲んでいる。臥竜公園は「日本桜の名所100選」に選定されているが、この臥竜山もまた「日本の名松百選」に指定されている。

 その臥竜山には、「相生の松」「裏古の松」「月見の松」「招魂の松」「竜の松」「夫婦松」「たこ足の松」「千手の松」「逞しの松」など、名前が付けられた松が多い。一寸「異形の松」といった趣がある。所謂「根あがり、ねじれ 松」と言われているもの(現象)である。

 【須坂探訪】 臥竜山 山頂への道 根上がり・捻じれ松 一定方向に吹く風で幹が捻じれる現象
 https://youtu.be/f_ufIjeTC_M  ← clickしてみてください!

 臥竜山 地質の勉強(!?) 頁岩の山
 https://youtu.be/zAWkanSYbs4 ← clickしてみてください!

 古墳 臥竜山稜線上にある第1・第2古墳
 https://youtu.be/by2P3nkVZ88 ← clickしてみてください!


 臥竜山は、松川、百々川の扇状地【扇状地がダブっている】の中に、ポツンと存在する単体の頁岩から成っている山であるが、頁岩(泥岩)は風化・堆積が浅く、また保湿性が弱いため、松の成長が遅く、また根が張り切れないので、根が地表より上に出てしまう。その上年間を通し、南方向からの風が、稜線に沿って、東北方向に吹くことが多いため、幹がねじれてしまう現象が起きる。[北陵から南東に伸びる稜線上にこの現象が多くみられる]これを「根上り松」、「捻じれ松」と言われる現象である。

 臥竜山は、小生の母校(高校)から300mしか離れていないため、部活動の、準備体操(!?)代わりに、毎日頂上まで走らされた。頂上までは大分迂回した道になっていて、坂の角度は浅くはなっていたが、そうとはいえ、山道なので、走って上がるのは大変だった。お陰で足腰の鍛錬にはなった。走った後の練習本番もこれまた厳しかった。いまでも夢に見るほどである。


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【須坂探訪】 文化庁指定「登録有形文化財」の須高農業協同組合井上支所の建物 [須坂探訪]

文化庁指定 登録有形文化財 須高農業協同組合 井上支所

 蔵の町須坂には、創業100年以上の老舗とか、公官庁の老舎(!?)があり、登録有形文化財に指定されているものが結構ある。人口52000人程の信州の片隅に位置する小さな市であるが、しもた屋風の家や、神社仏閣名所旧跡、蔵屋造りの商店、醤油・味噌・酒などの醸造所、儀様式の役所、学校などが結構存在し、そのうちの6件、延べ51棟が、文化庁指定登録有形文化財となっている。

 須坂市の西南部に位置する井上地区であるが、ここを通過するときに、「何か変わった建物があるなあ」と思っていたのだが、本日は道路から建物を目指して行ってみた。須高農業協同組合井上支所として使われている現役の建物であったが、なんと文化庁指定の登録有形文化財であった。玄関に誇らしげにプレートが掲げられていた。しかし職員はえらく格式の高い建物の中で働いでいるんだなあ!と思った。

 【須坂探訪】 須高農業協同組合井上支所 文化庁指定 登録有形文化財
 https://youtu.be/6rE07E-NnIY ←clickしてみてください!有形文化財の建物の動画です

 建物は左右対称の正面両端をやや張り出してマンサード破風を設け、屋根上に小振りの搭屋とドーマー窓を配す。外壁はモルタル壁で大オーダーを表して垂直性を強調する。内部階段などに幾何意匠を用い、入口上部に「井上に産」を図案化して飾る。洋風意匠の事務所建築。建築年代は旨札による。「有限責任井上信用販売購買利用組合」の建物として建てられた。昭和3年の建設。大正・昭和初期の近代建築の潮流をよく表現された建物である。

 井上地区は、長野電鉄河東線が廃線となり、今は井上駅も、駅舎は解体され、線路も撤去され寂しくなってしまった。しかし長野道須坂東ICや工業団地、ショッピングセンターなどがあり、また大型ショッピングモールなどの誘致案件もあり、これからますます発展すると思われる。それだけに井上支所のような歴史ある建物なども大事にしていかなければならないと思った。


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【須坂探訪】 製糸業全盛期に造られた旧信陽銀行 ひっそりと佇む [須坂探訪]

 一世を風靡した「蔵の町須坂」の製糸業! その製糸業全盛期に造られた旧信陽銀行。明治35年創設。製糸業の資金需要に応えるため、明治半ば、地元製糸業者を株主とする金融機関が次々と設立されました。この信陽銀行もその1つ。東行社=(明治8年小田切辰之助、青木勘九郎、遠藤万作等によって設立された国内初の製糸結社)関連の金融機関として設立され、全国に轟いた須坂製糸業須坂の原動力となりました。<他に旧須坂商業銀行(日滝銀行)など>

   【須坂探訪】 旧信陽銀行(明治35年創業)ひっそりと佇む
   https://youtu.be/YirPWWpnDZM  ←クリックしてみてください 旧信陽銀行の動画です。

 尾根瓦は大きなもので大鬼瓦は1mに達する雲水裏盛の箱棟で、重厚な重合わせの深い本葺である。軒裏は3段の段蛇腹塗りで重厚感がある。2列の風切り丸瓦には、先端に○に信印の社紋が描かれている。聳え立つ妻堅には、3段の露切があり、4段の乳鍵が花を添える。表玄関は用水路に沿って、丸石積み(牡丹餅積み)2段3段<坂になっているので>の土台の上に、切石積みの根巻石、円を描く石橋、柱や梁扉などすべて欅づくりで、明治の粋を凝らしている。

 現在ではこれだけの建築材料が揃えることが困難で、作ろうにも造れない重厚な建物である。私の記憶では、昭和20年代では、病院になっていた時期もある。母が交通事故に遭い、ここで治療をしていただいた記憶がある。病院を閉じてから、それ以降は何にも使われずひっそりと佇んでいる。

 須坂には明治・大正期に建設された建物が結構残されている。

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【須坂探訪】 ラウンド アバウトを実際走ってみた! [須坂探訪]


 須坂市野辺の[ラウンドアバウト]は、平成26年9月に運用開始された、それ以前のこの場所は、通称「A交差点」と呼ばれ、5方向からの道路が近接した3つの交差点が錯綜する非常に危険な場所で、出会いがしらの事故も多く、長年にわたり改善の 要望が上がっていた場所でした。[Aの字のそれぞれ辺を伸ばした状態の複雑な交差点だった]またその複雑な道路(3つの交差点)は、極めて狭い場所に存在した為に、手直し程度の改良では解決できず、また信号機を設置することも難しかったので、その現状を一気に解決するために、日本でも注目されつつあった「ラウンドアバウト」に移行、全面的に改善された。安心・安全で、効率的、省力的、環境にやさしい交差点として機能している。

 「ラウンドアバウト」とは、交差点の中央部分が円形中央島になっており、各道路からの侵入は、その円周上に入り、時計回りに進行し、自分の進もうとする道路まで周回し、出口の道路まで来たら、それぞれの道路に出るという方式の円形交差点です。

 ラウンドアバウト 実際走ってみました!
 https://youtu.be/_ufGFEBo5tc  ←clickしてみてください! ラウンドアバウト走行で動画です!

 【須坂探訪】 ラウンドアバウト 01 信州「蔵の町須坂」野辺町
 https://youtu.be/mM4oThmehos ←clickしてみてください!

 この円形交差点は、「環道を走行している車両に優先権がある」という事が最大の特徴で、このラウンドアバウトに入ろうとする車両は、環道に自分が入ろうとする道路に向かって走ってくる車両があれば、停止して、通過するのを待たなくてはならない。その条件さえ遵守すれば、信号は全くないが、環道に侵入することが出来る。あとは、それぞれの道路からの車両の侵入がないことを確認しながら、自分が行こうとする道路まで進み、そこまで来たら、その道路に出ればいいという事になる。したがって環道が渋滞していなければ、待ち時間もなくスムーズに交差点を通過できることになる。

 実際[ラウンドアバウト]を入ってみた。円形中央島は思ったよりは、ずっと小規模であった。[狭いエリアに複雑な交差点が3つもあったのだからこそ、この交差点に変わったのでそんなに広い訳がないが]したがって、交差点全体が、見渡せ、車の走行状況も1目で把握できる。自分の方向に車が来ないのを確認して環道に入った。時計回りに走行して、自分の向かう道路まで来たら環道に出る。信号もないので、混んでさえしなければ、即交差点の中に入れるし出れる。確かにストレスがなく渡ることが出来る。これから複雑で危険な交差点は[ラウンドアバウト]に変わっていくのではないかと思った。

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【須坂探訪】 郷土の教育の盛んなりし頃の象徴! 園里学校 [須坂探訪]

 須坂市豊丘にある、延命地蔵堂のアズマヒガン<=エドヒガン桜>は、毎年見に行っている桜ですが、その坂を上がったところに、(旧)園里学校の建物があります。平成4年より、2階を地域の博物館施設として、明治から昭和初期にかけての学用品や机など備品を展示し、1階は児童クラブとして活用されています。多くの子供の教育に関わってきた施設ですが、須坂の教育の様子・歴史を伝える重要な役割を今も担っています。平成5年に須坂市指定有形文化財に指定されました。

 旧園里学校は明治6(1873)年に小山村の止善(しぜん)学校【明治6年に須坂市小山の円光寺内に説立された学校で、現在の小山小学校の前身です】の支校として、旧地蔵堂の建物を使い、開校されたことに始まります。明治12(1879)年に競(きょう)進(しん)学校と改称され、更に明治15(1882)年に園里村立園里学校と改称され、その校舎[完成明治16年]として建てられました。この校舎は明治10年代まで役所や学校などに多く使われた、擬洋風(ぎようふう)建築と呼ばれる、日本建築を基礎とした西洋建築のデザインを採用しています。主屋は外壁が土蔵造で屋根は桟瓦葺(さんかわらぶき)と和風ですが、正面の玄関ポーチには、ギリシャ建築を思わせる円柱が使われ、外壁の四隅の角には漆喰を盛り上げて黒く塗り、石積みを模した装飾がされるなど随所に擬洋風が見られます。また、玄関上の六角の部分は「太鼓楼」と呼ばれ、当時は「太鼓」を置いて時を告げる場所として使われたいたそうです。
 
  旧園里学校  須坂市豊丘 教育の歴史を如実に示す貴重な遺産 
  https://youtu.be/JXaMtxNU8Bc ←clickしてみてください! 園里学校の映像が出ます。

  旧園里学校 須坂市豊丘(旧園里村) 教育の歴史を語る貴重な建物
  https://youtu.be/_BwJgkHAiUs ←clickしてみてください!
  

  【さくら紀行】 延命地蔵のアズマヒガン桜 今盛りなり!
  https://youtu.be/IxRGEAVifPg ←園里学校の直ぐ傍にあるアズマヒガン桜満開の動画です。

  【さくら紀行】 延命地蔵堂のアズマヒガン桜 それぞれの桜咲き競う花の丘
  https://youtu.be/B49D97Yr8E0 ←clickしてみてください!

 
 昭和4(1929)年の校舎新築移転以降、豊丘村役場や市福祉企業センターなどに利用された後、平成4(1992)年、復元修復工事により明治時代当時の姿に復元され現在に至る。
 
 これは余談ですが、この建物から4・50m下ったところに、須坂市指定の天然記念物樹齢400年の「延命地蔵堂のエドヒガン桜」があるのですが、常々「地蔵堂はどこにあるんかいな?」と思っていたのですが、園里学校の創設期に、このお堂を利用していた事、後に手狭になったので、増・改築したこと、(その間丁重に祀られていた)また、現在お地蔵さんは、「太鼓楼」に奉られていることなどが判明しました。

 長野県は、教育県としても有名だったのですが、この様に明治の早い時期に、各地で擬洋風の学校が造られました。松本の開智学校、佐久の中込学校などが有名ですが、旧東村豊丘(園里)にもこうした立派な教育施設があったことは誇りに思いました。



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須坂動物園は、小規模だが、結構全国的にも有名!話題提供の動物多し! [須坂探訪]

 須坂動物園は、1962年(昭和37年)10月、市民の憩いの場である臥竜公園内に開設された。臥竜公園の南端の山際に正面入り口があり、臥竜山西麓を経て東麓を巡るような独特の形状をしている。その間に動物のケージが配置されている。岩場に生息するニホンジカなどは臥竜山の斜面を利用して飼育展示されている。場所によっては、通路幅2mしかない場所もある。動物園のほか、南園には幼児用の遊戯施設も併設されており、また、竜ヶ池側の正面口広場には、蒸気機関車の展示もされている。[南園には淡水水族館もあったのだが残念ながら廃館の憂き目に遭ってしまった。惜しむ声も多い!]

 【須坂動物園】ペンギンこの中のペンギンの1匹は、再三臥竜池まで脱走しTVで放送された前科者です!

 https://youtu.be/6QjQV_PHE6A  ← 脱走犯トットは何処!? clickしてみてください!

 以前は、入園者の減少が続き、縮小・廃園論も取り沙汰されたが、動物園職員の努力や、積極的なパブリシティ戦略により切り抜けた。アカカンガルーの「ハッチ」が『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ)ほかの多くのテレビ番組等で取り上げられ、小規模動物園ではあるが、全国的に知られる様になった。年間入園者数は、2006年度に237,663人に達した。(それまでは8万人にも満たなかった)
斯様に小規模な動物園であるが、小規模を逆手にとって、動物との距離が極めて近いことや、作業員の手づくの案内板の設置や、チラシを作成するとか、温かい雰囲気が特徴である。また、入園者拡大のために、夜の動物園探検隊、メリー・クリスマZOO、動物園でHappy New Year、動物園フォーラムなどのイベントの開催や、動物園写真展など、年間を通じて様々なイベントが開催され入場者拡大の要因になっている。

 このように小規模な動物園ではあるが、何かとお騒がせな(!?)動物園で、話題には事欠かない。カンガルーのハッチも、独特のポーズで話題になったが、2012年8月、フンボルトペンギンが、堅牢な設備の隙間から、脱走し、60mくらい先にある臥竜池に逃げ込んで、すいすい泳いでいるという事件が勃発(!?)した。職員が逃走できないように補修をしたのだが、その後も2回に亙って脱走(!?)して、NHKはじめ、民放各局でもニュースで流された。そのペンギンはその後「トット」と名付けられた。
 
 このように臥竜公園同様市民に愛されている動物園なのである。

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「蔵の町須坂」は嘗ての製糸業華やかし頃の蔵が一杯! CVSまで蔵造り!そのⅡ [須坂探訪]

 須坂は、長野県北部(北信)にある人口52000人の市です。江戸時代は1万1千石=須坂藩の陣屋町であった。明治から昭和初期に掛けて製糸業で栄えた。

 明治5年官営富岡製糸工場が稼働したが、その僅か3年後、須坂では、青木甚九郎、遠藤万作により、日本で最初の製糸結社「東行社」が設立され、その後俊明社[明治18年]などの設立を経て、明治22年には、東行社・俊明社合わせて、加盟工場102、女工3500人を数えるまでになり、須坂は生糸の一大生産地に成長した。
その際繭蔵などの蔵が町中に多く建てられ、現存する「蔵」の多くは、明治時代から昭和初期にかけてこの地に繁栄した製糸業の象徴としての遺産である。

   【蔵の町須坂】 長野信用金庫 蔵の町須坂は銀行も蔵造り!
   https://youtu.be/iB7lEF4LTJA

   【蔵の町須坂】 蔵造り 信州「蔵の町須坂」は公会堂も蔵造りです! -02
   https://youtu.be/jUlTLzx54v8

   【蔵の町須坂】 ファミリーマート 蔵の町須坂では、CVSもやっぱり蔵造り!
   https://youtu.be/UNIJYJnmjzM

 現在市内には数多くの蔵造りの建物があるが、その蔵の特徴は、地域一帯の画一、均一的なつくりではなく、それぞれの家による特徴的・個性的な蔵になっている点である。昭和61年頃から、行政による「歴史的町並み景観事業」等の取り組みがあり、それに呼応する、中心市街地の活性化を目的に結成された「信州須坂町並みの会」による活動などにより、現在では幾つかの繭倉が観光資源として活用されるに至っている。

 そういう歴史的な背景のある「蔵の町須坂」であるが、公共施設や、商業施設なども「蔵造り」をイメージして建てられている例が多い。こぞって「蔵造り」の町なのである。




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「蔵の町須坂」は嘗ての製糸業華やかし頃の蔵が一杯! 交番まで蔵造り! [須坂探訪]

 須坂は、長野県北部(北信)にある人口52000人の市です。江戸時代は1万1千石=須坂藩の陣屋町であった。明治から昭和初期に掛けては製糸業で栄えた。

 明治5年官営富岡製糸工場が稼働したが、須坂では、同8年には、青木甚九郎、遠藤万作により、日本で初めての製糸結社「東行社」を設立し、以後俊明社[明治18年]などの設立を経て、明治22年には、東行社・俊明社合わせて、加盟工場102、女工3500人を数えるまでになり、須坂は生糸の一大生産地に成長した。

 しかし乍ら生糸は高級な絹織物の原料であり、その需要は景気に左右され、また、大部分が輸出されていたこともあり、糸価の変動にも即対応が難しく・・・・・

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須坂市消防団ラッパ隊の防火週間キャンペーン行進!全国競技大会の10回連続優勝の腕前! [須坂探訪]

須坂市消防団ラッパ隊の防火週間キャンペーン行進!全国競技大会の10回連続優勝の腕前!

 家の中でモタモタしていたら、威勢のいいラッパの音が近づいて来た。なんだろうと思って、ドアを開けて外に出たら、まさに家の前を通り抜けるところだった・・・・・





 


 【須坂消防団ラッパ隊】 防火週間キャンペーン行進 全国競技大会最優秀賞の常連です!
 https://youtu.be/FBnEXKV3lRM

 【須坂消防団ラッパ隊】 防火週間キャンペーン行進 
 https://youtu.be/OaaOlcO3ATU
 
 第21回長野県消防ラッパ吹奏大会須坂市優勝 10連覇 ワイルドだろ
 https://youtu.be/EYydhMI1-dI  ←長野県大会の映像です。
             
                  Osamu narita 氏提供
 
  


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大飢饉の中捨て子を育てた呑龍上人・・須坂に分霊され祀られている! [須坂探訪]

 このところ内向きの仕事が続いため家に籠り切になってしまった。そんな訳で、少し歩いた方がいいと思い、午後になって、気分転換もかねて外出した。特段用事があった訳ではないので、カメラをぶら下げて気軽に歩いた。須坂の昔からある市街地でも、この頃解体して、新しく家を建てる所が出てきたが、まだまだ古いしもた屋風の家も多い。そんな中をブラブラ歩くのもまた結構楽しい。

 小学校や、中学校の通学路などでは、その道路の巾のなかに当時の自分の姿が目に重なる。もう「あのころから60余年も経つのだなあ!」と思うと感慨深い。まあ健康増進[というよりも低下させないために]のために精々歩こうと思う。

 帰りがけに、細い小路を歩いていたら、「子育て呑龍上人」と書いてあったので、「なんだろうな? 子育て地蔵とはよく聞くが!? 呑龍ってなんだ!?」と思って、入っていった。立町の公会堂の敷地の中に小さなお堂があった。案内板を見ていわれというか、ここに祀られている経緯とかがよく解った。以下案内板に書かれた要旨です。

    子育て呑龍上人 須坂市立町に分霊され祀られている!
    https://youtu.be/406e55yHlqk  ←子育て呑龍社です!クりックしてみてください!

 ご本尊は呑龍上人。江戸初期の浄土宗の高層。呑龍上人は家康の信任厚く、江戸幕府の祖新田義貞を祀る大光院[群馬県太田市]を開祖。上州一帯が大飢饉で困窮した際、多くの捨て子を養育したことから、「子育て呑龍」と慕われた。没後大光院の隣に呑龍上人を祀る開山堂が創建された。「太田の呑龍さん」として全国からの参拝客で賑わっている。須坂市立町の「呑龍さん」は、昭和3年呑龍上人の徳を慕う有志が発起人となり、太田大光院から分霊され祀られた由緒あるものである。

 まあ須坂も古い歴史のある街だから、この様に、いろんなところとご縁を結んで今があるのだなあと思った次第です! 



    
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一等三角点 須坂基線東端点(1等3角点)は高山村にあり! [須坂探訪]

 高山村史跡に指定されている、須坂基線東端点(1等3角点)について! 
須坂基線とは、ここ高山村にある東端点から、これより3km先にある、須坂市小河原町の西端点結ぶ直線のことを言います。明治政府は、正確な日本地図を作成するために、全国に三角点を設置すべく測量を開始しました。当時の測量は、三角点の角度を測っていく方法(三角測量という)で、この角度を測るだけでは、三角形の大きさを決めることが出来なかったため、一辺の長さを測量することにより、他の2辺の長さを計算によって求めました。この測量した1辺を「基線」と称しました。

    一級三角点 信州「長寿の里高山村」の一級三角点
    https://youtu.be/w0QVyPf9Mjk ← 昨年冬に撮った動画です!

 この基線は全国で15か所において設けられたものです。須坂基線は、長野、群馬、岐阜、福井、石川、富山、新潟の7県に亙る「美信三角測量網」の基準として、明治29年に参謀本部陸地測量部により設置されました。この測量は、数メートルの基準尺を使って順次測っていく方法で、極めて根気のいるものでしたが、現在の人工衛星を使った最新計測値と、僅か10mm未満の誤差しかないという極めて正確であったことが確認されています。

 現在に至るまで、完全な形[両端点]で残って居る1等3角点は須坂基線のみであり、全国的に見ても希少・貴重な存在となっている。平成25年3月高山村はこれを指定遺跡に認定しました。

 まあ地味な史跡と言えば、確かにそうですが、全国に15か所しかないもので、しかもしっかり現存しているという事は、須坂、高山村の、歴史的なものを大切にするという姿勢が伺われて、市民としても嬉しいことである!

 東端点に行ったからには、西端点にも行って来ねえといかんわなあ! !!?? 






    
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青木屋小路 蔵造りの建物に挟まれた「蔵の町須坂」の象徴的な風景 [須坂探訪]

 私の家から、徒歩3分くらいのところに、両側に蔵造りの建物に挟まれた小路があります。この小路は「青木屋小路」と呼ばれ、劇場通りと、寺内[勝善寺と2寺<昔は5寺あったが3寺は廃寺となる>がある]を結ぶ小路となっている。よほど気をつけていなければ通り過ぎてしまうような小路なのですが、須坂には、東西方向に下る街道筋に対して、1人がやっと通れるような小路が北南方向に走り、城下町特有な迷路みたいな形相を呈している。[青木屋小路は幅2mくらい]

 劇場通りに立ち、西方向を見て、右手は明治期に製糸を営なんだ酒食料品店である「中屋」。左手は「旧青木屋製糸所」であった墨坂産業。小路の墨坂産業側はぼた餅石積みに切り石、そして重厚な築地塀が立っている。塀の奥には土蔵と木造3階建ての繭蔵跡が見える。

      町並み 蔵の町須坂の散策 青木屋小路から劇場通りへ!
      https://youtu.be/i8vjMvzHPUc

      町並み 蔵の町須坂 青木小路 中屋酒店雛人形展示
      https://youtu.be/ijcU40QEIlQ


 青木屋の経営者青木甚九郎は須坂製糸業のリーダー的存在で、富岡製糸場を視察し、明治7年に座繰製糸から水車動力による器械製糸を導入しました。明治8年、日本で初めての製糸結社「東行社」を設立して、須坂製糸発展の基礎を築き、須坂の製糸業の発展により多くの町民が製糸業に携わりました。

 この小路には、繭をお湯に浸し、木枠に糸を巻き取る仕事に従事していた個人宅が結構ありました。上記に記載のある「座繰製糸」のことだと思います。 ※ この糸を巻き取る際のカタカタ回る音が、須坂小唄にも擬音として謳われています。「ソリャ!カツタカタノタ! ソリャ カツタカタノタ」というお囃子の部分です。夏には、「カツタカタ祭り」があり、市民がこの須坂小唄を踊ります。

 余談ですが、私が京都に赴任していた時に、昭文社の「上撰の旅」という観光ガイドシリーズの記事を執筆した人と知り合いました。例によって、ぶらり1人旅中の清凉寺で出会いましたが、「何処の出身?」と聞かれ、「信州須坂」と答えたら、「ああ!あの蔵の町の!?」ということになり、この青木屋小路の話しになりました。因みに同シリーズの、14巻、「長野軽井沢」の、63頁に、この青木屋小路の画像が掲載されています。「須坂も捨てたもんじゃねえなあ!」と思った次第です!

 



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国定忠治!三原街道を抜け、信州にも足跡をのこす!忠治地蔵やお墓もあります! [須坂探訪]

 須坂市大日向の薬師堂夫婦桜の脇道を三原街道というが、その道を西進し、普願寺の方へ下っていくと、寿泉院に至る。その寺院の山門手前右側に忠治地蔵が祀られている。 嘉永3年(1850)に造られたと伝わる。もともとは野沢温泉にあり、中風除け忠治地蔵として親しまれていた。昭和25年故あって寿泉院移された。忠治は謂わずと知れた江戸末期の「赤城の山も今宵限り~」の浪曲で有名。当時国定村[群馬県]では、天保の大飢饉の際に、自らの私財を投げうって村人を助けたと言われている任侠・博徒です。信州へもしばしば足を運んだようで、[北信はもとより、遠く越前、越中、越後方面にも脚を延ばした]、その際は大笹街道の抜け道[三原街道]を通ったことでも知られている。賭博稼業など罪を重ね、しまいは搩刑と運命となる。

    国定忠治地蔵 信州「蔵の町須坂」寿仙院 150120 01
    https://youtu.be/9Bvw747UPTU  ←カッパ姿の忠治地蔵さんです!

 なお長野市権堂にある、秋葉神社には、本家のお墓から分祀された忠治の墓がある。長野に国定忠治?と思われるかも知れませんが、天保の頃、権堂村に宿をとった際、娘を身売りし、その金を奪われ困っている百姓に同情し、助けたという逸話が残っています。権堂村[今はアーケド街になっており長野市でも最も賑わう商店街になっている]にも足を運んでいたようです。

 まあその様に、忠治親分も、信州にも、いろいろ足跡を残しているのである。
[三原街道は、本道の抜け道的要素もあり、表向けに出来ない稼業の忠治が通ったということは、三原街道の機能を示しているようでおもしろい!]
 


 

    


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【北信五岳】日本の原風景 春霞の北信五岳 [須坂探訪]

 夜半に里山にも雪は降った。豊丘は辺り→、延命地蔵のアズマヒガン桜の根元にも、雪は薄っすらだが積もったそうである。そんな訳で、折角咲き掛けた桜も、満開までには時間が少し掛かるかも知れない。そんな状況だったが、本日も桜巡りに出掛けてみた。

 日が暮れかかり、帰路の途中、善光寺平が一望できる所に出た。まさに日が沈むころで、[日も長くなった!]、春霞で、はっきりとは見えなかったが、北信五岳や、北アルプスも見えた。信州は山の尾根が県境になっているが、須坂からみれば、北信五岳や、北アルプスは西方向にあたり、日の暮れは、空が真っ赤になり、山の峰々が黒いシルエットになり、幻想的な景色となる。

 思えば四方の山々を見て、年少のころ、あの山の向こうには何があるのだろうか?などと夢想したものだ! 長じて(!?!?)、故郷を出て、60歳まで、仕事の関係で、全国あっちこっち赴任したことを思えば、幼少のころの、目に入る範囲を軽々超えたのだが、「山のあなたの空遠く」の余りにも現実だったことよ! いいか悪いか別にして! そんな訳で、北信五岳には、一入の拘りを持っているのである。

 北信五岳を展望するに、一番端正に、秀麗に見ることが出来るのは、須坂であると思っている。五岳が五岳として、余り他の山[小布施や中野では五岳の間に近くの山が視界に入ってしまう!?]が入らずに見れるのではないか? 日の入り、冬の白くなった姿が特にいい!

     【北信五岳】日本の原風景 春霞の北信五岳
     https://youtu.be/HRDJ-T-FomQ  ←五岳の動画が出ます! クリックしてみてください!
 

 こういう風景は、信州人気質にも影響を与えているのではないか? 信州人は「政治家に向かない」と言われるが、早い話が理想主義的になるのではないか? 「清濁併せ呑む」的な腹芸とは対極の気質なのだ!それに「理屈っぽい」しなあ!?

 山のあなたの空遠く、「幸さいはひ」住むと人のいふ。噫ああ、われひとと尋とめゆきて、涙さしぐみ、かへりきぬ。山のあなたになほ遠く、「幸さいはひ」住むと人のいふ。

 Über den Bergen [Karl Busse]

Über den Bergen weit zu wandern Sagen die Leute, wohnt das Glück. Ach, und ich ging im Schwarme der andern,kam mit verweinten Augen zurück.
Über den Bergen weti weti drüben,Sagen die Leute, wohnt das Glück.

 ※ 余りにも拘りが激しく、独善と偏見なことを書いてしまいました!あしからず!

     
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【須坂探訪】 わさび畑 須坂にも山葵畑が存在した! 何度も通った道だったが山葵畑があったとは知らなかった! [須坂探訪]

 山葵はきれいな湧水が居ずるところにしか育たないとう。信州は言わずと知れた山葵生産の地として有名である。有名なのは、穂高市のわさび大王農園だと思うが、近辺には大小いくつかの山葵農園がある。北アルプスに降った雨が、何百年か地下に潜り、平地に湧き出る清水が山葵を育てる。

 そんなイメージを持っていたせいか、山葵は中信と思っていた。須坂は小布施との境界になっている松川と、旧仁礼や旧東村(豊丘)から流れてくる百々川や、鮎川の扇状地として形成された街である。したがって須べからず坂の町である。[これがすざかの名前の由来という説もある] したがって南志賀や、根子岳、奈良山からの伏流水が千曲川に向かって流れ、日野や、村山辺りで、地表に湧き出ていた。透き通ったきれいな水であった。したがって須坂にも、わさび畑があっても全然不思議ではないという事になる。

 須坂市内から、長野に出る際、墨坂から、屋島に抜けることが多いが、先日農道を走っていたら、案内板が目に入り、こんなところに何があるんだと思って車を降りてみた。そこには「山葵園」と書いてあった。「へーッ!須坂にも山葵園があったんかい!?」と思った。階段を下りてみたが、畑というよりは、水路そのものといったものだったが、少ないとはいえ、確かに山葵がそこに育っていた!
 
 まあ市街地に抜ける農道だが、ここは何回も通っていたが、こんなところにわさび畑があるとは全く知らなかった。まあ如何にぼんやり運転していたか解ろうというものだ! 

 長野県の湧水地と入力したら、須坂結構な数が存在することが判明。ひょっとしたらここの他にも、須坂市のどこかに山葵畑があるかも知れない。

  わさび畑 須坂にも山葵畑が存在した! 何度も通った道だったが山葵園があったとは知らなかった!
  https://youtu.be/FvJu5q8vXTI
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