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神社仏閣巡り】富岡八幡宮 日本一の重量神輿!横綱碑・大関碑・伊能忠敬碑などで有名! [神社仏閣めぐり]

【神社仏閣巡り】富岡八幡宮 日本一の重量神輿!横綱碑・大関碑・伊能忠敬碑などで有名!

 

所在地    東京都江東区富岡一丁目203

主祭神    品陀和気命他八柱・創建    寛永4年(1627年)・例祭815

主な神事 粟島神社献針祭、七渡神社例祭、富士浅間神社例祭他

富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)は、東京都江東区富岡にある八幡神社。横浜市金沢区にある「富岡八幡宮」を本社とし、別名を「深川八幡」ともいう。深川不動尊と隣接。

1624年(寛永4年)、長盛法師が神託により砂州であった当地を干拓した。その際工事が難航したため、「波除八幡」の別名を持つ「富岡八幡宮」(横浜市金沢区。1190年代の建久年間に源頼朝の勧請により創建)から分社して同じ社名を許され、永代島に八幡宮を建立したことが創建とされる。創建当時は・・・・・・・・・・・・・・

  

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記事・画像 引用・参考元 wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B2%A1%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE

画像元 yjimage (神輿渡御)

https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E5%AF%8C%E5%B2%A1%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE+%E7%A5%9E%E8%BC%BF&rkf=2&ei=UTF-8&imt=&ctype=&imcolor=&dim=large

その他画像 Original

 

 


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【神社仏閣巡り】深川不動尊(成田山東京別院)都内最強スポット! [神社仏閣めぐり]

【神社仏閣巡り】深川不動尊(成田山東京別院)都内最強スポット!


 元禄年間に江戸市民を中心に急激に不動尊信仰が広まり、成田山新勝寺のご本尊、不動明王を江戸で参拝したいという気運が高まる。元禄16年(1703年)、深川永代寺境内、現在の深川不動堂付近で始まった出張開帳が深川不動の起こりで、明治14年(1881年)深川不動堂が完成。周辺は門前町として江戸の情緒を色濃く残しており、納め不動(1228日)や縁日には多くの人で賑わっている。当寺は、15回(年末年始などでは6回)=911131517時(約25分)年末年始などでは更に、19時~ 護摩修行が行われ、私が知る限りでは、最も「豪快(!?)」なお護摩となっている。上京の折には必ず参拝するように・・・・・・・・・・


 


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参考 https://loco.yahoo.co.jp/place/g-rIypuDTFUnE/?utm_source=dd_spot&sc_e=sydd_spot_ttl


動画


    https://www.youtube.com/watch?v=lAjQiD-q0E0  公式サイト


    https://www.youtube.com/watch?v=dFMVuu5yNIE


画像 Original


 


 


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【須坂探訪】天徳寺参道を見守る地蔵尊! [神社仏閣めぐり]

【須坂探訪】天徳寺参道を見守る地蔵尊!


 


 このところ天徳寺に随分拘っているが、今回は天徳寺の参道を見守る地蔵尊の話である。


須坂市では市内の神社仏閣名所旧跡などには、案内板を設置しているが、それに依ると、次のような記述がされている。[須坂藩12000石、四代藩主堀直矩(なおのり・後に直佑公<なおすけ>)は信仰心篤く、天徳寺についても深く保護された。参道が狭かったので、巾3間、長さ180間の大門通りを寄進され、入り口に山門も建ち、沿道には数体の地蔵尊を祀り、池を配した庭園も造られたと伝わる。


 


天徳寺は坂田山尾根筋に建つ、こじんまりとした寺院だが、その規模は須坂藩主の保護もあり、かなりの規模であったという。辻の地蔵尊はその名残りで、現在2体が・・・・・・


  


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参考


http://www.city.suzaka.nagano.jp/otakara/search/item.php?id=506#prettyPhoto


動画・画像 original。


 


 


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【神社仏閣めぐり】 坂田山の麓に建つ天徳寺!入口の筆塚に想う! [神社仏閣めぐり]

【神社仏閣めぐり】 坂田山の麓に建つ天徳寺!入口の筆塚に想う!


 


 坂田山天徳寺は、須坂の里山「坂田山」のふもと、また須坂市営「坂田霊園」の入口に位置する寺です。小生の家の墓が、偶々この霊園にあるので、時間があれば、階段を登り、拝観するようにしています。また天徳寺の裏手の高台からは、北信五岳や、北アルプスが見渡せます。晴れた日の午前中は「カスミ」が掛からず遠くまで山容を見ることが出来ます。


  天徳寺井上源氏三郎満定の九男静実が真言宗天徳寺を創建したのがはじまりとされています。その後元禄7(1694)に、僧常清が残された諸仏を供養して再建し、宝永4(1707)須坂市春木町の浄念寺の末寺となり、浄土宗に改宗したお寺です。山の尾根に本堂・観音堂などが点在しています。須坂の里山=坂田山→明覚山の登山口の1つになっています。


  この寺の入り口の階段登り口の左側に大きな筆塚があります。天徳寺17代住職に就いた田幸正粲は・・・・・・・


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引用参考元 須坂探検マップ


http://www.suzakamap.com/tanken/page.php?_id=200


画像・動画 original


 


 


【神社仏閣名所旧跡巡り】 天神社(須坂市福島町) 狛牛と大幟で有名な神社!     [神社仏閣めぐり]

 


【神社仏閣名所旧跡巡り】 天神社(須坂市福島町) 狛牛と大幟で有名な神社! 


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大笹街道は、上州側では仁礼街道または信州街道といって、善光寺平から上州を経て江戸に至る最重要の脇往還である。大笹街道の起点は福島宿で、ここで北国街道とわかれ、鮎川の段丘をのぼり、八町、栃倉を経て仁礼宿に至り、さらに現在の国道とは異なって宇原川をさかのぼり、大谷不動から菅平に出て、この高原を南北に横切り、鳥居峠を越え、上州に出て大笹宿に至り、さらに大戸を経て高崎に出る道である。この大笹街道の現標が福島宿に現存している。福島宿は宿場としての昔の影を随所に残ている。宿場の中ほどに追分の道標はあって「左 草津仁礼道 右 松代道」とある。大笹街道はいつ頃から開かれたか明らかでないが、慶安2年(1649)矢代宿より追分宿に至る北国12ヶ所の宿が仁礼大笹両宿を相手に大笹街道に駄 賃荷物を通さぬよう幕府に公訴し、両宿は反論して結局慶安3年(1650)大笹街道が勝訴しているので、それ以前より有力な街道であったことがわかる。その「福島宿」の北の端に「天神社」がある。


 


福島町の氏神=産土神。天徳4(960)年頃に京都北野天満宮より勧請(かんじょう)された。当初は雷雨天災を鎮める神として千曲川の洪水水害除けを願って祀られたが、現在は学問の神としても尊崇されている。拝殿前に一対の牛の石造があるが、道真と牛との関わりが深かったことで天神社の守護神となっている。ほかに、境内社として八坂神社、養蚕社、白山比咩神社、金刀比羅社、伊勢社、蚊里田八幡社、熊野権現社、三峯社、秋葉社が祀られている。


 


また当社は、日本一と言われる一対の「大幟(おおのぼり)」で有名である。1880年(明治13年)千曲川の洪水によって破損した天神社本殿の再建に伴い作られました。大幟と言われるように竿の・・・・・・・・


                  https://youtu.be/qD0AEBfaPnw


 


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    画像引用 http://www8.shinmai.co.jp/odekake/article.php?id=ODEK2015


『須坂市報 「須坂市の文化財シリーズ28(平成2211)』より


【すざかからの日本一!】


須坂市福島天神社の幟旗


旗の長さが22.5メートル、幅が4.0メートル、旗を広げた面積が90平方メートル。対の幟旗としては日本一の大きさです。揮毫は高井鴻山です。


 


    記事・画像・動画 引用・参考元 すざかのお宝


http://www.city.suzaka.nagano.jp/otakara/search/item.php?id=18


    画像引用 いきいき須坂


http://www.city.suzaka.nagano.jp/contents/event/event.php?p=x&id=11000&joho=oshi


 


 


 


 


 


 


【神社仏閣巡り】 800年の歴史を誇る、長野県下随一の浄土宗の寺院である「浄運寺」薫風の中境内を散策(参拝)! [神社仏閣めぐり]

【神社仏閣巡り】 800年の歴史を誇る、長野県下随一の浄土宗の寺院である「浄運寺」薫風の中境内を散策(参拝)!


 


●名称 井上山浄運寺      ●宗旨 浄土宗


●本尊 阿弥陀如来       ●開基 角張入道成阿弥陀仏


●開山 寂蓮社寿長不乱大和尚  ●草創 建保二年(1214年)


 


須坂市には、規模の大きな寺が3ヶ所ある。柳島山(りゅうとうざん) 勝善寺<浄土真宗大谷派>須坂市本上町、大岩山 普願寺<浄土真宗本願寺派>須坂市南原町>と、この井上山浄運寺である。人口5万2千の地方の市に、この様な規模のある寺院が3寺もあるというのは珍しいのではないかと思う。勝善寺は正門の斜め前が小生宅であり、境内で、野球をやったり、大屋根に向かって、石を投げたりして怒られたりした寺で、それこそ「日常の寺」という趣であった。普願寺は我が家の菩提寺であり、(今でこそ市営墓地に移ってしまったが)、お盆や、法事のなどに顔を出したので、この2寺は前からよく知っていた。この浄運寺は、50余年振りに須坂に戻って、初めてその存在を知ったので、本日を含めて、3回目の参拝である。妙徳山に抱かれ、高低差のある広い境内は魅力的だ。


 


浄運寺は建保2年(1214年)に法然上人の弟子である角張入道成阿弥陀仏(かくはりにゅうどうじょうあみだぶつ)が開き、不乱房寿長上人が初代住職となった、およそ800年の歴史を誇る、長野県で一番古い浄土宗寺院だという。角張入道は地元、須坂市井上の出身。法然上人に常髄近侍し・・・・・・・・・・・


 


 


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 引用・参考元 浄運寺HP


http://jounji.or.jp/aboutus/


画像 Original


 


 


長野市上高田18号バイパスに沿って立つ「芋井神社」・「南向塚古墳」参拝記 [神社仏閣めぐり]


長野市上高田18号バイパスに沿って立つ「芋井神社」・「南向塚古墳」参拝記

 

 

本日陽気もよく、偶には歩こうと思って、18号バイパスを、ドン・キホーテから、南方向に母袋交差点まで往復歩いてみた。勿論用事があったのだが、例によって、カメラをぶら下げて、家庭の庭などに咲いている花などを撮りながら、急ぐでもなく、ゆっくりと歩いた。

 

用事を終え、母袋の交差点から、今度は北方向に歩いた。真ん中辺の右側に、ヤングファラオの建物があった。10日ほど前に、この度ボーリング場やパチンコ(こっちの方は数年前に辞めたのかもしれないが‥)を閉店するとTVでやっていた。このホールは、現役時代の長野支店勤務の時、大変お世話になった得意先だった。総支配人もTVに映っていたが、お世話になったのは、もう35年も前の話だ。長野市内でも、こうしてどんどん廃業していくところが多い。寂しい限りだ。

 

さてその先の左側に、神社と古墳らしきものが見えたので、寄り道していくことにした。18号バイパスから、3060mくらいしか離れていない。この一角だけ、街並みは途絶えて、休耕地にはなっているが、一面畑となっている。

 

まず神社の方から参拝した。芋井神社。この神社は・・・・・・・・

 


      続きはこちらから    http://mahoroba19.com/archives/6273




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                    文・画像オリジナル

【蔵の町須坂探訪】福島正則と所縁がある龍鐙山寿泉院! 境内には「忠治地蔵」も祀られている! [神社仏閣めぐり]

【蔵の町須坂探訪】福島正則と所縁がある龍鐙山寿泉院! 境内には「忠治地蔵」も祀られている!

曹洞宗 本尊 釈迦牟尼仏坐像 山号 龍鐙山。当寺は延暦年間(782-805)に空海(弘法大師)が遠州(静岡西部)で創建し、その後当地に移ったと伝えられる。当初は真言宗であったが故、揚柳観音がおられる。この観音様は、手に持っている柳の枝で種々の病を取り除く霊験があると言われ、信仰・参拝する人も多い。地番は、大字須坂1番地であり、須坂の地番の起点となっている。(境内案内板に依る)
 
その後明徳年間(1390~1393)に真言宗から現在の曹洞宗の寺になった。勿論この時は須坂藩は成立しておらず、初期の寺は遠州(静岡県西部)にあったと言われている。その後火災に遭ったりして長い間廃絶していたが興国寺9世桂巖嫩察(けいがんどんさつ)和尚を正式な一世として迎え中興された。真言宗であったので揚柳観音が伝えられた。この観音は中国で成立した仏で、手に持っている柳の枝は種々の病気を取り除く効力があると庶民の間に信仰を集めている。また、境内には秀吉ゆかりの聖観音を・・・・・・・・・

https://youtu.be/fVEQpXJQUjI  

https://youtu.be/J0clgcY4kUk

https://youtu.be/zHhpWdob9Ps  忠治地蔵

https://youtu.be/_0hM4xATvOc  忠治の墓 長野市権堂秋葉神社


 
 
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引用元 須坂市公民館本館ブロック地域づくり推進委員会 発行 平成15年12月発行 平成18年3月改訂。「ふるさと歴史マップ 穀町・上町・本上町・上中町編」より
須坂のお宝 文化財探索 建造物編
http://www.city.suzaka.nagano.jp/otakara/search/item.php?id=408

動画・画像はOriginal 



木喰上人が一夜にして完成させた、全国でも珍しい「一塔六地蔵」 もとは仁礼中村の郷倉にあったものを、お告げにより塩野に移された!住民の信仰厚い地蔵尊! [神社仏閣めぐり]

木喰上人が一夜にして完成させた、全国でも珍しい「一塔六地蔵」 もとは仁礼中村の郷倉にあったものを、お告げにより塩野に移された!住民の信仰厚い地蔵尊!


長野県須坂市の塩野から米子へ抜ける「みのどうトンネル」手前左側に変わった形の六地蔵石幢<セキドウ>が立っています。

伝説によると、米子の木食の修行僧で仁礼地域亀倉町の「萬龍寺」を建てた木喰上人但唱<モクジキジョウニンタンショウ>が鉈<ナタ>一本で一晩にして彫り上げた石幢であると伝えられています。

元々は郷蔵の庭にあったのですが、大正時代になって信心家の夢枕に地蔵が立ち、「東山に行きたい」とお告げを下されたという。それで、現在の地に移されたのです。

仏教では人が死ぬと六道といわれる6つの世界に行くそうで、その6つの世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)で6種類の地蔵が救ってくれるとされています。それで、この石幢に彫られたお地蔵さまも6つなのです。

6地蔵の個々の名称についてはあまり決まっていないようです。資料によって異なっていますので、この石幢に彫られた地蔵のそれぞれの名前もわかりません。

この六地蔵は塩野の石造物としても・・・・・・・・・・・・

https://youtu.be/Sat3y3X0kF4  一塔六地蔵

https://youtu.be/ACmaq2Q29UE  郷倉

https://youtu.be/OcJB3PrM4Js   萬龍寺

https://youtu.be/-Cc5iGH7Svk    萬龍寺

https://youtu.be/hm1Dexdh3F4 宗吾神社 躑躅



 
 

 

 

記事・画像引用・参照元 <須坂市探検隊>=ふるさと須坂<須坂市教育委員会>
http://www.suzakamap.com/tanken/page.php?_id=136
記事・画像引用・参照元<須坂のお宝>=須坂市仁礼の里 史跡マップ 勝山一男氏監修
http://www.city.suzaka.nagano.jp/otakara/search/item.php?id=685
動画 original









「赤城の山も今宵限り・・・」の国定忠治!須坂市寿泉院になぜか「忠治地蔵」なるものが存在する!秋葉神社(長野市権堂)には忠治の墓もある! [神社仏閣めぐり]

「赤城の山も今宵限り・・・」の国定忠治!須坂市寿泉院になぜか「忠治地蔵」なるものが存在する!秋葉神社(長野市権堂)には忠治の墓もある!


須坂市大日向の薬師堂夫婦桜の脇道を三原街道というが、その道を西進し、普願寺の方へ下っていくと、寿泉院に至る。 

寿泉院の山門手前右側にある地蔵は国定忠治の像といわれる。 江戸末期の侠客、国定忠治の地蔵菩薩で、嘉永3年(1850)に造られた。もとは野沢温泉にあり中風除け忠治地蔵として親しまれていた。昭和25年訳あってここに安置された。このお地蔵様の評判は、寧ろ県外の方が高く、群馬県や新潟県等からわざわざ訪れる人もいるという。
 
 忠治は謂わずと知れた江戸末期の「赤城の山も今宵限り~」の浪曲で有名。当時国定村[群馬県]では、天保の大飢饉があり・・・・・・・・


https://youtu.be/uC9fKM6M1lc



https://youtu.be/zHhpWdob9Ps 



https://youtu.be/9Bvw747UPTU 


https://youtu.be/ZmXtzTDd59c 



https://youtu.be/_0hM4xATvOc 権堂秋葉神社


 
 
 
 
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引用・参考元 信州「すざかのお宝」

http://www.city.suzaka.nagano.jp/otakara/search/item.php?id=410

動画 Original 


【郷里須坂探訪】日本三大不動尊 信州須坂 米子(よなこ)不動尊  神社仏閣名所旧跡めぐり [神社仏閣めぐり]

【郷里須坂探訪】日本三大不動尊 信州須坂 米子(よなこ)不動尊 


神社仏閣名所旧跡めぐり 須坂探訪
【郷里探訪】日本三大不動尊 信州須坂 米子(よなこ)不動尊



信州須坂は、人口52000人規模の小さな市ですが、全国的に知られるものがあります。今日はその中の1つである、米子(よなご)不動尊について書いてみようと思います。

当寺院は、「真言宗 豊山派」に属し、「米子不動尊本坊米子瀧山不動寺」と称し、真田家子孫の寺である。ご本尊は、日本三大不動尊である。



この寺のご住職は、眞田信繁(幸村)=仙台眞田家の末裔で、また、夫人は松代藩 第三代藩主眞田幸道の直系です。そのような事情もあり、眞田六連銭(眞田六文銭)を寺紋として掲げている由緒正しい寺格を有す寺院です。



ご本尊、不動明王立像は嵯峨天皇が弘法大師(空海)に鎮護国家のために刻ませた、一刀三礼の作と言い伝えられ、日本でもただ1つの・・・・・・・・・・・


 
 

 

 

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記事・画像 引用・参考元 http://www.yonakofudoson.net/original6.html


そのた画像引用 http://www.yonakofudoson.net/



動画 https://youtu.be/e8bC9fNr3tI  私が選ぶ須坂百景♯073 米子大瀑布(米子町)

動画 https://youtu.be/NBrvJrYE68U 私が選ぶ須坂百景♯033 お山登り

動画 https://youtu.be/tJH40n28lV0 真田太鼓 小生撮影



動画 https://youtu.be/XmPkhAkPMh0 例大祭 小生撮影

動画 https://youtu.be/l2n7L0yfzcc   豆まき 小生撮影





本年の「運」をおみくじで占う! 縁起の良い順番は? なお大吉は実は凶より怖い!一喜一憂することなし! [神社仏閣めぐり]

本年の「運」をおみくじで占う! 縁起の良い順番は? なお大吉は実は凶より怖い!一喜一憂することなし!

謹賀新年!当年2017年が良き1年となるかどうか、運を試す気持ちで引くおみくじ。わずかでも自分に向いたその運を生かすには、運勢を正しく読み解く力が必要だ。では、おみくじの正しい読み方とは? おみくじの研究で知られる愛知県立大学・日本文化学部准教授の大野出さんと、15年以上にわたって全国のおみくじを収集・研究している、自称「おみくじマニア」の鏑木麻矢さんに聞いた。

Q:かつては、僧侶しかおみくじを引けなかったって本当?
A:「おみくじはいわば占いで、仏様のメッセージを受けることができる僧侶が引くものでした。それがどんどんカジュアル化し、戦後は、今のように個々人が引けるものへと変化していきました」(大野さん)
 今でも、滋賀県・比叡山延暦寺横川の元三大師堂や東京都台東区の長國寺など、僧侶がお経を唱えながら、くじを引くところも残っている。

Q:おみくじで、縁起の良い順番は?
A:大吉と凶の区別はついても、吉と中吉、末吉と小吉の違いを・・・・・・・・

 

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引用・参考元 Excite News <NEWSポストセブン>
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20170101/Postseven_479804.html


初詣!今年もいい事がありますように!神社参拝のマナー!正しい参拝で、福を授かろう! [神社仏閣めぐり]

初詣!今年もいい事がありますように!神社参拝のマナー!正しい参拝で、福を授かろう!

年の初めに神社や寺にお参りして、その年の無事をお祈りする初詣。神社を参拝するのもマナーがあります。もしかしたら間違いだらけの参拝をしているかもしれません。
今年の福を授かるように、最低限知っておきたい初詣のマナー(神社)についてお届します。
もともとは、その年の恵方にある神社に「恵方参り」をするのが習慣でした。今は、地元の有名な神社に出向くことが多くなっています。お参りは元旦に限らず・・・・・・・



 

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引用・参考元 beauty.yahoo News <lifestyle>
http://beauty.yahoo.co.jp/lifestyle/articles/630951



「一生に一度は参れ善光寺」善光寺 仁王門編 [神社仏閣めぐり]

「一生に一度は参れ善光寺」善光寺 仁王門編

善光寺(ぜんこうじ)は、長野県長野市元善町にある無宗派の単立寺院で、住職は「大勧進貫主」と「大本願上人」の両名が務める。日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来を本尊とし、善光寺聖の勧進や出開帳などによって、江戸時代末には・・・・・・


 
 
 
 
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我が郷里須坂市の隣に全国的にも珍しい「九体寺」あり!もっと世に知られてよいお寺だと思う! [神社仏閣めぐり]

我が郷里須坂市の隣に全国的にも珍しい「九体寺」あり!もっと世に知られてよいお寺だと思う!

【神社仏閣名所旧跡めぐり】

我が郷里須坂市の隣に全国的にも珍しい「九体寺」あり!もっと世に知られてよいお寺だと思う!

九体寺と言えば、京都の浄瑠璃寺が有名である。小生は現役のサラリーマン時代、京都に2年半単身赴任をしたので、休日は殆ど「神社仏閣名所旧跡めぐり」に費やした。普段着の京都・奈良を見ることが出来た。(滋賀県も大阪もそれなりに廻ったが!)その中でもこの浄瑠璃寺は好きなお寺だったので、春夏秋冬10回くらい参拝した。嘗て九体寺は、京の都を中心に30余寺存在したそうだが、この寺以外は戦禍などで悉く消失してしまい、ものの本に依れば、全国にこの1寺残るのみという事だった。

京都を離任し、本社に戻ったが、その折ひょんなことから、世田谷に「浄真寺」という寺があることを知った。地図を見ていたら、九品仏駅というのが目に入ったのである。

これは参拝に「行かない訳にはいかんぞ!」という事で出掛けたのである。大きなお寺であった。ここのお寺は、本堂の他に、上品、中品、下品の3堂があり、それぞれ3体の阿弥陀如来様が祀られております。本堂・3堂合わせて九体の阿弥陀如来様で、併せて九体(寺)であります。

その後停年退職し、故郷に戻った訳ですが、偶々須坂に向かって車を
走らせていたら・・・・・・・・・


 
 
 
 
 
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兵庫の山奥にある宗教施設凄すぎておろろいた・・ [神社仏閣めぐり]

兵庫の山奥にある宗教施設凄すぎておろろいた・・






とても壮大・・・



とても壮観



本堂が遠すぎる・・・


 
   灯篭が中途半端にデカすぎるな・・・・・・・・
 
 
 
 
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御柱祭 霧原大元神社(須坂市上八町)建て御柱本堂に建つ! [神社仏閣めぐり]

 

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御柱祭 霧原大元神社(須坂市上八町)建て御柱本堂に建つ! 

今年は御柱の年!本社の諏訪大社(上社・下社、春宮、秋宮)でも、4月~5月に執り行われた。大社での開催を中心に、全国の諏訪神社や関連神社(通称:小宮)でも同様の祭(小宮祭)が実施された。

 

須坂市上八町の、霧原大元神社も、建御名方神を祀神とする諏訪社であるため、7年毎に御柱祭が行われる。

 

本年はまさしくその御柱祭の年に当り、10月9日に執り行われた。同社では前日、秋祭りで、須坂市で唯一残った「赤熊<しゃあま>」が奉納された。<この秋祭りの様子を動画で・・・


霧原大元神社秋祭り!須坂に唯一残る「赤熊(しゃあま)神前に奉納される [神社仏閣めぐり]

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 春先に霧原大元神社の前を通り参拝したが、その際、秋に例大祭があり、その際須坂市に唯一残る赤熊が奉納されると知り、改めて例大祭の模様をお伝えすると書きました。10月8日例大祭が挙行されると市報で知り出掛けてみました。須坂市の最南端にある上八町に霧原大元神社は鎮座し、建御名方命と御厩を祀っているのだが、本日は陽もとっくに暮れ、(大体の見当をつけ)、車を走らせたが、なにせ真っ暗なので、勘が働かず、案の定迷ってしまった。(カーナビ故障中)

かなり迷ったが、やっとのことで霧原大元神社を見つける事が出来た。もう6時半も過ぎていたので、赤熊奉納も済んでしまったかと心配したが・・・・・

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【神社仏閣めぐり】 真田幸隆夫妻と昌幸が静かに眠る真田山長谷寺 [神社仏閣めぐり]

 真田幸隆夫妻と昌幸が静かに眠る真田山長谷寺

 雪のない時期は上田・小諸方面に行く際は、菅平経由で山道を走った方が、距離も時間も短縮できる。今日は所用で佐久まで行ったのだが、途中山麓線に入り、真田辺りを走っていたら、「真田一族の菩提寺長谷寺」という案内板が目に入った。早めに出て来たので、ちょっと寄り道をする事にした。

 坂を上っていくと、「真田丸」と染め抜かれた幟がやたらとはためいている。やはり大河ドラマの威力は絶大だ。寺は山の坂の途中にあり、駐車場のスペースが取れないためか、数多くあったが、山門から入ろうと思い、一番手前の駐車場に停めた。

   【神社仏閣めぐり】 長谷寺 真田家菩提寺 上田市真田
   https://youtu.be/NPNOS3bEMas

   【神社仏閣めぐり】 真田父子廟所 長谷寺に眠る! 六文銭を形どった賽銭
   https://youtu.be/xX2UlictS9g

   【神社仏閣めぐり】 真田家廟所から長谷寺庭園まで!
   https://youtu.be/9lN_Tci7w0s

   【神社仏閣めぐり】 長谷寺 境内を散策する! 大絵馬に願をかける
   https://youtu.be/8dhmBNNWg7I


 石垣沿いに参道を目指して歩いたが、最初の角を左折しようとしたら、いきなりどん詰まりになっており、ここを曲がっても参道ではないと思い、直進して、回り込んだら、先ほどの曲がろうとした道と交差するところに出てしまった。これは「禅寺の桝型」といって、禅寺ではよくみられる様式なんだそうだ。

 そんな訳でまんまと枡形のトリックに嵌ってしまった訳だが、漸く参道に入り、急坂の石段を登り本堂前に出た。本堂の左手に、藁で作られた大きな馬がおいてあり、絵馬が沢山取り付けられていた。

 本堂右脇の潜戸を抜けると庭園があった。そこから左に回り込んで登っていくと墓地になり、中央を登り切ったところに真田幸隆夫妻と、昌幸の墓所があった。墓所の中の至る所に、硬貨を六文銭の形にしておいてあったが、(御賽銭のつもりだと思うが)ちょっと違和感を抱いた。

 帰り際改めて庭園をみたが、余り規模は大きくないが、ツツジや、あやめが綺麗に咲いていた。境内には枝垂れ桜も多くあり、今は勿論緑一色だが、桜の季節にはさぞかしピンク一色の綺麗な風景が見られるのではないかと思った。

 長谷寺は山麓にある静かなお寺だが、真田一族の菩提寺として相応しいお寺である。
※ 真田家は、松代に転封になり、やはり同じ名前の長谷寺があり同じく真田家菩提寺となっている。

 

【千曲川】 南屋島河原に祀られている権現様ほか 千曲川の安全を見守る! [神社仏閣めぐり]

 この南屋島の権現様が祀られている場所は、昔の千曲川の渡しの舟付場であった。対岸は須坂である。

 度重なる洪水で、この付近の堤防が幾度となく決壊していることから、水難除けの神が祀られた。南屋島では、権現様は皇大神宮(産土神)と共に里人の心の拠り所になっている。この場所には、土手側から、真中社、戸隠社、金毘羅宮、水天宮が祀られています。

 【千曲川】 南屋島河原に祀られている権現様ほか 千曲川の安全を見守る!
 https://youtu.be/JDfbtzpB4wE

 【千曲川】 屋島橋河原 千曲の流れ滔々の調べも激しき今宵かな!(須坂高校逍遙歌の一節)
 https://youtu.be/NgpsF_7ALGA ←屋島橋直下

 【花紀行】 千曲川ふれあい公園[小布施]  河原の菜の花畑
 https://youtu.be/xmtulx0I50M  ←小布施橋直下

 【さくら紀行】千曲川村山鉄橋下 権現堂桜並木 日本の原風景なり
 https://youtu.be/2YXsTmYquhw ←村山橋直下

 ①真中社・・内務省直轄水害防止工事を指揮した役人の中村真三氏をはじめとする工事関係者に感謝して祀られた。

 ②戸隠社(権現様)・・江戸時代には、戸隠権現も、村内安全・災難消滅・九頭竜・川除けにご利益があるとして広く信仰された。天神6年当地に祀られた。

 ③金毘羅宮・・水神として敬われている。水上交通安全の守り神として、文政11年祀られた。

 ④水天宮・・水の神で、洪水除けや干ばつ除けの守り神である。建立年代は不詳。

 この屋島橋の川幅は約800mあり、うち1/3は普段水が流れている部分で、残りが桃やリンゴの畑などになっている。堤防の高さは15mくらいはあるが、洪水時は、800m一杯に橋桁直下まで水が溢れる。屋島・村山・福島・小布施辺りは度々堤防が決壊し、近辺は水害に見舞われた。千曲川河原には、水害防止のためこのような祠が随所に存在する。


長沼宿林光院は、信徒会役員会が始まるところだった!にも拘らず撮影を敢行したあんたはえらい! [神社仏閣めぐり]

 長沼宿林光院は、信徒会役員会が始まるところだった!にも拘らず撮影を敢行したあんたはえらい!

 長沼宿を北に進むと丁字路になり、その取っ付きは、林光院の山門になっている。その脇に「長沼宿の道標」が建っている。この丁字路を左折すると、三才方面に、右折すると、西厳寺に突き当たる。その西厳寺の山門の手前を左に曲がり、そのまま北方向に行くと、豊野宿に至る。宿場町だったので、やたらとクランク状の角が多い。

 長沼宿は、須坂方面、松代方面と、北国街道の接点になる宿場で、長沼城があったところである。この集落一帯で、寺院・神社は14箇所になるが、往時は31寺社にのぼったという。うち17寺社は移転しという訳だが、そんなに広くもない集落にそれほど多くの神社仏閣が存在したこと自体驚きだ。城の跡は残って居ないが、川中島の合戦時は、松代の海津城とともに、重要な役割を果たしとそうだ。千曲川を天然の要塞とした強固な城だったという事だ。
 
 【神社仏閣めぐり】林光院 信徒会役員会 ボチボチ撮影などしていたら参加者と間違えられた!
 https://youtu.be/LflCc6uWlUU
 

 さて林光院は、こじんまりした寺院だが、山門の手前や奥には、六地蔵や、石塔、石仏などが整然と並んでいた。

 本日は、信徒会の総会の日であった様で、既にお堂の戸は開かれており、集合の時間だったせいか、次々と信徒の方が集まってきた。それでも図々しく、辺り構わず撮影していたのだが、何時もとは違って、背広姿だったので、総会にやってきた信徒と間違われてしまった。「偶々お伺いして撮影させて戴いている」旨お伝えしたら、「代理で息子さんが出席する場合もあるので・・・」という事で、恐縮されてしまった。何時まで経っても撮影なんかしていて、中々入ってこなかったので、質問されてしまったのだろう!? 

 何時もは人が居ない場面を撮ることも多いのだが、こうして人が集まって居たり、イベント中の風景を撮るのはやはり変化が付いて面白い。こじんまりしたお寺であったが、そんな訳で、普段とは違う風景が撮れたと思う。

【神社仏閣めぐり】 坂田山の麓に建つ天徳寺!入口の筆塚に想う! [神社仏閣めぐり]

 天徳寺は、須坂の里山「坂田山」のふもと、また須坂市営「坂田霊園」の入口に位置する寺です。小生の家の墓が、偶々この霊園にあるので、時間があれば、階段を登り、拝観するようにしています。また天徳寺の裏手の高台からは、北信五岳や、北アルプスが見渡せます。晴れた日の午前中は「カスミ」が掛からず遠くまで山容を見ることが出来ます。


 天徳寺井上源氏三郎満定の九男静実が真言宗天徳寺を創建したのがはじまりとされています。その後元禄7年(1694)に、僧常清が残された諸仏を供養して再建し、宝永4年(1707)須坂市春木町の浄念寺の末寺となり、浄土宗に改宗したお寺です。山の尾根に観音堂などが点在しています。須坂の里山=坂田山→明覚山の登山口の1つになっています。

 【神社仏閣めぐり】 天徳寺「新四国霊場88ヶ所案内弘法!-須坂坂田町 
 https://youtu.be/2nXn-MIJVKs  ←clickしてみてください!天徳寺の動画です!

 【神社仏閣めぐり】 天徳寺参道にある地蔵尊 嘗ては広大な境内だった天徳寺
 https://youtu.be/J7l0sIeybfI   ←clickしてみてください!

 【神社仏閣めぐり】 天徳寺 観音堂ほか諸堂(諸仏)を参拝する!
 https://youtu.be/LZvge9dY42Q  ←clickしてみてください!

 【神社仏閣めぐり】 坂田山 天徳寺 境内を散策する! 獣侵入防護柵が境界線
 https://youtu.be/G4uLsdyH0y0  ←clickしてみてください!

 【神社仏閣めぐり】 天徳寺 坂田山中腹から、境内を下る!
 https://youtu.be/NDp_ehhYIZU  ←clickしてみてください!

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 この寺の入り口の階段登り口の左側に大きな筆塚があります。天徳寺17代住職に就いた田幸正粲<タコウセイサン>は須坂市穀町に生まれ、末広町正願寺で書法を学びました。正願寺の住職の死後、その跡を継ぎ、また寺小屋の師匠にもなりました。天徳寺住職に就いたあとも、寺小屋にて子弟達に書を教え続け、また明治時代になると、須坂小学校の教師や坂田役場職員も勤めたこともあったそうです。この筆塚は、田幸正燦の弟子31名によって明治40年に建立されたものだそうです。須坂には、寺子屋や、私塾が数多くあり、師匠を偲ぶ意味や、謝恩の気持ちを表すために、筆塚を建立する例が多くあり、市内には80余基存在するそうです。

 そのことからも昔の師弟関係の深さ、人間関係の密さを知ることができるのではないかと思います。「仰げば尊しわが師の恩」という言葉やその意味するところは、小生の小学校や、中学の頃はしっかりと残っており、先生は尊敬の的でした。実際先生も熱心で、厳しい先生が多かったと思います。未だにその厳しさを思い出します。現在は教育現場も、我々の頃とは事情が大きく変わっているようですが、信頼感が戻って欲しい気がします。[師弟間に限らず、親子関係も含め]


【神社仏閣めぐり】 西厳寺 下総国磯部6寺の流れを汲むお寺!遂に拝観す! [神社仏閣めぐり]

長野市長沼大町にある西厳寺遂に拝観の機会を得る!
 千曲川村山鉄橋から、長野市側の堤防の上を走る道路を下流に向かって5分ほど走ると、木々の上に大きな屋根が見える。堤防を下り降りたところに、以前から探していた西厳寺があった。本当に千曲川の堤防直下にあるため、過去洪水の被害に幾たびかあったのではないかと思った。

 浄土真宗大谷派 以前須坂市の普願寺・勝善寺の稿で書きましたが、この西厳寺も、磯部6ヶ寺に関係するお寺です。浄土真宗開祖親鸞高弟の二十四輩の一人善性が創建した下総国の磯部勝願寺(茨城県古河市)の流れを受け継いで、北信(1寺は越後)に建てられた六つの寺院の内の1つです。
 
 この寺が有名なのは浄土真宗再興の祖と言われる蓮如上人との縁が深く、また実際蓮如上人もこの寺に2回立ち寄っています。特に1472年には越後吉崎から草津温泉へ行く道中約2ヶ月間滞在したという記録が残って居る。その縁もあってか、この寺には蓮如像を安置する蓮如堂があり、毎年4月25日に蓮如忌がおこなわれています。境内は人で溢れるとのことです。しかしこの縁日は雨に祟れることが多かったそうで「尻絡げの蓮如忌」として有名だったそうです。[雨で着物を端折って参拝したので]

 また境内には蓮如上人袈裟掛けのイチョウなるものがありましたが、現在は樹勢が衰えたせいか切られていますが、その切株の脇から新たな幹が育っていました。境内には他に、教如上人第一女智光院妙空禅尼の墓、小林一茶の門人西島士英の碑などがあります。[長沼は小林一茶とも縁が深く、長沼十哲と言われる多くの門弟がいた。集落に句碑が多く点在する]

 【神社仏閣めぐり】 西厳寺 長野市長沼 下総の国磯部6ヶ寺の流れをくむ寺院
 https://youtu.be/k_XF3_KXPOc

 蓮如上人について。本願寺第8世。蓮如[応永22年(1415年) ~ 明応8年(1499年)]は室町時代の僧。・・・異宗や他派に押され劣勢だった浄土真宗本願寺を中興し、現在の礎を築いた。講と呼ばれる組織を築き、宗勢を巻き返した。また親鸞の教えを伝えるため、御文あるいは御文章を認め、本願寺は爆発的に発展し、一向宗と呼ばれるようになった。

 しかし磯部6ヶ寺が何故信州の地に集団移転したのか謎だ![それも須坂に2寺も!しかも2寺ともお堂が市の規模としては非常に大きい! 序でに言うと須坂市井上にも、長野県最古の浄土宗の寺と言われる浄運寺もこの2寺に匹敵するお堂の大きさである!] 大和族の東征に関係するという墨坂神社[奈良県宇陀に墨坂本社がある]も須坂に2社あり、何か須坂は我々の伺い知れない「秘めたる何か」があるのかも知れない。←大袈裟な!

【神社仏閣めぐり】 善光寺を参拝して往生寺まで足を延ばし参詣しました。 [神社仏閣めぐり]

 善光寺を参拝して、往生寺まで足を延ばし参詣しました。善光寺本堂の北西小路・湯福神社前を起点として、往生寺まで、「一丁」「二丁」と、「六丁」まで、距離を示す碑に沿って、急坂を一直線に上る。30分は掛かった。

 往生寺は、鎌倉時代のころ、九州博多の城主、刈萱加藤左衛門尉重氏が世の無常を感じて出家して高野山に入り、刈萱上人と名前を変えて修行していたところへ、その子の石堂丸が尋ねてきて弟子入りを迫りました。(母も一緒に逢いに向かったが、途中で死亡)刈萱上人はやむなく許したものの、親子の情愛に泣かされて修行がおろそかになることを恐れ、信濃の善光寺に参篭して如来よりこの地を授かり寺を建てました。83歳で寂しました。

 生前、刈萱上人が彫刻して遺しておいた地蔵尊を、後から慕って往生寺まできた石堂丸も、それを手本として同じものを刻みました。これら二体の仏像を刈萱親子地蔵尊と呼んでいます。この地蔵尊は、厄難を救い、臨終には必ず同行となって極楽へ導いて下さるといういい伝えがある。また、これ等の経緯を絵解きにし、全国的に珍しくなった「絵解き説法」が継承されている。住職が独特の口調で語る法話であるが、例によって行き当たりばったりの旅なので説法を聞く機会には恵まれなかった。

 【神社仏閣めぐり】 往生寺 「夕焼け小焼け」の童謡発祥の寺 長野市
 https://youtu.be/KyK3eIeIDkY ←クリックしてみて下さい!


 本堂の裏には刈萱上人墓所、境内には、芭蕉・一茶の句碑、吉良上野介手植え桜や弘法大師作の波切不動がある他、梵鐘は「夕焼けの鐘」と呼ばれ童謡「夕焼小焼」ゆかりの鐘だという。

 例によって、境内の様子だけを撮った動画でしかありませんが、貼付しておきます。

信州須坂「米子のお不動さん」本日は例大祭 ご本尊様年一回のご開帳! [神社仏閣めぐり]

信州須坂「米子のお不動さん」本日は例大祭 ご本尊様年一回のご開帳!

 昨日偶々米子のお不動さんの記事を掲載しました。最後に5月1日例大祭と書きましたが、考えてみれば【考えなくても同じだが】今日は5月1日。天気も良かったのでお不動さんまで行ってきました。

 お寺の周りは、一面田圃ですが、本日は、車で一杯。参道には出店が沢山出て賑わっていました。本堂では既に護摩行が始まっていました。護摩行が終わって、参拝者が堂内から去り、畳の上で、休んでいたら、修行僧が傍に来て、「秘仏はご覧になりましたか?」と声を掛けて戴きました。正面におわす等身大の不動明様が秘仏とばかり思っておりましたが、秘仏はその像の後ろにお立ちになっておられるとのことで、生花などを退けて戴き、秘仏を拝見させて戴きました。1年でも本日のみの公開なのだそうです。ありがたく参拝させて戴きました。

 【神社仏閣めぐり】 米子不動尊例大祭 (日本3大不動尊)
 https://youtu.be/XmPkhAkPMh0   ←例大祭の様子です!クリックしてみてください!

 【神社仏閣めぐり】 真田陣太鼓 「出陣」 米子不動尊例年大祭奉納演奏
 https://youtu.be/bCIfrluYQIM   ←音がよく拾えていない様です!実際はもっと迫力があります!


 米子不動尊は、真田家との縁も深く、寺紋も真田家の六文銭です。そのご縁で、本日の例大祭に、真田出陣太鼓保存会の方も演奏のために来られておりました。

 演奏まで1時間20分ほど時間があったのですが、是非聞いていこうと思い、その時間を利用して、境内を周ってみました。

 さて1時45分真田出陣太鼓の演奏が始まりました。いまNHKの大河ドラマで「真田丸」が放送されていますが、観光客の入込みで、上田・松代は大変盛り上がっている様です。真田藩は、大藩に挟まれ、その中で生き残りをかけて、知略で生き残って来ただけあって、「出陣」「合戦」という演目だったのですが、当時の武士の生きざまを表現した迫力のある演奏でした。

 小生は亥年で、大日如来様が、守り仏ですが、不動明王は、大日如来の化身なので、成田山東京別院深川不動によく参拝に行くのですが、地元(故郷)に、このような日本三大不動尊の1つの米子のお不動さんがいらっしゃるので、これからも参拝に伺おうと思いました。

【神社仏閣巡り】 善光寺朝のお勤め 早朝のすがすがしい境内に読経の声が響く! [神社仏閣めぐり]

 善光寺の朝は早い! 4時30分(冬季は6時)双盤が境内に走り、続いて太鼓の音が打ち鳴らされ、本堂の扉が徐に開かれる。続いて内々陣の唐戸が開かれ、これにて参拝客は堂内に入ることが許される。

 5時前から善男善女が三々五々集まり始め本堂に向かって列を作り石畳に膝まづき手を合わせる。人々はお上人(大本願)様、ご貫主(大勧進)様が、お朝事の為本堂にお上がりになるのを待つ。お上人・ご貫主は、膝まづいた善男善女の頭にお数珠を授け乍ら本堂に向かう。これが「お数珠頂戴」と言われる風習である。平素如来様に身近にお仕えしているご住職のお数珠に触れることにより、仏縁を結び、御仏の救いにあずかり、これにより・・・・・・

 

   【善光寺】 ご開帳 本堂にてお朝事開始!
   https://youtu.be/Hl_9orV-t9M  ←非常に短くお朝事の極一部の動画です。

   【善光寺】 御開帳お朝事終了後 お数珠頂戴! 
   https://youtu.be/Fei6h-9cVYo ←clickしてみてください!

   【善光寺】 本堂 前立ご本尊様ご開帳の瞬間! 
   https://youtu.be/wp2Y3_FfiAI ←この動画は前立本尊ご開帳の一瞬の音声での記録です!
 


 


日本3大不動尊に数えられる、信州須坂「米子のお不動さん」 霊験あらたか! [神社仏閣めぐり]

 須坂市米子(よなこ)に、行基により開山されたという「お不動さん」(=米子瀧山威徳院不動寺)があります。「米子のお不動さん」と呼ばれています。ご本尊は不動明王立像。弘法大師(空海)が嵯峨天皇の命により、鎮護国家のために刻ませたものと伝えられています。不動明の多くは火炎を背にしたものが普通ですが、ここ米子不動尊は、日本でもただ一つの「出水型」の形をとっており瀧(日本の滝百選に選ばれている「米子大瀑布(不動滝<落差85m>と権現滝<落差75m>の総称)」)から出られた瞬時の姿を現しているのです。成田山新勝寺、新潟の菅谷不動尊と共に、日本三大不動尊(日本三体不動尊)の1つに数えられています。

 開山の地は、不動滝と権現滝の中間にある、現在奥の院と称されているお堂があるところです。最盛期には33の僧坊があり大変大規模なお寺であったと記録されています。米子にあるのは里堂で、ご本尊は、ここに安置されていますが、ご本尊ご分身は、毎年6月14日に信者に背負われて、奥の院まで運ばれ、再び背負われて里堂に帰る9月14日までの3ヶ月間奥の院に鎮座します。

 米子不動尊 節分会 米子のお不動さん!-蔵の町須坂
 https://youtu.be/eSsmKnIQPT8

 米子不動尊 日本3大不動尊!節分豆撒きで大賑わい!
 https://youtu.be/OGmVaXKxE6g

 節分会 米子不動尊[蔵の町須坂]善男善女の節分豆撒きに遭遇!
 https://youtu.be/l2n7L0yfzcc

 米子不動尊!節分でにぎわっていました!
 https://youtu.be/s8VytHMIVrI

 米子不動尊 日本三大不動尊
 https://youtu.be/Wazy9JvDz2U

 真田藩と縁が深く寺紋は真田藩の「六文銭」です。現住職は、仙台真田藩真田信繁の末裔、又、妻は第3代松代藩主真田幸道の直系に当たります。

 昨年未だ雪が多く残って居る時に、何の気なしに里堂に行ったら、偶々節分会の日で、境内は人で溢れていました。その時の動画を添付しておきます。

 5月1日は春季大祭でご本尊のご開帳、毎月15日に護摩行が行われます。

海野宿の南口に鎮座する白鳥神社 真田一族にも大いに関係する神社! [神社仏閣めぐり]

 白鳥神社は、旧北国街道海野宿の南口に鎮座する。海野宿を見に来たのだが、いきなり立派な社を見たので、先ずこの神社から撮影を始めようと思い参拝したのが最初だった。この社は日本武尊・貞元親王・善淵王・海野広道[当地の豪族初代]公の四柱を御祭神として祀る。 日本武尊(第12代景行天皇の第2皇子)は、西征・東征と奔走したが、その東征の帰り道に海野に滞在したと伝えられ、その後、伊勢の国で亡くなり、白い鳥に身を変え海野の里にもこの白い鳥が舞い降りたとされる。そこで海野の里民はお社を建て日本武尊を祀り、仲哀天皇の2年勅命により「白鳥大明神」の称号を受けたと伝えられている。これが白鳥神社のいわれである。

 さて祀られている海野氏は、この一帯を支配した豪族の初代であるが、いまNHKの大河ドラマの「真田丸」の真田一族はこの海野一族の出である。
 
 江戸時代に作成された『真田家系図』には、真田氏[海野氏]の発祥は清和源氏であり、信濃国小県郡(現在の長野県東御市)の海野棟綱あるいは真田頼昌の子という真田幸隆が小県郡真田郷を領して真田庄の松尾城に居住し、以後真田姓を名乗ったと記されている。

 この様な経緯で白鳥神社は真田一族と深い関係があり、一族からの厚い信仰を得る。またいろいろなエピソードもある。海野一族が、武田勢に攻め込まれ、滅亡の危機に瀕した時、真田幸隆の枕元に、女神が現れ「この鉾を持って出でよ!末はめでたかるべし!我は白鳥明神の遣わしなり!」とのお告げがあり、幸隆は一党を結束させ、敵陣のど真ん中を突破し戦場から脱することが出来た。

  【神社仏閣巡り】 白鳥神社 境内散策 東御市 信州「神社仏閣名所旧跡巡り」
  https://youtu.be/ySKGth9oT_I

  【神社仏閣巡り】 白鳥神社 東御市 ご神木と本堂参拝!
  https://youtu.be/I-qjyXAGDfg

  【神社仏閣巡り】 白鳥神社!東御市 木曽義仲が挙兵した神社 新海宮・道祖神・大黒天
  https://youtu.be/AkW2g-CF5To

  【神社仏閣巡り】 白鳥神社 鯨石の噴水ってなんだ! 東御市
  https://youtu.be/LArOxWiD_So

 また、後年、1622年上田から、松代に転封になった際、旅立つ信之の籠の上に白い鳥が舞い降り、共に移りたいとのお告げがあった。松代に移った直後に光る物体が東方から飛来し白鳥明神の鎮座すべき場所を告げました。1624年信之は松代舞鶴山に白鳥神社を分祀した。のちに藩祖として共に祀られ真田家は末代へと残りました。斯様に白鳥神社と真田家の深い関係がわかります。

 小生がこの神社について、興味を持ったのは、「鯨石」というものです。池の中に横たわっているのですが、頭部と思われるところから、噴水の様に水が上がっているのです。どうしてそうなるのか、また何の為にあるのかわかりませんでした。神社内には、道祖神や、狛犬、大黒天・恵比寿、欅の大木などあり、歴史の古い神社であることが判る。

 海野宿は、北国街道の宿場であるが、善光寺の参拝客や、諸大名の参勤交代、佐渡の金などの荷駄の流通などで賑わった。旅籠の客も白鳥神社に詣で旅の無事を祈ったことだろう。

【神社仏閣めぐり】世尊院 日本唯一銅製等身大釈迦涅槃像を祀る[神社仏閣名所旧跡巡り] [神社仏閣めぐり]

 善光寺仲見世を善光寺本堂へ向かい、ほぼ中間辺り、左手に堂跡地蔵尊があるところを、右折し、地蔵東小路に入り、その突き当たりに世尊院がある。この寺は、善光寺大勧進に属する衆徒20院の一つで、本尊として釈迦涅槃(ねはん)像を安置。別名「釈迦堂」とも呼ばれる。 

 このご本尊は、体長1.66m、重さ500kgの日本で唯一の銅造等身大釈迦涅槃像である。鎌倉時代の作である。お釈迦様が入減し完全な悟りを開いたお姿を表わしている。鎌倉後期の作で国の重要文化財に指定されている。

 嘗て、善光寺本堂は世尊院の西、仲見世に面した堂跡地蔵尊がある場所に建っていた。世尊院釈迦堂と善光寺は向き合っていたのである。数え7年目毎に執り行われる御開帳の際には、善光寺本堂前と同じように世尊院の前にも回向柱が立つ。善光寺の本尊である阿弥陀如来様は来世の仏様であり、世尊院のお釈迦様は現世の仏様であることから、両方をお参りすることでより多くの御利益が授かると考えられているからである。
[これと同じような考え方で、別所温泉の北向き観音も、善光寺だけのお参りだと片参りと言って御利益が充分でないと伝わる]

 このように世尊院は、善光寺との特別な縁のある寺院である。

     世尊院 日本唯一銅製等身大釈迦涅槃像-02 神社仏閣名所旧跡巡り
     https://youtu.be/rHjSTdJA3v8

     善光寺御開帳 世尊院も御開帳 ご本尊は全国唯一の銅製釈迦如来涅槃像
     https://youtu.be/iLaka2v5RCI

【さくら紀行・神社仏閣めぐり 】大岩山普願寺 桜の様子を見に行くも残念ながら未だ2分咲き! [神社仏閣めぐり]

 須坂市南原[]=通称寺内に、普願寺という由緒あるお寺があります。浄土真宗西本願寺派、山号を大岩山と称し、清和源氏の末裔と言われています。何を隠そう小生宅はこのお寺の檀家です。

 清和源氏で最も有名な「井上光盛」は、木曽義仲と共に源平合戦において横田河原の合戦で戦い、軍功をあげましたが、文治元年(1185)駿州蒲原駅(現静岡県庵原郡)において暗殺される憂き目に遭います。その後、光盛の多くの部下は源頼朝の御家人となったりしましたが、一部の人々の中で常陸国稲田にてひっそりと暮らしていた親鸞聖人に帰依した人物がいました。この人物が、普願寺初代住職「賢阿房信性」といい、俗名を「業田次郎義遠」←[現普願寺住職は業田<なりた>姓を名乗る]といいました。賢阿房信性の父「井上義勝」は親鸞の教えに深く傾倒し、所領の磯部に勝願寺を建立し、後、義勝に従った6名の武士が、井上義勝の影響を受け、いわゆる「磯部6ヶ寺」を建立しました。

 「笠原本誓寺」「久保勝善寺」「中俣勝善寺(現勝善寺の前身)」「平生願生寺」「長沼西巌寺」「大岩山普願寺」が磯部6ヶ寺と称される寺です。この6寺全てが信州に移転しているのです。普願寺の移転先は、日滝本郷←(須坂)にあったが火災に遭い北原に移転、更に弘治元年(1555)に現在地に移転し現在に至る。斯くのごとき由緒正しいお寺です。[以上 須坂探検マップホームページ参照]

 須坂市本上町にある、勝善寺も磯部6ヶ寺の一つです。普願寺・勝善寺も、人口52000人規模の市にしては
非常に大きなお寺で、ある意味不思議に思っていましたが、その成り立ちや、経緯を知ってなるほどと思いました。昨日桜の様子を見に、普願寺に出かけましたが未だ2分咲きでした。満開になれば、ピンクのトンネルが、石畳の参道に映え、雰囲気が楽しめるのですが来るのが少々早かったようです。

    大岩山普願寺 大門から石畳の参道を進む!   
    https://youtu.be/SjWDl577wfk

    大岩山普願寺 参道の石畳の桜は未だ咲き始め!
    https://youtu.be/xi050e71RI8

    普願寺本堂 落ち着きある境内 桜咲き始め!
    https://youtu.be/SOnhycmIkAI

    普願寺 塔頭の寺々と参道を彩る花々!
    https://youtu.be/NmJtByG7Hq8

    

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