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8年ぶりに訪れた明日香の旅! 最後は元薬師寺跡を訪れる!今は礎石しか残っていないが、奈良薬師寺の前身の寺! [神社仏閣めぐり]

8年ぶりに訪れた明日香の旅! 最後は元薬師寺跡を訪れる!今は礎石しか残っていないが、奈良薬師寺の前身の寺!


 


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以前勤めていた会社で、2年半京滋市場(京都・滋賀市場。全国でも唯一1支店で2県(府と県を担当していた)を担当した。単身で赴任したので、土日、祝祭日の殆どは、神社仏閣名所旧跡巡りを楽しんだ。住んだのは、大阪府高槻だったので、京都は勿論、奈良・滋賀・兵庫・和歌山・三重などに行くには、絶好のロケーションだった。奈良には、車さえ混んでなければ1時間半くらいで東大寺くらいまでは行けた。


 個人的な感想を言わせて貰えば、観光客で賑やかな洛内より、奈良のゆったりした寺社を気儘に、参拝がてら散策する方が好きであった。例えば、弘仁寺。この寺は「上撰の旅24 奈良・大和路」という観光案内本を、「次何処へ行こうか」と見ていて、目に入った寺院であった。大体の見当をつけて車を走らせるのだが、(当時はまだカーナビなどという便利なものは無かった)、辺り1面は畑で、こんなところに果たして寺などあるのだろうかと、畦道みたいな狭い参道を歩きながら思ったものだ。


 このお寺も気に入って、何回も訪れた寺であったが、境内には誰もいない時の方が多かった。堂内に安置されている虚空菩薩像は、13歳になった子供に智恵を授ける十三参りの仏として知られるのだが、1度だけ近所にあると思われる小学校の児童が校外学習で、20余名が、ご進言を唱えながらお堂を回っていたのに出くわした時くらいだった。ご住職もおられたが、おそらく学校行事の1つとして、毎年行われているのだろう。


 さて本日は、そんな雰囲気のお寺について書いてみたいと思う。明日香には何回行ったか分からない程、よく行ったのですが、飛鳥寺は、明日香村の往き帰りに、その前を通っていたのですが、それだけに何時でも参拝できるという意識があって、結局京都在任中行きそびれてしまった。それで8年後に改めて出直したことは以前書きました。


 その続きになるのですが、飛鳥寺の後は、板蓋宮跡飛鳥坐神社大伴夫人の墓大原の里飛鳥東垣内跡地東通寺飛鳥水落遺跡雷丘善行寺藤原宮跡木殿神社と回りました。例によって、全く予定などを立てずに、場当たりで回ったのですが、何とか格好がついたのも、それだけ明日香には見るべきものが数多くあるという事なのでしょう。今回はレンターサイクルを利用したのですが、夕時になったので、借りた駅を目指して走り出したところ・・・・・・・・・・・


 つづきはこちらから ☞  http://mahoroba19.com/archives/10199


 


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参考・引用


かしはら探訪ナビ


http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_kankou/kankou/spot/motoyakushiji.html


画像 オリジナル・1部引用


https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E5%85%83%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%AF%BA%E8%B7%A1&rkf=2&ei=UTF-8&imc=&ctype=&dim=large


 


 


 


 


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飛鳥寺は京都赴任中終ぞ拝観出来ず!態々出直した寺!待望の大仏にやっと対面できた! [神社仏閣めぐり]

 

飛鳥寺は京都赴任中終ぞ拝観出来ず!態々出直した寺!待望の大仏にやっと対面できた!


 


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 小生は1999年京都支店勤務の辞令を受け2年半京都に居ました。単身赴任でしたので、土・日、祝祭日の殆どは、神社仏閣名所旧跡巡りに費やしました。おかげで「普段着の京都」を堪能しました。


 住居は大阪府高槻市だったので、京都のみならず、奈良、滋賀、大阪、神戸方面にも行きました。中でも明日香はお気に入りで、何回行ったか、覚えていない程行きました。明日香へは、169号☞15号☞124号から飛鳥坐神社を抜け、酒船石に通じる道を使っていたので、往き帰り飛鳥寺の前を通っていました。そんな訳で、飛鳥寺は「何時でも行けるから、今日はいいわ」という「邪念(!?)」が出て、終ぞ在勤中は参拝できずに転勤となってしまいました。その無念さは結構尾を引き、「何としても、飛鳥寺へ行くぞ!」と思っていました!


 京都を離れ、その後2か所ほど転勤で住所を変え、2008338年勤務した会社を定年退職しました。そして同年11月、所用で大阪に行く機会があり、1日早く出発し、京都に


出ました。その足で近鉄に乗り、橿原神宮に向かいました。参拝後レンターサイクルを利用し、これも赴任中行けなかった「益田の岩船」を制覇(!?)☞飛鳥香駅に出て、橘寺・川原寺跡・恵比寿神社などを参拝後、遂に待望の飛鳥寺に着いた。


 飛鳥寺は奈良県明日香村にある小さなお寺です。新西国第9番、聖徳太子第11番霊場。


今でこそ小さなお寺ですが、飛鳥時代は日本最初の本格的寺院であり、塔や回廊,3つの金堂,講堂を備え、広大な境内を持つ大寺でした。今では飛鳥寺(安居院)という名前ですが、当時は元興寺や法興寺といいました。


 大化の改新で蘇我氏が滅ぼされた後も、飛鳥寺は崇敬され、天武天皇の時代には私寺であるが、官寺と同様の・・・・・・・・・・・・


 


つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/10106


 


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 参考・引用元 思い出の日本を思う寺社めぐり


http://japantemple.com/2015/08/13/post-480/


画像元 yjimage


 


https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E5%AF%BA&rkf=2&gdr=1&ei=UTF-8&imc=&ctype=&dim=large


 


 


 


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【神社仏閣巡り】 天台宗別格本山 北向観音 善光寺を参っても、両方参拝しないと「片参り」と言われ満願成就はお預けとなる宿命!? [神社仏閣めぐり]

【神社仏閣巡り】 天台宗別格本山 北向観音 善光寺を参っても、両方参拝しないと「片参り」と言われ満願成就はお預けとなる宿命!?



 



  信州上田「塩田平(別所)一帯」は、信州の鎌倉とも言われる地である。同時に温泉でも知られる。厄除観音として知られる「北向観音堂」は、平安時代初期の天長2年(825年)比叡山延暦寺座主慈覚大師円仁により開創された霊場として有名である。



  北向観音は近隣にある天台宗常楽寺が本坊であり、その伽藍の一部として同寺が所有・管理している。



 寺伝によれば、平安時代初期の天長2年(825年)円仁(慈覚大師)によって開創。800年代にも火災の伝説が残る。安和2年(969年)平維茂によって大伽藍として大改修が行われたが、木曽義仲の兵火により焼失したのち、源頼朝により再興。鎌倉時代の建長4年(1252年)には北条国時(塩田陸奥守、塩田国時)によって再建されたと伝えられる。



 江戸時代に至って正徳3年(1713年)に焼失し、8年後の享保6年(1721年)に現在の堂が再建された。その後度々修復を加え、昭和36年に増改築を施し、善光寺の本堂と同じ「撞木造り」となった。



 北向観音という名称は堂が北向きに建つことに由来する。これは「北斗七星が世界の依怙(よりどころ)となるように我も又一切衆生のために常に依怙となって済度をなさん」という観音の誓願によるものといわれている。 また、善光寺が来世の利益、北向観音が現世の利益をもたらすということで善光寺のみの参拝では・・・・・・・・・・



 



つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/9348



 


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参考 北向き観音HP



http://www.kitamuki-kannon.com/



ウイキペディア



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%90%91%E8%A6%B3%E9%9F%B3



 画像元 Original



 



 


 

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川口豊城稲荷神社(岩手県岩手町)秋の例大祭見物記!まつりきちがいの小生は1日密着取材(!?)敢行する! [神社仏閣めぐり]

川口豊城稲荷神社(岩手県岩手町)秋の例大祭見物記!まつりきちがいの小生は1日密着取材(!?)敢行する!


 


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東北は1年を通じて祭りが多いところである。特に8月の夏まつりは、1日の盛岡の「さんさ踊り」を皮切りに、東北の何処かで祭りは行われている。八戸の「三社まつり」青森市の「ねぶたまつり」秋田の「竿灯」などなど。ねぶたは、何も青森市だけの専売特許ではなく、青森県内では、実に二十数か所で、ねぶたという祭は行われている。中でも、五所川原市の立佞武多は、縦に長い佞武多で異彩を放っている。初めてこの立佞武多を見た時は、小生はぶったまげたなんてもんじゃない。驚嘆した。他のねぶたは横に長い形式だが、この佞武多は、縦に長いのである。駅は平屋であるが、その先に5.6階建てのビルと見紛う建物があり、そこに立佞武多2基が収納されているのである。立佞武多が通る道路は電柱がない。


 さて今回は、岩手県岩手町の、川口豊城稲荷神社の祭りについて書きます。


 東北の祭りは、長い冬を耐え抜いて、待ちに待った祭りでエネルギーが爆発する! 自分たちの祭りという意識が高く、例え雨が降ったって止めることはない! 秋田の「大曲の花火大会は、全国屈指の花火大会(正確には花火師競技大会である)であるが、私は東北赴任中に3回見物に行きましたが、そのうちの1回は、とても花火大会が出来そうもない雨降りでしたが、中止とせず決行されました。見物客も、例年と変わりなく、会場の河原は例年と変わりありませんでした。帰りに新幹線に乗って帰ろうとして、尻のpocketから財布を出して、札を出したところ、札がびっしょり濡れていました! それ程の雨でしたが、最後まで中止しませんでした。


 またまた脱線しましたが、川口豊城稲荷神社の祭りも例外ではありません。


東北の地方紙は、祭りの最盛期には、新聞なのか、祭りのパンフなのか分からん新聞を出します。極端に言えば、前頁まつりの案内=パンフみたいな新聞もあります。そんな新聞を見ていて、川口豊城稲荷神社の祭りを知りました。岩手町はこの時初めて行くことになったのですが、盛岡からそんなに遠くないし、単身赴任の時間潰し(!?)くらいな軽い気持ちで行ったのであります。


 朝早く盛岡を出発し、8時半ころ、岩手町に着いたのですが、駅前では祭りの準備が進んでいて、退屈することはありませんでした。


 初日は、三台の山車を始め、子供達のお囃子や太鼓の音が町内に響き渡り、岩手町民の元気な掛け声とともに・・・・・・・・・・


 


つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/9313


 


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記事・画像 引用・参考元 岩手町商工会HP


http://iwatemachishokokai.com/?post_type=festival&p=847


画像元 original


 


 


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「初詣客、3割減覚悟」=搔き入れ時に参道商店主ら悲鳴!―惨事の影響深刻・富岡八幡宮! [神社仏閣めぐり]

「初詣客、3割減覚悟」=搔き入れ時に参道商店主ら悲鳴!―惨事の影響深刻・富岡八幡宮!


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私は上京すると、よく深川不動尊と隣にある「富岡八幡宮」に参拝をしておりました。それだけに、今回の「惨事」については、ショックを受けました。そりゃあ!今回は「2年参り」は他に行こうという人は増えるわなあ! 「なんちゅう事くれたんか」と、参道商店街の店主は思うわなあ!


 


 東京都江東区の富岡八幡宮で宮司の富岡長子さん(58)らが殺傷された事件は17日で発生から10日がたった。 正月には例年約20万人の初詣客が訪れるが、事件の影響で来年は大幅な減少が予想される。予定された会食や結婚式のキャンセルも出始めている。「売り上げが3割は減るだろう」。地元商店街の店主らは書き入れ時を前にした惨事に、悲鳴を上げている。


  富岡八幡宮は1627(寛永4)年創建。緑豊かな広い境内で、「深川の八幡様」と近隣住民から親しまれている。初詣は都内有数の人出を誇り、8月には江戸三大祭りに数えられる「深川八幡祭り」がある。結婚式の会場や七五三の参拝先としても人気だ。


  地元商店街の70代の男性店主によると、大みそかの夜は地下鉄の駅(地下鉄東西線および地下鉄大江戸線の門前仲町駅)出口から参道まで・・・・・・・・・・・・


 


【神社仏閣巡り】深川不動尊(成田山東京別院)都内最強スポット!迫力のある「お護摩修行」


  http://mahoroba19.com/archives/7253   ☜ clickしてみて下さい!


【神社仏閣巡り】深川不動尊(成田山東京別院)都内最強スポット!迫力のある「お護摩修行」


 http://mahoroba19.com/archives/7219


 このペーの続きは ☟


 つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/9174


 


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  深川不動堂の「護摩修行」は、平日は、9時から、2時間おきに、15回行われておりますが、この2年参りには、更に19時からの特別護摩修行が加わり、6回行われます。


  都内最強パワースポットと言われております。私が幾多の「護摩修行」に参拝を致しましたが、この深川不動堂の修業は、他を圧倒する大迫力です。流石は都内最強の「パワースポット」と言われる丈の事はあると思います!


  私のブログには、富岡八幡宮、深川不動堂の記事もありますので、URLを張り付けておきますので、御笑覧ください。


記事・画像 引用・参考元 Yahoo News <時事通信>


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171218-00000008-jij-soci


 (大判2枚はOriginal)


画像元 yjimage 


https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E5%AF%8C%E5%B2%A1%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE%E5%8F%82%E6%8B%9D%E5%AE%A2%E6%B8%9B&rkf=2&ei=UTF-8&imc=&ctype=&dim=large


 


 


 


 


 


 


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柳島山勝善寺の秋の風景! 境内の大欅は黄色に! 数は少ないが鮮やかな紅葉も! [神社仏閣めぐり]

柳島山勝善寺の秋の風景! 境内の大欅は黄色に! 数は少ないが鮮やかな紅葉も!


 


 須坂市本上町にある柳島山勝善寺<リュウトウザン ショウゼンジ>は、正治元年(1199)に長野市柳原中俣に明空<ミョウクウ>によって創建されました。信濃源氏系武士の井上頼重<イノウエヨリシゲ>が、比叡山で出家し明空となったのです。明空は、下総国磯部<シモウサノクニイソベ>において親鸞聖人の直弟子となった人物である。勝善寺はこの所謂下総国磯部6ヶ寺のうちの1つとされ、下総国から、信州・越後に移って来たと言われるが、坂田にある普願寺と共に、実に須坂に2寺存在するのである。(勝善寺から56km離れた長野市長沼には、西厳寺があり、この寺も下総国磯部6ヶ寺の1つである)


 明空によって創建され、十代住職以降は東本願寺派の名高い寺とされ、今でも全国の真宗大谷派寺院の中でも8ヶ寺に数えられる程の格式を持っています。勝善寺は、創建地の長野市柳原より須坂市の八町に移り、元和9年(1623)に須坂藩主の招きによって現在地に移転しました。


 第16代住職の大明院真兼(小沢左膳)は、享保20(1735)に勝善寺14代住職海秀の4女のもとに婿にきました。真兼の母は、水戸光圀の曽孫にあたることから、それ以降勝善寺の寺紋は「水戸葵」となっています。今も本殿の棟に、水戸葵の紋をみることができます。


 その他、第17代住職乗兼の夫人は、平安時代の藤原定家から続く歌道の名家、京都今出川冷泉<レイゼイ>中納言為泰<タメヤス>の息女。そして、最後の須坂藩主、堀直明の息女も勝善寺に嫁いでいます。


 過去を遡ると現在の住職は源家と水戸徳川家と冷泉家と堀家の血を引いていることになる。凄い家(寺!?)柄ですね。


  小生の生家は、この勝善寺正門の直ぐ傍にあり、この寺の境内に入り込み、近所のガタク坊主らと、遊び惚けていたのである。この寺は怖ろしく・・・・・・・・・・・・・


  


つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/8705


 


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引用・参考元 須坂市の歴史、見所紹介MAP 「須坂探検マップ」


http://www.suzakamap.com/tanken/page.php?_id=49


画像元 Original


 


 


 


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墨坂神社 須坂には墨坂神社が2社存在する! 奈良県宇陀市の「墨坂神社」より、墨坂大神を分祠!その関係に興味しんしん!? [神社仏閣めぐり]

 墨坂神社 須坂には墨坂神社が2社存在する! 奈良県宇陀市の「墨坂神社」より、墨坂大神を分祠!その関係に興味しんしん!?



須坂市には墨坂神社と称すお宮が2社あります。ものの本によると、奈良県宇陀市榛原萩原字天野に墨坂神社が存在し、須坂墨坂2社のご本社だと言われる。天皇軍東征のみぎり、大和菟田の高倉山から国見をすると、賊軍が天皇軍を防ごうと墨坂に”いこり炭”(山焼きの意味)をもって防戦したため、菟田野川の水をもっていこり炭を消火し、敵の不意を打って勝利した。墨坂の名はこの故事にちなむと、その名の由来が記されています。その墨坂社のご分社が、しかも2社が、須坂にあるのは、どういうご縁なのか前々から興味を持っていた。一説によると、墨坂大神を祀る社は3社のみという説もあり、そうだとすると一層の興味を持たざるを得ない。「何故須坂だったのか!? それも2社あるのか」と。


 さて本日この墨坂八幡社の脇道を走っていたら、神社の杜に中に、黄色い帽子を被った園児の元気の良い、声や、姿が見えたので寄ってみた。境内には、30名くらいの園児がおり、元気に飛び回っていた。小生の姿を見て、元気に挨拶をくれた。また撮影をしていると、カメラの真正面に来て、ポーズをとったり、飛び跳ねたり、実に元気が良い!子供は斯くあるべきである! 小さい頃から、近所の神社仏閣に来て、神仏に親しむということは実に良いことだ。


 ここで墨坂神社について一寸言及してみようと思う。


『延喜式神名帳』にある「墨坂神社 (信濃国・高井郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。旧大字小山八幡の地。創建年代は不詳。一説に、飛鳥時代の白鳳2年(674年)という説あり。


 住古、大和部族移住に際し・・・・・・・・・・


 

つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/8190



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記事引用・参照 参照神社と古事記



墨坂神社(宇陀)HP


玄松氏の記憶


画像・動画元 Original



 



 


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【神社仏閣巡り】杉木立に囲まれた古代以来の荘厳な雰囲気漂う真山神社を参拝する! [神社仏閣めぐり]

【神社仏閣巡り】杉木立に囲まれた古代以来の荘厳な雰囲気漂う真山神社を参拝する!


  


 真山千体堂の1万3千体の地蔵菩薩を参拝し、男鹿半島最突端の入道崎に向かうべく車を走らせようとしたら、もうちょっと奥の方に、真山神社があることを知る。尚も車を走らせる。鬱蒼とした鎮守の森の中に真山神社はあった。 


 【真山神社(しんざんじんじゃ)】


 秋田県男鹿市北浦真山水喰沢


 12代景行天皇の時代に武内宿禰が使命達成、国土安泰、武運長久を祈願して主祭神を祀ったとされ、明治以降は旧県社に列格されている。


 【神域「お山(真山・本山)」に祀られる神々の社】


 男鹿北部に位置する真山は、南部の本山や東部の寒風山と同様に、古くから山岳信仰の霊場として、時の支配者の庇護を受けながら栄えてきた。


その繁栄ぶりを今に・・・・・・・・・・・・・


  


  つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/8044


 


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  参考 Yahho ロコ


https://loco.yahoo.co.jp/place/g-LGHxsDpyERM/?utm_source=dd_spot&sc_e=sydd_spot_ttl


男鹿ナビ


https://www.oganavi.com/spot/38.php


 画像元 Original


 


 


 


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万体仏!お堂の壁から屋根裏まで木彫りの仏様がびっしり1万3千体の仏様一体一体に思いが込められている! 霊気が漂うお堂! [神社仏閣めぐり]

万体仏!お堂の壁から屋根裏まで木彫りの仏様がびっしり13千体の仏様一体一体に思いが込められている! 霊気が漂うお堂!


 


  八郎潟から男鹿半島突端「入道崎」に向かう。59号線を走る。例によって、当てもなく走っていたのであるが、「日枝神社」の案内板が目に入ったので、左方向に入る。参拝後59号線に戻ろうと思ったら、西方向に「真山神社」があることが分かり、行ってみることにした。


 男鹿半島の内陸を走る「なまはげロード」から、真山神社(しんざんじんじゃ)方面へ600メートルほど進んだ左手のちょっと高くなったところに小さなお堂があった。真山の万体仏と呼ばれるお堂で、明るい外から堂内をのぞくと、何もない単なる小さな祠にしか見えません。


 三間四面の堂舎の入り口と床面を除く、四方の壁から屋根裏一面に・・・・・・・・


 


        つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/8033


 


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参照[男鹿市公認]秋田県男鹿の観光ガイド 男鹿ナビ


https://www.oganavi.com/spot/45.php


画像元 Original


 


 


 


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出張明け、帰路、急ぐ旅(!?)でもなかったので、いろいろ寄ってみた!曽原館・六地蔵など! [神社仏閣めぐり]

出張明け、帰路、急ぐ旅(!?)でもなかったので、いろいろ寄ってみた!曽原館・六地蔵など!


 学生のころ、曽原高原に一軒だけあった、「曽原館」という旅館で、サークルの合宿をしたのだが、本日は、出張の帰路だったので、思い出して行ってみることにした。実に50余年振りだ。と言っても、先方にしてみれば、数ある客の、しかも50余り前の話だから覚えている訳はない! ある意味迷惑な話しだと思う。(しかも朝の8時前だから一層迷惑!)


  道は一本道で、林の中を登って行った。右側に池があったのは記憶通り。その先に建物があったのだが、以前とは変わっていた。その奥の右側に「曽原館」と看板が上がった建物があった。


  お寄りした次第を話したら、「おかあさん呼んで来るわ!」といって奥に入っていった。暫くすると、「おかあさん」が出てきて、挨拶をしたが、私自身が顔など全然記憶になかったから、さぞかし「おかあさん」も面食らった事だろう!「あの頃は、結構学生さんが、一杯来て貰って、忙しかった」と言っておられた。お忙しいだろうから、程々で切り上げ曽原館を後にした。「これ持っていて下されや!」といって、野菜などを戴いた。


  さて山を下って、八ヶ岳高原線(旧小淵沢線)の線路に沿って、佐久市方向に向かって走った。入沢というところを走っていたら、人家の前に、道路に沿って・・・・・・・・・


  


     つづきはこちらから ☞  http://mahoroba19.com/archives/8021


 


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  JA佐久浅間  HP


http://www.ja-sakuasama.iijan.or.jp/welcomenews/monthly/play/2014/03/10:38:44.php


画像元 Original


 


 


 



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【神社仏閣巡り】国指定名勝の「国見山玉川寺(ぎょくせんじ)」を参拝する! [神社仏閣めぐり]

【神社仏閣巡り】国指定名勝の「国見山玉川寺(ぎょくせんじ)」を参拝する!


  出羽三山合祀神社を参拝し、長い修験道の道を下り、漸く鳥居まで戻った。もう日も大分落ち、あまり遠くまではいけないなと思い、本日の宿でも探すかと思い、47号線を、取り敢えず鶴岡市街地に向かって車を走らせた。暫く走ると「庭園の玉川寺」という案内板が目に入った。今日の神社仏閣巡りはもう終わりと思っていたので、「ラッキー!」と思い、ハンドルを左に切った。しかし何時もの通りの、行き先を決めない「気儘なぶらり一人旅」である。


 暫く走ると、緑の濃い一角が目に入った。杉の並木の参道を歩み山門を抜けた。流石名勝と言われる立派な庭園だった。ゆっくりと庭園を歩いた。高いところに出て、下を見たら、縁側にご住職が出ておられ、清掃をしていたおばちゃん達を労われておられた。下に降り、本堂に入り、聖観世音菩薩を・・・・・・・・・・・・・


  


   つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7995


 


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国見山玉川寺(ぎょくせんじ)HP


参照 http://www.gyokusenji.or.jp/gaiyo/


画像 Original


一部 yjimage http://www.gyokusenji.or.jp/gaiyo/


https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E7%8E%89%E5%B7%9D%E5%AF%BA%E5%BA%AD%E5%9C%92&rkf=2&ei=UTF-8&imt=&ctype=&imcolor=&dim=large


 


 


 


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待望の「竹内文書を継承する皇祖皇太神宮」に参拝する機会を得ることが出来た! [神社仏閣めぐり]

待望の「竹内文書を継承する皇祖皇太神宮」に参拝する機会を得ることが出来た!


  偶然というか、本屋で「竹内文書」という本と出合ったのが、この皇祖皇大神宮に関心を持った始まりであった。竹内文書は難解で、よく理解は出来ないでいるが、超古代の歴史について書かれており、「正史」により、埋もれてしまった「宇宙創造」「地球創造」が記録されている。「壮大なる偽書」と言って、一顧だにしない歴史学者が存在するが、それは歴史性(政治性)というものを無視した、安易な研究態度というものだろう! こんな長大なものを、態々偽って書く人は居ない。何らかの意味を有しているものであることは間違いない。


 さてそれはそれとして、昭和初期の弾圧により、多くの資料を没収され、空襲により、没収先の火事により焼失してしまったのだが、この文書を代々受け継いできた皇祖皇大神宮とはいかなるものか大変興味を持った。もともとは富山県富山市金屋の地にあったものであるが、北茨木の現所在地に移されたものである。


  北茨木市は、長女の連れ合いの母方の実家がある地でもあり、縁があったので、是非この


皇祖皇太神宮を訪れたいと思っていたところ、暮れの買い出しに茨木の魚市場に行くというので、皇祖皇太神宮にも寄ってくれるよう依頼し車に乗り込んだ。


  そんな皇祖皇太神宮は、竹内文献の事もあり、今まで行った神社仏閣とは異なり、若干の緊張感をもって参拝した。別にお話を聞くために、予約をした訳でもなく、ただ参拝がてら、境内を廻らせて戴いた丈であったが、実際訪れることが出来ただけで満足であった。


 【皇祖皇太神宮の由来】


太古の歴史を今に伝える、「古事記」、「日本書紀」、それらよりもはるか昔の神話を記録した古文書。はるか昔、日本の天皇(スメラミコト)の祖先が地球に降り立ったころからの、世界最古の歴史を記録した、謎の古文書のことを、「竹内文書・竹内文献」と言います。


古代歴史や古史古伝に興味がある人で知らない人はいないこの古文書を受け継いだのが、皇祖皇太神宮(こうそ こうたいじんぐう)である。3000億年前からの歴史が記載されている現代人の常識を覆す内容は神代文字「かみよもじ」で・・・・・・・・・・・・・・


  


  つづきはこちらから ☞  http://mahoroba19.com/archives/7934


 


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https://youtu.be/EuL_Adz4jUU皇祖皇太神宮の由来 皇祖皇大神宮提供)


 https://youtu.be/zvrEdFzsvNY(皇祖皇太神宮 鳴動神事 皇祖皇大神宮提供)


 https://youtu.be/E9_y0Ohl2V8 (皇祖皇太神宮の歴史 皇祖皇大神宮提供)


 


 記事参考 皇祖皇太神宮HP


http://www.kousokoutaijingu.or.jp/


ウイキペディア


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E7%A5%96%E7%9A%87%E5%A4%AA%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E5%A4%A9%E6%B4%A5%E6%95%99


 動画元 http://www.kousokoutaijingu.or.jp/movie/


画像元 Original


画像元 yjimage


https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E7%9A%87%E7%A5%96%E7%9A%87%E5%A4%AA%E7%A5%9E%E5%AE%AE


 


 


 


 


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【奈良弘仁寺】農道を進む!本当にこの先に「お寺」があるのかと思い乍ら先を急ぐ!静かないいお寺だった! [神社仏閣めぐり]

農道を進む!本当にこの先に「お寺」があるのかと思い乍ら先を急ぐ!静かないいお寺だった!


  何時もの事だが、我が「神社仏閣名所旧跡巡り」は、「予定を全く立てていない」風来坊の様な「ぶらり一人旅,」である。今回も何処に行くかは全く未知(!?)であり、何となく南に向けて走っていたら、京都と奈良の県境まで来てしまった。こうなれば今回は奈良の寺院参拝だな!」と決める!24号線を南下し、 169号線に入り、更に南下すると、「帯解寺」という何とも悩ましい「お寺の案内板」が目に入った。ちょっと興味を持ったが、駐車が難しそうだったので、今回はパス。更に進むと、「山の辺の道」という案内板が目に入ったので、中之庄の交差点を左折した。高樋町に至たり、右折。前方に虚空蔵山という山が目に入ってきた。そこに「弘仁寺」というお寺があるという事が案内書に書かれてあったので行ってみる事にした。


  ここ迄来ると、辺り一面は田園風景となる。農道の幅広くなっているところに車を停め、虚空蔵山に向かって歩く。まあ!あぜ道というか、農道を歩いているのだが、「本当にこの先にお寺があるんかい!」という風景が続いた。


  漸く山門に辿り着いたが、境内は広く、特徴あるお堂が・・・・・・・・・・・


 


     つづきはこちらから ☞  http://mahoroba19.com/archives/7919


 


11250063.JPG

参照 弘仁寺HP


http://www.kouninji.org/kouninjiHISTORY.php


画像元 Original


画像元 yjimage


https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E5%BC%98%E4%BB%81%E5%AF%BA+%E5%A5%88%E8%89%AF&rkf=2&ei=UTF-8&imt=&ctype=&imcolor=&dim=widewallpaper#mode%3Dsearch


 


 


 


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長勝寺 全国でも珍しい栄螺 (さざえ) 堂<青森県弘前市禅林街>に参る! [神社仏閣めぐり]

長勝寺 全国でも珍しい栄螺 (さざえ) 堂<青森県弘前市禅林街>に参る!


 


 弘前には、寺が密集している禅林街(上寺通りと下寺通りがある!そこに33の禅寺(全て曹洞宗)が集まっている!全国的に珍しい)という場所がある。その中の長勝寺に、市指定有形文化財の、八角形の仏堂がある。(鍵は蘭庭院が管理している)内部は右回りの回廊と直進階段を併用して昇り降りします。東北では2つだけ(もう1つは福島県)しかなく貴重な建物となっているとのことです。


 外観見学は自由。


館内の拝観は事前に蘭庭院に連絡する。鍵を渡して貰える。


 【栄螺堂概要】: 栄螺堂は禅林街(弘前藩2代藩主津軽信枚が弘前城の南西方向の出丸として領内の曹洞宗寺院を33カ寺を集めた寺町)、「上町通り」に位置し、天保10年(1839)に天明、天保と大飢饉が続き弘前でも多くの餓死者が発生し無縁仏となった死者や、海難で命を失った死者の御霊を弔う為、豪商中田嘉兵衛が・・・・・・・・


        


    つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7912


 


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記事参考 


http://www.aotabi.com/ao/hirosaki/sazae/05syasin.html(青森県歴史観光案内所HP


http://www.aptinet.jp/Detail_display_00002206.html


画像元 yjimage Original


画像元 yjimage(一部)


https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E9%95%B7%E5%8B%9D%E5%AF%BA+%E3%81%95%E3%81%96%E3%81%88%E5%A0%82


 


 


 


 


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日本唯一の「四方懸造」の建築様式を誇る笠森観音を参拝する! [神社仏閣めぐり]

日本唯一の「四方懸造」の建築様式を誇る笠森観音を参拝する!


    小生の現役時代の最初の赴任は、昭和45年千葉支店で、2年半在籍し、昭和55年再び千葉支店へ、2年半で、長野へ転勤、松本、本社と経て、平成7年再び千葉支店へ。(同じ支店に再赴任することは先ずありませんが、小生の場合は3度も赴任)そんな訳で、千葉全県の得意先を担当する。この笠森漢音は、ある時偶然に見つけたのであるが、千葉県の略真ん中に位置する為、商談待ちの空き時間などによく行った寺院です。お寺は笠森のど真ん中にあり、鬱蒼とした森は、空気も澄んでおり、静かで癒されました!


 笠森観音は、延暦3年(784)伝教大師最澄上人が楠の霊木で十一面観世音菩薩を刻み山上に安置し、開基されたと伝えられています。


観音堂は長元元年(1028)後一条天皇の勅願により建立され、その建築様式は日本唯一の「四方懸造」として明治41年(1908)「国宝」に、その後昭和25年(1950)「文化財保護法」の制定により「国指定重要文化財」となっています。 周辺の山々は「県立笠森鶴舞自然公園」に指定されており、特に観音山は昭和45年(1970)「国指定天然記念物笠森自然林」として保護されています。


また笠森寺は「坂東三十三観音札所」の第三十一番札所として古来より巡礼の霊場となっています。


 山号       大悲山


宗派       天台宗


本尊       十一面観世音菩薩


創建年    延暦3年(784年)


開基       最澄


正式名    大悲山 楠光院 笠森寺


別称       笠森観音


霊場等    坂東三十三観音霊場 第三十一番札所


文化財    観音堂、釣燈籠(国の重要文化財)


住所  千葉県長生郡長南町笠森


 【笠森寺観音堂】


「日本でただひとつ『四方懸造り』として・・・・・・・・・・・


  


   つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7900


                 (笠森観音の動画もあります)


8yjimage.jpg

 


 記事参照 笠森観音HP


http://kasamori-ji.or.jp/story/


動画 https://youtu.be/Zn_fUFwxehg(笠森観音提供)


画像元 Original 


画像元 yjimage https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E7%AC%A0%E6%A3%AE%E8%A6%B3%E9%9F%B3+%E5%8D%83%E8%91%89%E7%9C%8C


 


 


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1,400年以上の歴史を誇る榛名神社!独特な奇岩・眷属から発せられるパワースポット! [神社仏閣めぐり]

1,400年以上の歴史を誇る榛名神社!独特な奇岩・眷属から発せられるパワースポット!


 


1,400年以上の歴史を誇る榛名神社!火の神と土の神を祀り、開運や五穀豊穣、商売繁盛のご利益があるといわれています。また、は神聖な空気が漂うパワースポットとして多くの人たちが参拝に訪れている人気スポットです。


 【主祭神】


 ・火産霊神 (ほむすびのかみ、火の神)


 ・埴山毘売神 (はにやまひめのかみ、土の神)


 【合祀神】


 ・水分神 (みくまりのかみ、水の分配を司る祈雨の神)


 ・御沼おかみ神 (みぬまのおかみのかみ、水の神)


 ・大山祇神 (おおやまづみのかみ、大いなる山の神)


 ・大物主神 (おおものぬしのかみ、大国主神の和魂)


 ・木花開耶姫神 (このはなのさくやひめのかみ、木花を咲かせる水の神)


 


綏靖天皇の時代に饒速日命の御子、可美真手命父子が山中に神籬を立て天神地祇を祀ったのが始まりといわれ、用明天皇元年(586年)に祭祀の場が創建されたと伝えられる。


延長5年(927年)完成の延喜式神名帳に上野国十二社として位置づけられている。古くから神仏習合が定着し、山中には・・・・・・・・・


  


    つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7891


  


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参照 ウイキペディア


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A6%9B%E5%90%8D%E7%A5%9E%E7%A4%BE 開運の神社・パワースポット「関東編」


http://jin-power.com/modules/todoufuken/index.php?content_id=61


榛名神社HP


http://www.haruna.or.jp/


高崎市HP


http://www.city.takasaki.gunma.jp/kankou/history/harunajinja.html


 画像元 yjimage Original


 


 


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「今を変えたいひと」が訪れ参拝する 「別当達谷西光寺と達谷窟毘沙門堂!(岩手県平泉)最強のパワースポット! [神社仏閣めぐり]

「今を変えたいひと」が訪れ参拝する 「別当達谷西光寺と達谷窟毘沙門堂!(岩手県平泉)最強のパワースポット!


 


 平泉の諸堂が存在する「中尊寺」を「毛越寺」などの寺域から、西方向に更に行くと岩にへばりついたような、ユニークなお堂がある。パンフレットか何かで、見たときに、是非訪れたいと思っていたお堂である。


さてそのお堂であるが、達谷窟(たっこくのいわや)毘沙門堂と称され、1200年も昔に開かれた由緒あるお堂。奥州藤原3代が栄華を極めた頃より更に昔のことで、岩肌にくっ付くように建てられた毘沙門堂が特徴的である。再生や金運UP、縁切りと、「現実を変えたい」と願う人にお勧めのパワースポットとなっている。


この達谷窟は、別当・達谷西光寺(たっこくせいこうじ)にあります。お寺なのに鳥居があり毘沙門堂は神域で・・・・・・・・・


  


  つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7875


 


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トラベル アップ


http://guide.travel.co.jp/article/3762/


画像 Original (東北北統轄支店在勤中撮影)


 


 


 


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児持山七社、あるいは吾妻七社明神と称される神社の一つ。通称は、和利宮!吾妻神社(群馬県中之条)を参拝す! [神社仏閣めぐり]

児持山七社、あるいは吾妻七社明神と称される神社の一つ。通称は、和利宮!吾妻神社(群馬県中之条)を参拝す!


 


 現住所と仕事先と異なる身であるため、長野と千葉間を往復しなければならない宿命(!?)を持つ。高速長野道 ☞ 関越道を使うルートが普通だと思うが、同じ道を通るのも芸がない。という訳で、夏場は、群馬県嬬恋村から中之条、国道17号に抜けるルートを利用することが多くなった。


  急ぐこともない移動なので、途中神社仏閣名所旧跡が目に入れば、時間を取って、寄り道することが多い。


  という訳で、中之条を通り掛かった際、大きな鳥居が目に入ったので、車を降り、参拝することにした。


 御祭神


大穴牟遲神


菅原道眞 大山祇命 火産靈命 速須佐之男命


天照皇大神 大日靈命 軻遇突知命 豊宇氣姫命


豊受大神 宇氣母智神 宇迦之御魂神 大物主命


日本武尊 埴山比賣命 市杵嶋姫命 別雷神


速玉男命 伊弉冉命 事解男命 建御名方命


八坂刀賣命 経津主命 天之御中主尊


木花開耶姫命 橘姫命 武甕槌命 麓山祇命


祭神不詳二十六座


 


【創祀年代は不詳】


 一説には和銅年間の創祀とも伝えられる古社だが・・・・・・・・・・・・


  


   つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7865


 


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画像 Original


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下総国一宮・東国三社の一社・宮中の四方拝で遥拝される一社として格式ある香取神宮を参拝する! [神社仏閣めぐり]

下総国一宮・東国三社の一社・宮中の四方拝で遥拝される一社として格式ある香取神宮を参拝する!


 


 香取神宮は、千葉県香取市香取にある神社。式内社(名神大社)、下総国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。関東地方を中心として全国にある香取神社の総本社。茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社。また、宮中の四方拝で遥拝される一社である。


 千葉県北東部、利根川下流右岸の「亀甲山(かめがせやま)」と称される丘陵上に鎮座する。日本神話で大国主の国譲りの際に活躍する経津主神(フツヌシ)を祭神とすることで知られる、全国でも有数の古社である。


 古くは朝廷から蝦夷に対する平定神として、また藤原氏から氏神の一社として崇敬された。その神威は中世から武家の世となって以後も続き、歴代の武家政権からは武神として崇敬された。現在も武道分野からの・・・・・・・・・・・


 


       つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7855


 


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記事・画像 引用・参考元 wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E5%8F%96%E7%A5%9E%E5%AE%AE


画像元 original


 


 


 


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銀杏山神社の大銀杏に感動! 今回も走りに走ったり! 秋田・青森の「ぶらり一人旅!」 [神社仏閣めぐり]

銀杏山神社の大銀杏に感動! 今回も走りに走ったり! 秋田・青森の「ぶらり一人旅!」

   いつもの通り何処に行くとも計画は無く、盛岡のアパートをフラッと出て、「さて今日は何処に行こう!?」と考えながら車を走らせる。交差点の標識などを見て、衝動的に、ハンドルを切っていくのだが、「本日は、仙岩峠を超え・・」どうやら(!?)秋田県に向かい車を走らせる気配になってきた。

 仙岩峠を抜け、何回も来ているが、田沢湖に寄ることにした。日本一の水深を誇る湖だ。本日は湖の北側に行ってみることにした。御在石神社を参拝。「当て無き気儘旅」の無事を祈る。ここで漸く、「今日は何処に行こうかな!?」と地図を広げ、(当時は未だカーナビは一般的ではなかったからこう言うアナログ対応でドライブしたものだ!)序にお断りしておきますが、この記事も、盛岡在勤中に撮った画像をもとに、当時を思い出しつつ書いているので、予めご承知おきください!

 先日ある人に逢ったら、「毎日いろんなところに行けて優雅な生活を送っていますね!」と言われ、「??!!」当の本人が何を言われているのか分からなかった。昨日は青森、今日は秋田、その間に京都在勤中の長岡京の記事を挟み、明日は都内の深川不動尊などとやっている訳で、こりゃあ!成程優雅だ!!! 実際は前述したように、当時から溜め置いた画像を基にしている丈ですので‥‥!!!ご承知おきください。

 さてこれからどうしようかと思案したのだが、本日は、この御在石神社から、西方向に、相内潟に出る道があることが解り、そこから・・・・・・・・・・・・・・

  

つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7832

 

PA120355.jpg

 

 

(※五社堂・鵜ノ崎・唐松神社については既報 http://mahoroba19.com/archives/7497 をご覧ください!)

 参照元 秋田県能代市HP 環境産業部 観光振興課

http://www.city.noshiro.akita.jp/c.html?seq=951

画像元 青森県観光情報ネット アプテイネット

http://www.aptinet.jp/Detail_display_00000073.html

その他画像 Original

 


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【神社仏閣巡り】金剛山鑁阿寺(ばんなじ) 足利の大日様で名が通っている古刹!【真言宗大日派の本山】 [神社仏閣めぐり]

【神社仏閣巡り】 金剛山鑁阿寺(ばんなじ) 足利の大日様で名が通っている古刹!【真言宗大日派の本山】


  


なにやらこの難しい寺の名前は、鑁阿寺(ばんなじ)と読む。地元では、この難しい呼び名は、あまり使われる事は無さそうで、「足利の大日様」の呼び方で通っているそうだ。


 私は現住所が千葉県の習志野で、信州の方は、仕事の都合で、使っているのであるが、小生の実家である。両親は10年ほど前亡くなっていて、長男である私が、管理方々住むようにしているのである。


  夏場は、距離や時間の関係で、高速長野道を使わず、峰の原・菅平両高原を経由し、明神沢を抜け、四阿高原を通り、鳥居峠越をし、群馬県嬬恋村から、国道17号に至り、そこから高速に入り、川越に抜けるコースをよく走った。そんな関係で、桐生市辺りはよく通ったのだが、そこら辺を走っていると、よく足利学校の案内板を見かけたので、距離は大分あり、寄り道になってしまうのだが、1度は行ってみようと思っていた。


 足利学校は、日本最古の学校という事だが、念願敵って,見学することが出来た。足利学校は稿を改めます。さて足利学校の見学を終えて、他に何か見所がないかなあと思っていたら、極近くに古いお寺があったので行ってみた。


 金剛山鑁阿寺という寺院だったが、先ず思った事・・・・・・・・・・・・


 


      つづきはこちらから ☞  http://mahoroba19.com/archives/7770


 


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 所在地


足利市家富町2220Tel.0284-41-2627(鑁阿寺)


 


 記事参照 栃木県足利市「素通し禁止 足利」


http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/site/ashikaga-kankou/i-bannaji.html


記事参照 大日尊鑁阿寺


http://www.ashikaga-bannaji.org/kentiku.html


 


画像元 yjimage 本人Original 


 


 


 


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【神社仏閣名所旧跡巡り】 紫陽花と五百羅漢の寺 夥しい数の羅漢像!1つ1つ違う表情に和む! [神社仏閣めぐり]

【神社仏閣名所旧跡巡り】 紫陽花と五百羅漢の寺 夥しい数の羅漢像!11つ違う表情に和む!


 本日は休日だが、仕事の段取りが悪く、納品のトラブルの後処理をしなければならなかったので出勤日となってしまった。セールス持参と相成る。向かう先は市原。さして距離は無く、ここ一軒丈の訪問。休日出勤扱いにはしなかったので、終わったら一寸趣味の「神社仏閣名所旧跡」でもしよう。そんな訳だから、例の如く、行き先は決まっていない。


 得意先には、8時半に到着。不手際をお詫びし、商品を納入させて戴いた。これで仕事は終わり。


  ちょっと房総の奥の方に行ってみようと思い、21号線に出たので、北方向に走る。東国吉に出たら、128号線に入る交差点に出たので、右折。暫く走ったら、中野という場所に出た。「紫陽花と五百羅漢の光徳寺」という案内板が・・・・・・・・・


  


   つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7759


 


admin-ajax.jpg

 


 http://chiba-saibu.net/index.pl?actmode=Map


 


 


 


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【神社仏閣巡り】 東京の銭洗い弁天といわれる小網神社(東京都中央区日本橋小網町)に参拝する! [神社仏閣めぐり]

【神社仏閣巡り】 東京の銭洗い弁天といわれる小網神社(東京都中央区日本橋小網町)に参拝する!


  所用があって日本橋に来た。商談は順調に行った! 帰り道、違う道を通って、駅に向かって歩いていたら、鳥居の前に、社名の入った提灯が目に止った。都区内の神社なので、規模は小さく、社殿などが窮屈そうに立っている。それでも境内は緑を目一杯配していた。本日の仕事がうまくいった報告をし、手を合わせた。


 ご祭神は、倉稲魂神(稲荷大神)


市杵島比売神(弁才天)


福禄寿 他


 【小網神社御由緒】


  武蔵国豊島郡入江というところに、万福庵という観世音と弁財天とを安置する庵がありました。この庵は恵心僧都の開基で、観世音と弁財天も僧都の作と伝えられています。開基の年代は明らかではないが、恵心僧都の生存期を考えれば、今からおよそ千年前ということになる。


  文正元年(西暦1466年)、入江一帯で悪疫が流行し、人々は困り果てていました。そんな中、網師の翁が海上で網に掛かった稲穂を持って庵を訪れ・・・・・・・・・・・


  


  つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7751


 


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 強運・厄徐 東京銭洗い弁天 小網神社


http://www.koamijinja.or.jp/history.html


画像元 Original


一部(龍・銭洗い風景)yjimage


https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E3%81%93%E3%81%82%E3%81%BF%E7%A5%9E%E7%A4%BE+%E6%9D%B1%E4%BA%AC


 


 


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【神社仏閣名所旧跡巡り】 出羽三山ご祭神(山形県鶴岡市羽黒町手向7羽黒山頂)を合祀した出羽三山神社! 巨大な萱葺き屋根の社殿に圧倒される! [神社仏閣めぐり]

【神社仏閣名所旧跡巡り】 出羽三山ご祭神(山形県鶴岡市羽黒町手向7羽黒山頂)を合祀した出羽三山神社! 巨大な萱葺き屋根の社殿に圧倒される!


 


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  出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)の三神をあわせて祀る三神合祭殿とのこと。出羽三山とは羽黒山、月山、湯殿山の総称で、明治時代までは神仏習合の権現を祀る修験道の山であった。明治以降神山となり、羽黒山は・・・・・・・・・


  


   つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7739


 


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出羽三山神社HP


http://www.dewasanzan.jp/


画像 Original


 


 


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日本三大長谷観音がご本尊の、赤田長谷観音(秋田県由利本荘市)を訪れる! [神社仏閣めぐり]

日本三大長谷観音がご本尊の、赤田長谷観音(秋田県由利本荘市)を訪れる!

 

 盛岡に転勤となって、早や2年が立った。我が社は大体2年半から3年で転勤になる場合が多い。この2年間、北東北の3県については、本当によく回った。しかし南東北3県は行った事が余りなかったので、これからこの3県へ意識的に行ってみようと相成った。という訳で、この3連休は、出羽三山周辺に行ってみようと思い立った。

 さてその初日、例によって何の準備もせず盛岡を出発。兎に角ひたすら車を走らせた。今回は、仙岩峠から、田沢に出て、大曲へ。前回は横手、湯澤・雄勝を通って、山形県に入ったので、今回は別のルートにしようと、108号線を走ることにする。(未だカーナビなど普及していなかった時代)漸く由利本荘市に到着(後で地図を見たら怖ろしく遠回りをしたことが解り唖然!)。ここで城跡などを散策し、「さて今日はどうしよう」と初めて検討。地図を見ていると、「赤田観音」というのが目に留まった。そんな動機で赤田観音=長谷寺(ちょうこくじ)を訪れたのであった。

 秋田三十三箇所観音霊場第8番札所。正法山長谷寺は、1775年(安永4年)、亀田藩の僧是山泰覚により・・・・・・・・・

  

    つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7710

 

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記事・画像 original

盛岡在勤中の画像です。

参考元 wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%AF%BA_(%E7%94%B1%E5%88%A9%E6%9C%AC%E8%8D%98%E5%B8%82)?action=edit

 

 

 

 

 

 


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この南屋島の権現様が祀られている場所は、昔の千曲川の渡しの舟付場であった。対岸は須坂である。 [神社仏閣めぐり]

 この南屋島の権現様が祀られている場所は、昔の千曲川の渡しの舟付場であった。対岸は須坂である。




 度重なる洪水で、この付近の堤防が幾度となく決壊していることから、水難除けの神が祀られた。南屋島では、権現様は皇大神宮(産土神)と共に里人の心の拠り所になっている。この場所には、土手側から、真中社、戸隠社、金毘羅宮、水天宮が祀られています。

 【千曲川】 南屋島河原に祀られている権現様ほか 千曲川の安全を見守る!
 https://youtu.be/JDfbtzpB4wE

 【千曲川】 屋島橋河原 千曲の流れ滔々の調べも激しき今宵かな!(須坂高校逍遙歌の一節)
 https://youtu.be/NgpsF_7ALGA 屋島橋直下

 【花紀行】 千曲川ふれあい公園[小布施]  河原の菜の花畑
 https://youtu.be/xmtulx0I50M  小布施橋直下

 【さくら紀行】千曲川村山鉄橋下 権現堂桜並木 日本の原風景なり
 https://youtu.be/2YXsTmYquhw 村山橋直下

 真中社・・内務省直轄水害防止工事を指揮した役人の中村真三氏をはじめとする工事関係者に・・・・・・・・・・



  



       つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7663



 


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【神社仏閣めぐり】 京の都ぶらり一人旅! 随心院唐棣<はねず>踊り見聞記! [神社仏閣めぐり]

【神社仏閣めぐり】 京の都ぶらり一人旅! 随心院唐棣<はねず>踊り見聞記!

 

 今日は雨模様でしたが、「唐棣<はねず>踊りは、屋外から屋内に切り替えて行われました。唐棣とはうす紅色のことをいいますが、京の山科小野の、真言宗「善通寺派曼荼羅寺随心院門跡」は紅梅の名所としてつとに有名ですが、特にこの寺の紅梅は、唐棣と呼ばれ、古くから親しまれてきました。

 この随心院は、小野小町縁の寺で彼女を慕う深草の少将の百夜通いの話は有名です。少将は誠に悲運と言うか、悲願をこめて、通い続けたにも拘わらず、99日目の大雪の日に、代人を立てたのが運の尽きで、儚い恋に終わってしまったのであります。<98日も頑張ったのだから、幾ら雪でも自分で行くべきでしたなあ。「そんな雪でもよう来て下さいました」なんて感激されてハッピーエンドだったものを!!! 根性が無かったなあ!!!残念!!!>

 

その後の小町は、毎年「はねず」の咲く頃、老いの身も忘れたように、里の子供たちと、楽しい日々を過ごしたと言う。

 

「はねず踊り」は、この随心院に伝わる、小野小町の伝説を、テーマとしたものであるが、童歌の類の常として・・・・・・・・・・・・・・・・

(小生京都在勤中の記事です)

  

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【神社仏閣めぐり】山形ぶらり一人旅! 注連寺参拝! ご住職につきっきりで案内して戴いた! [神社仏閣めぐり]

【神社仏閣めぐり】山形ぶらり一人旅! 注連寺参拝! ご住職につきっきりで案内して戴いた!


 


 さて大日坊を後にして、坂を下っていくと、「注連寺」という案内板が目に入った。最初大日坊の別名なのかなと思ったが、方向が全く異なるような感じなので、兎に角矢印に沿って走ってみた。大日坊とはまた違った山の斜面にそのお寺はあった。外見はそこかしこにあるような全く何処にでも見られるようなお寺だった。「まあ折角来たのだから参拝ぐらいはして行こう」と思い、階段を上がり、お寺の正面に出た。そこには善光寺のご開帳で言うところの「回向柱」が立っており、柱からは、お寺の扉に向かって「善の綱」が伸びている。「あれこのお寺もご開帳なのかな???」と思った。


 さてご本尊の正面に立って、先ず「鈴」を鳴らしたら,脇の扉から、ご住職と思われる方が突然出てこられたので、こっちは少々面食らった。私は、先ずお寺などに立ち寄ると、正面入り口のところや、仁王門、そして、その門を背にして、お堂の正面を先ず写真に撮ります。おそらくご住職は、私が階段を上がり切ったあたりで、「(なにやら変てこな親父が朝早くから)入って来たな!!!」と私の姿を・・・・・・・・・


  


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即身仏


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【神社仏閣名所旧跡巡り】 籠神社 日本創生の秘密をにぎる元伊勢神宮(奥宮眞名井神社)! [神社仏閣めぐり]

【神社仏閣名所旧跡巡り】 籠神社 日本創生の秘密をにぎる元伊勢神宮(奥宮眞名井神社)!


 このところ「ミステリーな記事」をUPしているが、今回は「籠神社」に付いてです。


 【アマテラス御巡幸】


 神武天皇から9代の間は、神と天皇が皇居の中にいっしょにお奉りされる同殿同床でした。 10代目の崇神天皇・6年のときに神慮を畏み、倭笠縫邑[やまとかさぬいむら]にうつして、皇女豊鍬入姫命が奉斎することとなり、同58年に御室嶺上宮[みむろのみねのうえのみや]を奉斎地と定めて終わりました。それから2年後、自らの役目を姪[いもうと]である皇女倭姫命に託し、御杖として、天照大神を奉らせました。倭姫命は天照大神の鎮まるべきところを求めて、各地を巡幸し、最終的に伊勢国に辿り着き


「この神風の伊勢の国は常世の浪の重浪よする国なり。                  傍国のうまし国なり。この国に居らむと思う」


との神慮を得て、五十鈴の川上に鎮座されたのが内宮のはじまりとされています。


 


1番目ご巡幸地の籠神社】


天照大神が最初に巡幸した神社で元伊勢のひとつ。もともと丹後国の総氏神である籠神社の祭神・豊受大神(とようけのおおかみ)と共に祀られた。20数社ある元伊勢のなかでも随一の・・・・・・・・・・・・・・


  


つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7555


 


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記事・画像 引用・参考元 Yahoo News 


https://loco.yahoo.co.jp/place/g-CXgwQ8jO_U2/?utm_source=dd_spot&sc_e=sydd_spot_ttl


    http://japantemple.com/2017/03/28/post-2321/


画像元 original


 巡幸図引用 


https://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/53070432.html?__ysp=44Ki44Oe44OG44Op44K5IOW3oeihjA%3D%3D


地図は近江雅和『記紀解体─アラハバキ神と古代史の原像』より


アマテラスと豊鍬入姫及び倭姫の「元伊勢」巡行順路(「倭姫命世紀」などの記述から)


 


 


 


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秋田の旅 赤神神社五社堂 ☞ 日本の渚100選 鵜ノ崎海岸 ☞ 唐松神社の旅! 雨の中秋田のパワースポットを走り抜ける! [神社仏閣めぐり]

秋田の旅 赤神神社五社堂 ☞ 日本の渚100選 鵜ノ崎海岸 ☞ 唐松神社の旅! 雨の中秋田のパワースポットを走り抜ける!


 又もや思い付きで、秋田の海岸端を走り、青森との県境を過ぎ、黄金崎不老ふ死温泉  の露天風呂に入って、Uターンし今度は南下する。八郎潟に入り、略一周し、男鹿半島入道崎に出て、更に鵜ノ崎海岸を抜け、盛岡への帰路に付く。しかし、なんだなあ!疲れちまったよ! マダマダ見所はありそうだし、急ぐ旅でもねえし!そんなことを考えながら、暗くなってきた海岸端を走り抜く!そうこうしているうちに、男鹿に着く。丁度駅前に、古い旅館があったので、今日はここに泊まることに決めた! もう7時ころだったが、何とか泊めて貰うことが出来た。


 翌朝小雨模様だったが、昨日来た道を逆走し、鵜ノ崎海岸を抜け、赤神神社五社堂を目指す。


 【赤神神社 五社堂】そのⅠ


 鬼が積んだ999段の階段。


五社堂への石段には地元では有名な言い伝えがあります。およそ2000年の昔、漢の武帝が5匹のコウモリを連れて男鹿にやってきた。コウモリは5匹の鬼に変わった。武帝は5匹の鬼たちを家来として使ったが、1年に一度正月を休みにさせました。鬼たちは大喜びして里へ降り、作物や家畜を奪って大暴れし、ついには里の娘までさらっていくようになりました。困った村人たちは、一夜で千段の石段を築くことが出来れば1年に1人ずつ娘を差し出すが、もし出来なかった時には二度と里に降りてこない、という賭けをしました。鬼たちは精魂を尽くして積み上げあと一段!正に完成寸前、というところで「コケコッコー」と一番鶏の鳴き声。鬼たちは諦めて、約束通り山奥へと立ち去ったという。この鳥の鳴き声は、モノマネの上手な村人が石段完成を阻むために鳴き真似をしたとか、いつも鬼に馬鹿にされている天邪鬼が腹いせに鳴き真似をしたとか言われている。鬼が来なくなって何か心寂しく感じた村人たちが、年に一度正月15日に鬼の真似をして村中を回り歩く様になったのが、あの・・・・・・・・・・・・・・


  


   つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7497


 


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   記事引用参考元は、それぞれの項の下に明記。


 


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