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乳頭温泉郷(秋田県仙北市) 妙乃湯泉の紅葉は素晴らしくきれいだった! [旅]

乳頭温泉郷(秋田県仙北市) 妙乃湯泉の紅葉は素晴らしくきれいだった!


 


 日本全国から観光客が殺到する秘湯の代名詞となった乳頭温泉郷(秋田県仙北市)。観光客が多く週末になれば人が溢)れかえっているので、今では「秘湯」と呼んでいいのかは分からないが、とにかくそれだけの人を集めるほどの魅力を持つ温泉郷なのだ。


 乳頭温泉郷内には7つの温泉宿があり、全ての宿が独自に源泉を持っているので7つの宿を湯巡りしてもそれぞれ個性の違った湯が楽しめる。


  小生は、この温泉郷には、四季を通じて・・・・・・・・・・・・


  


    つづきはこちらから ☞  http://mahoroba19.com/archives/8012


 


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マイナビニュース


http://news.mynavi.jp/articles/2015/06/23/nyuto/


画像元 Original (註 東北北統轄支店勤務時撮影)


 


 


 


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みちのく一人ぶらり旅】 青森下北半島1周記 恐山 仏ヶ浦 その2 [旅]

【みちのく一人ぶらり旅】 青森下北半島1周記 恐山 仏ヶ浦 その2


[同名のみちのく一人旅・・・・ その1 の続きです!]


 


 3人が乗り合わせていた。


 船は比較的小さなもので、波に揉まれて、結構揺れた。 私は嘗て、千葉支店時代、付き合いで、船で銚子を出港して、大原の沖合いまで出て、「鯛釣り」と洒落たことがあったが、船が停泊して、いざ釣る段になったら、完全な船酔いで、昼飯も食わずに、港に帰る迄の、半日間をただひっくり返っていて棒に振ったことがある。果たしてこの船で大丈夫かしらと思ったが、所要時間20分と短いこともあって、何とか無事に陸に戻れた。 まあからっきし意気地がないのである。


 


 船の上から望む、仏ヶ浦は又格別だった。丁度山のようになっている中腹に、白い岩が群れになって立っているのである。その姿が、仏のように見えることからこの名前が付いたようだ。<実際に仏像みたいに見える岩や、五百羅漢と名がついた岩群もある>


 


 駐車場はこの山の中腹にあり、海面からは、780mは優に登ったところにある。途中から絶壁になっている。帰りはその絶壁を[勿論階段状の歩道になっているが]登っていかなくてはならない。結構息が切れた。


 


 ここを出たのが、1753 出発点から、356kmだった。 もうこれからは特に予定していたところはなく、ただ帰り道を走りに走るのみ。地図を見るとえらい距離を残している。 これから300kmは優にある。そこで考えた。地図によれば・・・・・・・・・・・


  


      つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7428


 


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画像元 original


2001年撮影)


 


 


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みちのく1人ぶらり旅!】 青森県下北半島を1周する! その1 [恐山から仏が裏]編 <盛岡赴任時2001年作成> [旅]

【みちのく1人ぶらり旅!】 青森県下北半島を1周する! その1 [恐山から仏が裏]編 <盛岡赴任時2001年作成>


 


  日本地図を見ると、日本列島が、本当に竜のオトシゴの様に見えるねえ。それでもって、本州の最北端にニョキッと突き出ている下北半島を見て、「こいつを何時か征服してやる」と思っていたところ、ついにそのチャンスが来た。といっても、出発予定時刻を2時間も過ぎて起き出して、もうこの時点で、「ハンデイが付いてしまったワイ」本日は日延べをしようかと思ったが、「まあいいか!!」という事で、8時過ぎの出発と相成った。


  実は下北半島は、勿論青森県だが、そこにある「スーパー前田」というチェーン店は、盛岡の社員が、担当していて、月に一回出張で行くのですが、<今の若い社員は宿泊したがらない>、その日は、走りに走って、600Km位になり、何時も朝6時頃直行して、夜10時頃帰ってくるので、此れは最悪その日の内に帰って来れない事もあり得るからと思い、毛布を積み込んでの出発となった。まあ毛布さえあれば最悪の場合でも車の中でも寝れる。


  マア余談だが、「下北半島を一周する!!!」と宣言したら、小泉首相ではないが、かなり変人扱いされた。「モノズキだねえ!!!」だと!!! まあ「チャグチャグ馬コ!!!」の時の話以来から、「変人扱い」だなあ。 


  俺に言わせりゃあ!!! まあ5・6年も、東北に居て、さんさ踊りも、ねぶたも見た事ねえなんて、こんな勿体無いことはないと思うね。 第一得意先に行って・・・・・・・・・


 


        つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7411


                    [同名の、その2につづく!] 


 


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      画像元 original


     (2001年撮影)


 


 


 


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イメージを一新! 高級カプセルホテル、京都に続々 寝具・内装こだわり! [旅]

イメージを一新! 高級カプセルホテル、京都に続々 寝具・内装こだわり!


 京都市内で「高級カプセルホテル」の開業が相次いでいる。終電を逃した人が一晩を過ごす、狭くて暗いイメージは昔のもの。内装や快適性にこだわり、女性や外国人観光客を主なターゲットにする。観光客の増加でホテル不足や宿泊費の高騰が続くなか、手頃な価格で人気を集めつつある。

■外国人観光客も余裕のスペース■

 飲食店がひしめく京都市中京区の繁華街。15日にオープンした「THE PRIME POD 京都」を訪ねた。

 ベッド付きの個室が上下に分かれてずらりと並ぶ。下段のベッドに横たわると、身長177センチの記者でも余裕のある広さだ。高機能マットレスやアメニティーグッズ、木目を生かした壁など、寝具や内装にもこだわる。芸舞妓(げいまいこ)が行き交う花街・先斗(ぽんと)町に近く、京の五山を見渡せるロビーからの眺望もセールスポイントだ。

 商業ビルの最上階から4フロア分を使ったホテルは全150室。若い女性客の利用も意識して、各階は男女別。標準的な部屋の料金は1泊5千円前後だ。ホテルのリーダー、地引孝夫さんは「若い女性は・・・・・・・・・


 
 

 

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 記事・画像引用・参照元 Yahoo News<朝日新聞社>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170223-00000023-asahi-soci


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連れて逃げてよ~[ムード] ついておいでよ~!? [ムード] [ムード] そんな歌をよそに! こちとら「しがねえ一人旅」でござんす! (;´д`) トホホ! [旅]

連れて逃げてよ~[ムード] ついておいでよ~!? [ムード] [ムード] そんな歌をよそに! こちとら「しがねえ一人旅」でござんす! (;´д`) トホホ!

フーテンの寅さんって言えば、そりゃあ!「葛飾柴又・・」その名の通り、京成「柴又駅」の改札口前の広場には、例のトランク片手に持った銅像が立っています。そこから即、葛飾柴又帝釈天様に向かって、参道が通り、両サイドに古くからの土産物屋、団子などを売る店が軒を並べている。

言わずと知れた、「男はつらいよ!」シリーズのホームグラウンドになったところで、今にも寅さんが、「お兄さん方元気かい!?」などと、手を挙げて、細い目をこっちに向けそうな雰囲気が漂う。

さて本日は、帝釈天を参拝に来たことは来たんだが、裏手に江戸川が流れていて、そこには、「連れて逃げてよ~[ムード] ついておいでよ~!? [ムード] [ムード]」で有名な、「矢切の渡し」があって、未だに・・・・・・・・・・・


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記事引用・参照元
http://www1.edogawa-u.ac.jp/~tokim/00edogawakufw/kumno2.htm
〓 矢切の渡しの歴史的記述部分 引用 させていただきました!   画像 オリジナル?


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仁礼中村地蔵堂 水仙や、蕗の薹が!信濃さんの腰に巻かれた白布のいわれ! [旅]

 仁礼中村から、旧道を、菅平方向に向かい、(新)406号線と交差する地点の手前を左側に入った所にこの地蔵堂がある。畑の中にポツンと立つ、こじんまりとした地蔵堂である。この堂は単に地蔵菩薩を祀ってあるだけでなく、地域の集まりや、冠婚葬祭の行事にも使われている身近な存在となっている。小生の親戚もこの堂の直ぐ傍にあるのだが、叔父・叔母の葬儀もここで執り行われた。近所の多くの方々もお参りに来ていただき、素朴な地蔵堂と相俟って、ほのぼのとした葬儀でした。

 地蔵堂は今は中村地籍になっているが、常盤の道祖神に彫りこんである文によれば、嘗ては常盤組が地蔵堂組と称した時もあったと記されている。この周辺には墓碑とか石仏が多いが、この地蔵堂の入口には、多くの
石像が群をなしている。
 
 仁礼中村地蔵堂 水仙や、蕗の薹が! 信濃さんの腰に巻かれた白布のいわれ!
      
 https://youtu.be/hs4-FXpvkVU ←clickしてみてください! 地蔵堂の動画が出ます!
 
 その石像群の中に、4尺位の石塔がある。表に「天下泰平」「国家安穏」と記してあるが、「信濃さん」と呼ばれている。腰から下の病気に霊驗新たかでありと言われ、今でも真新しい白布が巻かれている。その昔、大峡但馬守と坂田信濃守が争い、信濃守が討ち死にした。その際、「碑を建ててくれ、腰から下の病気なら治してやる。」と遺言したという。以来、近郷の人が訪れて願をかけ、病が癒(い)えるとお礼に腰ミノを奉納してきた。その名残が、腰に巻かれた白布として今でも伝わっているのである。

 撮影中その石塔も目に入り、白布が巻かれていたので、「何なんだろうなあ!?」と思ったが、そういう謂れがあったのだと、撮影後寄った親戚宅で、従弟から聞いて初めて知った。「停年退職して、(こんなところまでやって来て郷蔵や、地蔵などを廻って)気楽でいいなあ!」と言われてしまった。その従弟は小生と12歳の違いがあり、未だ仕事をしている身である。

 






    
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須坂市仁礼中村に保存されている「郷蔵」と、旧宿場町の面影を訪ねる! [旅]

須坂市仁礼中村に保存されている「郷蔵」と、旧宿場町の面影を訪ねる!

大笹街道とは、→須坂市仁礼→仙仁を経て、菅平を抜け、鳥居峠を越え、群馬県妻恋村にて、大笹に出る旧街道のことである。須坂市仁礼は当時の宿場の面影を微かではあるが残している旧宿場町であるが、今は新しい道[国道406号]が出来て、旧街道筋は、地元の人の専用道路(!?)みたいになってしまった。その旧道と新道が交差するところに、「郷蔵」が移築保存されている。以前は、仁礼村の中心地中村地籍にありましたが、財団法人仁礼会の事務所建設に伴い、この場所に移築されました。間口6間、奥行3間、一部に中二階を備え、藩政時代の郷倉の様相をよく伝えていると言われています。

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 郷蔵とは、江戸時代村々にあった年貢米を収蔵した倉のことで、年貢米だけでなく、凶作に備え、非常食として米や雑穀が貯蔵されていました。。のちには貸出しも行われた。郷倉の建物は村有,官有などがあってその村々でまちまちだが,敷地は免税地で,普通村役人が管理した。

 
 江戸時代の仁礼村は、松代藩に属し大笹街道[北国街道よりも距離も短く、関所などもなかったため、この街道を通る人が多かったと言われる]の宿場町として栄えました。郷倉のあった中村周辺には当時の面影を残す豪壮な家並みが残っています。郷倉の建築年代ははっきりしませんが、江戸時代後期に改修工事が行われたことが記録に残っています。
 
 郷倉は別名お蔵(くら)とも呼ばれ、明治以降改築や建替えが行われ、藩政時代の面影を伝える郷倉は急速に姿を消してしまいました。長野県下でも残っているのは非常に少なくなってしまったそうです。注意して車を走らせないと、見過ごしてしまうような郷蔵ですが、合わせて、仁礼中村の旧道を散策し、宿場の面影を訪ねるのも一興です!

    郷蔵 今も残る数少ない郷蔵 蔵の町須坂仁礼中村地区 嘗ての宿場の面影を訪ねる!
    https://youtu.be/ACmaq2Q29UE


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全国でも数少ない「九体寺」 わが故郷の傍にもあった! 蓮台寺 見聞記 ! [旅]

    全国でも数少ない「九体寺」 わが故郷の傍にもあった! 蓮台寺 見聞記 !

 真言宗智山派の古刹で若穂のあじさい寺として知られ、地域の人々が2300株植えたあじさいが淡いピンクや水色、紫色の花で初夏の境内を彩ります。本尊の阿弥陀如来像は重要文化財に指定されており、藤原時代から鎌倉時代の様式を伝えるもの。

 九体寺は現在は非常に少ない数になってしまいました!観光ガイドを見ると、京都浄瑠璃寺1寺になってしまったと書かれていますが、私の実際の参拝録の中には、東京世田谷の浄真寺と、ここに掲載した蓮台寺もこの範疇に入れていいのではないかと思います。特に蓮台寺は、信州という山の奥に、こういう寺院が存在するというのは凄いの一語に尽きると思います。

 この九体寺である蓮台寺の動画を掲載いたします!

   九体寺 蓮台寺 焼けてまっ黒焦げの仁王像2体 信州蓮台寺仁王門 
   https://youtu.be/4FPJr9LpVvA

   九体寺 蓮台寺 参道から鐘楼門まで!日陰で寒いところに立っているご苦労様の六地蔵尊
   https://youtu.be/4YO7KMsG1K4

   九体寺 蓮台寺 参道から鐘楼門まで!
   https://youtu.be/V9zZ8Kk1dVw

   九体寺 蓮台寺 鐘楼門から本堂までの長い階段!寒いのなんのって! 
   https://youtu.be/bdzw8tvzSJ0

   九体寺 蓮台寺本堂内部-何てたって阿弥陀如来さま九体は皆様にお見せしないと!
   https://youtu.be/6ySU0CQRauM

   九体寺 蓮台寺本堂内部-何てたって阿弥陀如来さま九体は皆様にお見せしないと!-02
   https://youtu.be/6ySU0CQRauM

   九体寺 蓮台寺 九体寺であるところをお見せしましょう!
   https://youtu.be/mzRSjZBseF0

   九体寺 雪深き蓮台寺 私の車じゃこの坂を登れない! 
   https://youtu.be/PigdLDwRk20

   九体寺 蓮台寺 雪深き蓮台寺 山蔭で一層雪が深い山寺
   https://youtu.be/f9pLCcgRDvw

   九体寺 蓮台寺 全国でも珍しい!九体寺
   https://youtu.be/Mh9_oRekZ7k
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善光寺 お戒壇巡り・ご印文 考 [旅]

善光寺 お戒壇巡り・ご印文頂戴

 善光寺に参拝すると、色々と印象に残るものがあります。その中でもお戒壇巡りは印象の強いものの一つだと思います。以下それについて記します。

 善光寺の本堂には「お戒壇巡り」という、本尊阿弥陀如来をお祀りする瑠璃檀の地下を巡り、ご本尊の真下につながる極楽浄土の鍵に触れることで極楽往生をお約束されるという場所があります。

 この「お戒壇巡り」は、全く何も見えない真っ暗闇の空間を進んでいきます。右手の壁を伝いながら、不安の中を進んでいくと腰の高さあたりに「ご本尊から繋がる極楽の鍵」があります。不思議なもので、いったん鍵に触ると、あとの闇は不安もなく出口へと進むことが出来る様な気になります。目の前にその僅かな光を見る時、ほっと安堵の念を抱きます。あって当たり前と思っている光のありがたさ、目の見える尊さを再認識すると思います。

 この様にお戒壇巡りは、秘仏の御本尊様の下を巡って、仏様の分身ともいえる「お錠前」に触れることにより、仏様と縁を結び極楽往生の約束をしていただき、人間の本来持っている仏縁の種を大切に育ててゆくことを仏様に誓う謂わば「行」であります。

 つい10数年程前までは、経帷子(きょうかたびら)を着て草鞋(わらじ)を履き、手には白木の念珠をし、口には「南無阿弥陀仏」とお念仏を唱え、死出の旅路の装束でお戒壇巡りをする風習がありました。これは、善光寺で極楽往生の約束をいただき、いざ今生の別れを迎える時、その装束をして極楽へお連れ戴くためのものでした。[昔は本堂外陣に信者は寝泊まりして参拝に訪れたそうです]

 お戒壇の中の暗闇は、無差別平等の世界をあらわしているとされています。日頃、余計なものに眼を奪われて、ものの本質を見誤ったり、争ったり、嫉妬したり、むさぼったりして、結果は悩みに陥るのです。ところが、暗闇の中では、私たちは種々のとらわれの心を離れ、極楽のお錠前を探し当てることに専心します。つまり、仏様の世界に入って行くことができるのです。

 人の「仏になる種」が植えられています。仏種(ぶっしゅ)とも仏性(ぶっしょう)とも言われているのがそれに当たります。原石に磨きをかけることで美しい輝きを放つのです。私たちのこころも同様です。お戒壇巡りをすると、眼の不自由な方の日々の苦しみ、不安をご理解することも出来ます。そうした方々に手を差し伸べる、そんな僅かな親切が、心の仏種に水を与えることになるのです。日常の小さな親切、思いやりの精神こそ、こころの中にあるダイヤモンドの原石を磨くことに他ならないという訳です。阿弥陀如来様からご縁をいただくことで、こころの中にある「仏となる種」を大きく育てているのだ、という気持ちでお参りすると、より一層有意義なものとなると言われています。

 
 ※ 「お血脈」という善光寺を舞台にした落語があります。当時、百疋(ぴき)のお金を善光寺に納めると、ありがたい錦(にしき)の袋に入った御血脈の御印を額に押してもらえたそうです。押して貰うと、どんな大罪を犯していても罪障消滅して極楽へ行けるといわれ、それが流行った結果、世の中は極楽往生するものばかりで、地獄に行く者が居なくなった。地獄は開店休業状態と相成り、さー!そこで困ったのは閻魔大王!地獄の衰退を悲しみ、何か良い考えはないかと、急遽、対策会議を招集して、アイデアは求めたところ、悩みの種となっている、善光寺の御血脈の御印を盗み出してしまえばいいと結論が出た。地獄には大泥棒が揃っているので、 大勢居る中、石川五右衛門が選ばれた。五右衛門は閻魔大王の前に出て、芝居がかりの衣装とセリフで請け応えた。人目に付かない様にと街に出てきたが、まだ昼だったので新宿末広亭の昼席に潜り込んで夜になるのを待った。さあて!日も暮れたので、得意の忍術で善光寺にひとっ飛び!深夜、善光寺に忍び込んだが、どうしても御印が見付からなかった。諦めて、閻魔大王様に謝ろうと帰り掛けたその時!棚の隅の桐箱に入っていた御印を見付け出した。大泥棒の面目躍如!
 
 調子づいた、芝居心が旺盛な五右衛門、よせばいいのに、大見えを切って! 「ありがたやあ!かたじけねぇ! まんまと善光寺の奥殿に忍び入り、取ったる血脈の御印。これせぇあれば大願成就、ありがたや、ちぇ、かたじけなや」と、額に押しつけたら、功徳その儘に、自分自身がそのまま極楽に行ってしまった。それじゃダメじゃん! こんなネタができるほど、善光寺は極楽往生を願う人々の信仰を集めていました。

 引用元 ↓
 善光寺HP
http://www.zenkoji.jp/houwapost/%E7%AC%AC4%E5%9B%9E%E3%80%80%E3%81%8A%E6%88%92%E5%A3%87%E5%B7%A1%E3%82%8A/
落語「御血脈」の舞台を歩く
http://ginjo.fc2web.com/257oketimyaku/oketimyaku.htm

 以下2タイトルは小生撮影動画です。
  https://youtu.be/X-7SGmWJD64 御戒壇巡り ←人を馬鹿にしたような動画ですが、はっきり言って
                        カメラを回せばこれしか映りません!ご容赦!
  
  https://youtu.be/dZ2UAGq4BvM 御印文頂戴 ←和尚様に怒られてしまった!
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善光寺 お数珠頂戴 [旅]

 善光寺は毎朝お朝事と言って、朝のお勤めをしているが、大本願、大勧進のお貫主様、お上人様が、本堂にお上がり、お下りされる際、お二人によって、本堂前の石畳に膝まずいた参拝者の頭に、お数珠を戴く。これを「お数珠頂戴」と称される古来よりの風習である。善光寺如来さまの身近にお仕えなされるご住職のお数珠を戴くことにより、如来様との仏縁を与えられ、御仏の救いにあずかれるとともに、これからの人生を無病息災で過ごせると伝わる。
      長野まち歩き研究会編 「善光寺と長野を歩く」から 引用                
      
      https://youtu.be/Fei6h-9cVYo ←小生撮影
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岩手山トレッキング&盛岡市内の宮沢賢治、石川啄木の足跡を訪ねる旅 [旅]

 
 八幡平は北緯39.5度の地である。標高1、700m~2,000mの山々だが、日本アルプス級の山と同じ高山植物が見る事が出来る。比較的平易な山岳路で3千mクラスの登山気分が満喫できるのだ。今回は松川温泉から、東北一高い標高の藤七温泉を経由し八幡平山頂レフトハウスに出た。ここは岩手・秋田の県境でもある。1年に何回も無いという素晴らしい天候に恵まれて、展望台からは遠く秋田・山形県境の鳥海山まで見廻せた。空はどこまでも真っ青である。今日はそこから八幡沼・ガマ沼展望台コースに沿ってトレッキングだ。今日は八幡平自然散策ガイドの会会長の泉館健一さんがガイドをして下さった。道は整備され歩き易い。鏡沼・メガネ沼・ガマ沼・八幡沼などが点在し、そこかしこにかれんな高山植物が咲き誇り、時折ウグイスなどの声も聞こえる。ガイドさんの「自然はいったん壊してしてしまったら回復すのに多くの時間が掛かる」という説明などを聞きながら、自然の偉大さ・大切さを思いながら都会の喧騒から離れた一時を過ごす事ができた。また黒谷地原にも足を伸ばしてみた。途中熊の泉があり、湧き水が飲める。冷たくて美味しかった。まためったに姿を現さないというホシガラスも休息所の傍の白樺の木に羽を休めしばし我々の目を楽しませてくれた。

 今年は石川啄木と宮澤賢治のそれぞれ生誕120年・110年の年に当たる。盛岡市内のゆかりの地を訪れるのも一興だ。今日は盛岡ふるさとガイドの会の福島紀子さんが一日案内をして下さった。盛岡駅から僅かに行ったところに「イーハトーブアベニュー材木町」があり、「注文の多い料理店」を出版した賢治ゆかりの「光源社」や、賢治像・詩碑などが点在する。またここから歩いて5分程のところに、啄木夫婦が父母・妹とともに3週間過ごしたという「啄木新婚の家」がある。また不来方(こずかた)城公園には、啄木の有名な「不来方のお城の草に寝転びて空に吸われし15の春」という碑が建てられている。この様に啄木・賢治も生家から盛岡に出て初恋もし、また文学に夢を馳せた最も「夢多き青春の街」だったのである。中の橋通りには「もりおか啄木・賢治青春館」がある。旧第九十九銀行本店を保存活用した施設(入館無料)で、重要文化財に指定されている。学芸員の新田英子さんの説明も郷土愛に満ちた案内だった。一方旧渋民村(盛岡市に合併)の「啄木記念館」も是非訪れたいところ。啄木関連の展示物の他に、隣接し啄木が実際に教鞭を執った「渋民尋常高等小学校」の歴史的建造物の教室の椅子に座って、嶋千秋館長自ら講義する「啄木入門講座」を受講するのも良い旅の思い出になる。「啄木がもう十年生きる事が出来たら生活も安定し違った境地の作品を作る事ができたのではないか」嶋館長の啄木を思う気持ちが込められていた。熱弁の授業が終わった後一人一人に受講終了証書が渡された。3917回目の授業だった。
  盛岡観光協会のモニター取材会に参加した際の「ザ・ファミリー」掲載の原稿の転載(小生作成記事です)

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枝垂れ櫻を愛でにひたすら走る! [京都支店赴任中記した記事] [旅]

 本日は「枝垂れ桜を愛でる紀行」と洒落込んで6:30出発ということで張り切って出掛けたのであります。本日予め行くと決めていたのは、「井手町にあるという枝垂れ櫻<何処にあるか?だったが>」と、室生寺の傍にある、「西光寺の枝垂れ櫻」、それと「仏降寺枝垂れ櫻」、そうそう枝垂れ櫻紀行と洒落た訳であります。

 後2件の枝垂れ櫻は、2週間前に行った<これも例によって予定外に出会ったもの>ことがあったので、もしかしたら満開になっているかもしれないと思って出掛けてみることにしたのです。井出町の枝垂れは、前回長岡京・および向日に行ったとき、銀行のShow window<?>にポスターが貼ってあり、そこに、何とか寺の枝垂桜の写真が出ていたのでした。「よ~し行ったる!!」と思っていたので、何と言うお寺か、何処にあるのかも解りませんでしたが、行ってみる気になっていたのです。

 実は今日から、支店の工事が入る日なので、高槻の業者だったため、会社のキイを、6:30に待ち合わせをして渡し、その足で出発しました。

 【本日の行程】

 普賢山慶照寺→井手町桜並木→井手町地蔵院枝垂櫻→玉津岡神社→恭仁京大極殿跡→恭仁京内内裏跡→山城国分寺跡→聖?寺→三重県島ヶ原村「石薬師堂」→薬師院六地蔵→西念寺→観菩提寺<正月堂>→顱宮神社→上野市射手神社→名張市「流富志稲荷」→江戸川乱歩生家→室生村「大野寺」枝垂れ櫻→西光寺枝垂れ櫻→室生村地蔵院→葛神社→仏降寺枝垂れ櫻→伊豆神社→弘法の清湧水→戒長寺→山辺赤人の墓→戒場神社→篠畑神社

 井手町から偶然抜けた道が、163号線で、恭仁京跡は、一寸寄ってみたが、あとは、月ヶ瀬に出るのも、億劫で、そのまま上野へ向かって走ったのであります。ここからは例によって行き当たりばったり。島ヶ原村の各お寺は、標識を見て、急遽左折した次第。正月堂などは、本堂が国宝という立派なもの。上野→名張と移動。市街地を見当付けて走っただけだったが、何とか迷わずに入れた。あと室生まで10kmというところで、「江戸川乱歩生家」という標識が目に入る。これが右折したはいいが、それから標識など一切なし。迷いに迷って一時間近く掛かってしまった。

 直ぐ傍に住んでいる人に、「何処か知りませんか?」と聞いたのですが、「さあ?」というので、一旦は諦めて、ジャスコの駐車場に戻りかけたのですが、途中の酒屋さんに、散策マップが目にはいり、「どうぞお使いください」と言っていただけたので、それを頼りに再チャレンジ。なんと先ほど聞いたところからホンの30mのところにあった。通りから、人一人やっと通れるような小路があり、「地図で見る限りここだなあ」と迷っていたら、何処からか、お婆さんがやってきて、「ここを入って行けばいいんですよ」と教えてくれた。先ほどのトッツアンとはえらい違い。

 生家はその細い小路を行った先の今は個人病院となったいる場所であった。狭い庭に記念碑が建っていました。私は乱歩が名張の出身だとは全然知りませんでした。

 そこから室生まで、20分くらいでした。「そうだ!! 大野寺にも行ってみよう!!」と思い立ち、赤い橋の手前を左折。今日は人が一杯出ていました。車を停めるところがない!!! 仕方がないので、道路に停めて急いで参拝することに。ここに枝垂れ櫻があるのは知っていましたが、満開状態で、今日が最高という咲きっぷりでした。まあ画像を見てください。[ブログに張る方法が?なので今回貼付できていません。あしからず]

 西光寺・仏降寺の枝垂れは、標高が高いせいか、まだ3分咲き、後者は全然咲く気配なし。こちらは跡一週間くらいは掛かるみたいです。この枝垂れの最終が16:00くらいで済んだので、後はゆっくりしようと思い、さて何処に行こうかと思ったのですが、この163号線は、何回も走ったことがありましたので、今まで行こうと思っていけなかった、「山部赤人の墓」に行くことにしました。

 途中道に迷ったおかげで、戒長寺というお寺に出くわしました。それは静かな山村の山の中腹にへばりついているような小さなお寺でしたが、長い階段を上って境内に入ると、住職夫婦が庭の草取りをしていました。今しもその作業が終わって一息つこうかというところへ、丁度私目が飛び込んだもので、<時間も16:45くらいだったと思う>、何しに来たのかと思われたのだと思うが、少々むっとした顔をされて、私と目が合ったものだから、「お参りさせて頂いてよろしいですか?」と断りました。そしたら聞き取りにくかったのか、聞き返されました。再度いうと、「どうぞ」というように、本道を指差して頂きましたので、何はともあれお参りをしました。

 ここのお寺の鐘は、3体づつ、12神将が描かれ<彫ってある>ていて、非常に珍しい梵鐘なのだそうです。無愛想(!?)な和尚から聞いたのではなく、案内板からの受け売りです。また奥さんも胡散臭そうな顔をしてこちらを見るし、気の小さい<?>私としては、少々居心地が悪い参拝でした。まあこんな時間に何しに来たのか、物好きと思われたのでしょう? それにしてもこの、「参拝させていただけませんでしょうか?」というのは使えるなあ。例え公開を拒否しているお寺でも使えそうな気がする。
                    
 そんなことで少々腰のすわりが悪かった戒長寺でしたが、境内散策も済ませ、山門をくぐり、長い石段を将に一歩下ろうとした時に、夕焼け小焼けのチャイムが鳴ったのでした。その澄んだ音は、山腹から、眼下にある小さな部落に優しく拡がっているようでした。と同時に、あの厳しい無愛想な住職が、私のために、送ってくれたメロデーにも聞こえ、心温まる気がしました。最も時が丁度17時であったため、そんな気持ちに関係なく、毎日その時間に鳴っているものだと思うのですが。そんな気持ちで長い階段を下りました。

 道に迷って来た戒長寺でしたが、その入り口のところをよく見れば、細い道を右に行けば、「赤人の墓」と標識があるではありませんか? もう周りは少々うす暗くなりつつある中、そこを訪ねるべく車を走らせる。1k半位走った山道の途中に赤人の墓はありました。

帰りは369号線に出て、柳生<櫻が綺麗だった>に向かい、そこから更に山道を下って、笠置町に出て、163号に抜け、24号に出て、井手町から、左折し、京田辺経由牧方→高槻と走りました。
今日は結構走りました。行くところ行くところ、<最後の2箇所の枝垂れは別にして>櫻が満開でした。
                         
 井手町の櫻にはその華やかさにはびっくりしました。そこに着いたのは、まだ朝8時頃でしたが、写真を撮りに来ている人が居まして、その人に、例の枝垂れ櫻の場所を聞いたですが、観光ガイドでは、京都市内中心で、同じ京都でも、「こっちは殆ど紹介されていないので、皆さん知らないんだよねえ!!」と嘆いていました。ここら辺には、蟹満寺とか、加茂町に行けば、当尾<=浄瑠璃寺・岩船寺>地区とか、恭仁京跡・海住山寺とか見所は多いと思います。それに奈良県境だから奈良とセットでという手もあるね。それではまた。

 

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◆◆◆ みちのく通信!!!◇◇◇ 紅葉を見に岩手山麓をめぐる! (盛岡赴任中の記事) [旅]

 ◆◆◆ みちのく通信!!!◇◇◇ 

 今日は朝7時前に出発。珍しく思い切りのいい出発だった。今日のキーワードは、[紅葉] 兎に角北の方向に走る。国道4号から,「滝沢分かれ」を,直進。282号線を北上。西根インターを超えて少し行ったら、「焼走り熔岩流」の案内板が眼に入る。急遽左折[ことほど左様に無計画]。牧草地の中を走り抜ける。真正面には,岩手山がどっしりと腰を下ろしている。思わず写真を撮る。

                
  ■ → 「焼走り」に向かう」途中の岩手山
 
 焼走りとは、信州の浅間山で言えば,<群馬県になってしまうが>「鬼押し出し」みたいな感じのもので、岩手山の北東面の二箇所から噴出した熔岩が流れ出た跡である。享保4(1719)年の大噴火の際に,流れ出た熔岩が、長さ4km巾1、5kmに亙って流れた跡である。熔岩の中から松の木などが、ポツンと顔を出しているのだが,熔岩は黒々して,そんなに昔ではなく,2・30年くらい前に、流れ出したものかと思うほどだ。「鬼押出し」と違って・・・・・・

                          つづきはこちら


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 みちのく通信「遠野馬力大会」を見に行くの巻!!!≪盛岡赴任中の記事≫ [旅]

 みちのく通信「遠野馬力大会」を見に行くの巻!!!

 昨日TVを見ていたら、明日<24日>遠野で「馬力大会」なるものをやる予定であることを知る。さてその24日、例によって出掛けるのが億劫になる。 それでもと思い、9時ごろ重い腰を上げる。会社にデジカメを置いてきてしまっているので、先ずそれをとりに行く。一寸仕事の片づけをしたら、1時間ほど経ってしまった。馬力大会は、9時半の開始だった筈だから「もう始まっているな」と思い乍らも一旦家に戻ったりして、中々埒があかない。

 一旦は道に迷って4号線を逆方向に走ったりして、ここで又しても時間のロス。 引き返して今度は順調に走る。396号線を南下する。遠野と言えば「民話」で有名なところであるが、何となく青森県との県境の辺にあるのかなと<即ち北の方>漠然と思っていたが、何と盛岡から、陸前高田とか釜石方向に南下するのであった。約60kmの行程。

 私はうかつにも、遠野は村かなんかだと思っていたが、<着いて解ったことだが>、レッキとした「市」であった。「民話」という思い込みがそう思わせたらしい。さてその遠野に着いたはいいが、馬力大会の場所が解らない。 遠野に入る頃、ガソリンがギリギリになって、ガス欠が心配なほどだったが、遠野に入るまでは一軒もGSがなかった。馬力大会よりも前に、何とかGSを探す方が先立った。幸い市街地に入ったら直ぐ見つかった。そのGSで場所を聞き出した。幸いにも1kmも無い場所で開催されていた。

 着いたのは丁度12時頃だったが、大会の進行が遅れている模様で、まだ半分くらいの進行だった。 この「馬力大会」というのは、馬が錘のついた橇を付けて走る言わば「障害競馬」の事です。前にニュースかなんかで見たことがあるから大体の見当は付いていた。開催場所は、早瀬川緑地特設馬場。題して「第27回東北馬力大会 馬の里遠野宮守大会」
                
 馬は力自慢を主とした用途<?>だから、屈強で足も太い。 サラブレットの約二倍の体重。クラスによって橇に付ける錘<砂袋>の差はあるが、一流馬では、260貫=約975kgの錘が付く。それに橇の重<約200kg>さが加わります。 コースは約120mくらいですが、その間に大小2つの障害物<高さ約3mくらいの岡状の土塁>があります。これを如何に人馬一体となって乗り越えるかが勝敗の分かれ目です。結構迫力がありました。

 二流馬戦くらいでも、障害物を越えられずに、結構時間が掛かる馬も居ます。制限時間は一流馬戦は7分ですが、その他のレースでは5分です。今日見た限りでは1頭が制限時間をオーバーして失格となりましたが、それでも必死で障害物を乗り越え、最後まで頑張り、ゴールまで漕ぎつきました。観客は約2千人でしたが、皆が「けっぱれ!!!けっぱれ!!!」と最後まで声援を送っていました。 予定より遅れて14時半ごろに終了しました。

 それからは折角来た遠野ですので、例によって予定を立てて来た訳ではありませんが、市内を回って見ることにしました。

 先ず行ったのが、「遠野郷八幡宮」 ここは全国で二箇所しかないという、馬場を持ったお宮として有名なところ。流鏑馬などがあるらしい。 広くて緑が綺麗なお宮でした。 そこから少し迷いましたが、福泉寺に行く。これも多宝搭や立派な五重塔などがあるお寺。広い境内で結構歩きました。

 次に行ったのが、「遠野ふるさと村」 と言っても行ったのは入り口のみで中には入らずじまい。時間も16時を廻る頃だったのでカット。 次に行ったのは、「伝承園」 これも遠野ふるさと村のような感じの所だったけれど、入園してみる。ここで印象に残ったのは、南部曲家。カギ型に曲がった家で人馬一体となって暮らした家です。馬の産地ならではの家の型です。その中の一軒に、「御蚕神堂」=おしら様なるものがあり、壁面一杯に、おしら様<500対>を飾ってあります。結構な迫力。
 
 そこを出て、かっぱ淵へ。 ここには「遠野物語」に出てくる、「安倍屋敷」跡・またかっぱをお祀する、祠などもあり、如何にもカッパが居そうな雰囲気の川の流れ。 遠野物語第58話に「馬曳きの子は外へ遊びに行きし間に、河童出でてその馬を引きこまんとし・・・・・」とあり、河童が悪戯をした話が出てくる。これを咎められた河童が、火災の折、<直ぐ裏にある>常堅寺避難した際のお礼のために、お寺をお守りする「狛犬」になったという伝説がある。よく見るとこの狛犬、頭にはチャンとお皿が乗っかっている。 両脇に二体あるのだが、チャンと胡瓜とバナナがお供えしてあった。この常堅寺も由緒のあるお寺らしく山門も立派であった。ここの仁王様は一寸ユーモラスなお姿をしている。

 再びカッパ淵に戻ったが、幅2mくらいの清流は、何処か昔の農村の古き良き姿を留めていて郷愁を誘われた。もう5時を廻る頃となって、戻るコースを辿る。しかしながら地図を見るとまだまだ見るべきものが多い。 もう入場料を取られるところは、閉まっているので、所謂拝観自由というものしか見れないが、「さすらい地蔵」を見に行く。これも一寸迷ったが直ぐ見つけることが出来た。白幡神社という小さなお宮の中にヒッソリとして横たわっていた。この石物は、珍しい女性の地蔵様である。夜になると台座から抜け出し、若い男衆と遊びまわるという癖があった為、「さすらい地蔵」と呼ばれるようになったという民話が残っているのだとか。 それで今は台座に立っているのではなく、横たわっているのか!!! どうりで地に足がついていない!!! <失礼!!!> 

 ここから帰路につく。ここから10km走った所に、続石なるものがある。 今日貰った「遠野マップ」からの受け売りだが、何かとてつもない巨石物らしい。 それを探しながら車を走らせたが、苦も無く見つけることが出来た。それは道路端にあったのだが、どう見ても巨石とは言い難い。確かに「続石」と書いてあるが迫力に乏しい。よく見ると案内板があり、傍らにある階段を上がり、そこから細い山道を約500m入った所にあるらしい。もう5時半を廻り、いくら暗くないとはいえ、心細い山道。入るのを躊躇したが、「それ行け!!!」とばかり分け入る。人も余り通らないような獣道みたいなところで、一瞬「熊でも出たらどうしよう!!!」という心配をしなくてはならないほどの山道。こんな時間では御免蒙りたい心持。そういえばつい最近、盛岡の国道4号線を横切った熊のニュースが流れたばかりだよう!!! まあ仕方がないので、落ちていた松の枝を手にかざしながら山道を登った。

 まあ思ったほど時間が掛からず、その「続石」は見つかった。成る程先ほどのそれらしき石は「ミニチア」かあ。全然迫力が違う。 自然石の上に7X5m<実際にはそれ以上あるように見える>の巨石が乗っかっている。下には2つの巨石があるが、間には人が通れるほどの隙間がある。但し上の石は一方の石の上に乗っかっているが、もう一方の石には乗っかっていないで浮いている。見れば見るほど、不思議な石群でした。またここら辺には巨石がゴロゴロ散乱していて、傍には「泣き石」という<単体ですが>大きな石もありました。無事山を降りホッとしたことは言うまでもありません。

 又ここから100mも行かないところに、千葉家「曲り家」もありましたが、既に閉館。道路から約3・40m上にあるので概観を見るだけに留めました。「日本10大民家」の一つに数えられている200年前の建物だそうです。

 ここを最後に後は只管走りに走って盛岡まで。道は混まずに意外と早く帰れました。今日は出発するまではマゴマゴしてしまいましたが、帰りは充分満足して帰る事が出来ました。 今回未だ見れずに残したところが、まだまだあるようなので、「遠野」は又行って見るつもりです。 それではまた。  画像は、遠野馬力大会・福泉寺5重の搭・伝承園「オシラサマ」です。  後の画像は次回掲載いたします。
※ ブログに画像の掲載する方法がわかりませんので乗せておりません。あしからず。
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 チャグチャグ馬コ←H14年版 [旅]

 チャグチャグ馬コ←H14年版

 今日は6月の二週目の土曜日です。そうです2年ほど前から、休日バージョンになったチャグチャグ馬コの日です。昨年行ったので、今年はパスしようと思っていたが、2・3ヶ月前に、福岡から転勤して来た奴が、是非行きたいというので、付き合うことにした。昨年とは違って、蒼前神社の場所も、駐車場の状況もわかっていたので余裕を持って出発できた。
今回は、出発前の、蒼前神社の様子も、パレードが終わっての神社の様子などもバッチシ画像に収めることもできた。パレードは9時半に出発した。出発5分ほど前に、絶好の撮影ポイントに移動。本日もNHKなどの全国版ニュースでも流されたと同じポイントで私も画像を撮った。そこは知る人ぞ知る、「チャグチャグ馬コ」の絶好の撮影ポイントとなっている。まず緑が多いこと。そして背景に岩手山が入ること。また幅2m位の土手状の道なので、(撮影場所は、そこより2m下の田んぼの畔道になっているので)パレードが丁度いい構図で収まることすなわち、「チャグチャグ馬コ」のポスターなどにも出ている「定番」の撮影ポイントなのであります。
       
 今年は背景の岩手山には雲などもかからず全容を現していた。岩手山はまだ若干の雪を残している。蒼前神社のある滝沢村は日本で一番人口の多い村として有名だが、ご覧のように家が建て込んできて、折角の絶好のポイントも年々緑が侵食されてきている。
パレード自体は、20分くらいで過ぎ去ってしまうのだが、彼らは約15Km先の盛岡八幡宮までパレードする。ここから1km先からは、街中を行進していく。したがってこういう感じの画像はココでしか取れない。
パレードが終わり蒼前神社に戻ってみる。パレードを送り出した蒼前神社の境内は、出店や、喉自慢大会なども始まろうとしており、未だ多くの人で混み合っていた。また観光客のために、パレードには参加せず、残っている3頭の馬も居り,撮影に応じていた。そこに非常にかわいい子がいたので画像に入れておきます。≪画像の挿入方法が?!なので後日入れておきます! すみません!≫

  蒼前神社はこれで4回くらい来た事になりますが、普段はひっそりとした何の変哲もない神社です。今日は年に一回の全国的に知られた大イベントの日。不思議なもので、多くの人が集まった今日の社は非常に大きく見えました。10時ころにひと段落ついたのでその後二戸の方へ行ってきました。 

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チャグチャグ馬コ!農耕馬に感謝する祭!着飾った背当てなどに鈴を付け、歩むとチャグチャグと鳴り響く! [旅]

チャグチャグ馬コ!農耕馬に感謝する祭!着飾った背当てなどに鈴を付け、歩むとチャグチャグと鳴り響く!

 (この記事は私が東北エリア赴任中に書いたものです。当時は滝沢村でした!修正せずに其の儘滝沢村と記しています)

 岩手県は、滝沢村といえば、日本一のものがあります。 それは何かといえば、日本で一番人口の多い村なのです。 4万6千人です。 その滝沢村の鬼越蒼前神社は一年で一番賑わう日を迎えました。 9日は「チャグチャグ馬コ!!!」のメインの日です。毎年6月の15日に行われていましたが、2・3年前から、第二土曜日と変更されました。 「チャグチャグ馬コ!!!」の日は、雨が降ったことが無いといわれていますが、この日も爽やかな晴れの日となりました。

 さて前の日、会社での話。 今回4人が盛岡に転入してきましたが、そこはそれ、盛岡の大イベントたる「チャグチャグ馬コ!!!」を見るという話になり、大半は、「お昼頃、盛岡市内で」というはなしだったのですが、一人だけ、「町の中で、<チャグチャグ馬コ!!!>を見ても、意味がない」とのたもう頑固な奴が居ました。何を隠そうこの私目でござそうろう!!! 

 「チャグチャグ馬コ!!!」は、朝9時半に、先ほどの滝沢村の「鬼越蒼前神社」を出発するということでしたので、「鬼越蒼前神社」まで行くと主張したのは良かったのですが、いくら地図を探してもその名前が見当たりません。 10時に役場前を通過予定と書いてあるので、そんなに遠くには無い筈だと探しましたがありません。そのうち前から居る連中も加わって、地図の上をなぞって見ましたが一向に埒があきません。「おかしいなあ、キャメルマート<地元のCVS>の辺に確か入り口の案内板があったと思うけどなあ」などと皆ヒートアップ。結局「鬼越蒼前神社」の場所は解らずじまい。

 役場からそんなに遠く無いところに、「駒形神社」というのがありましたので、それが「鬼越蒼前神社」ではないかという結論を出しました。「駒形」とは馬のことだし、多分そうだろう。ということは今まで盛岡に居た連中で、「鬼越蒼前神社」まで行った奴が一人も居ないということではないか!!!

 最後に今まで居た社員から負け惜しみの一言。 曰「今までチャグチャグ馬コ!!!を見たいといいう人はいたけど滝沢村まで行くといった人は居なかったなあ!!!」 はっはっは!!! 京都では延べ250箇所も場数を踏んできたおいらだ!!! 臨場感が大切なんだ。 

 昨日<10日>もNHKで「明日香」の遺跡発掘の番組をやっていました。石舞台や、酒船石等も写っていましたが、実際にそこに行ったとなると、同じ見ているのでも、受け取り方が全く違うのです。

 まあ「チャグチャグ馬コ!!!」も盛岡のビルの間を行くところをみるよりも、緑一色の長閑な田んぼの畔道を行くところを見るべきですねえ。それにこういう行事は必ず神事と結びついているので、その神社やお寺も是非見ておくべきですね。[京都では同じ神社仏閣に何回か行きましたが四季折々同じ所でも趣が違うものです・また今回のようなイベントをやっている時に行くというのもいいものです]

 その「鬼越蒼前神社」。実際行ってみると、いとも簡単に場所が解りました。 キャメルマートの交差点に「蒼前神社」とプレートが出ていました。 ところが駐車場が無いから、直進して役場まで行けと看板が立てられていました。 車で行くということはこういうことなのです。 直進するも、一向に役場が見えん。 最も既に道路は混んで大渋滞。 やっと役場に来たと思ったら、「一般車満車」ということでシャットアウト。そこそこに一杯空いているのに。

 ところがですよ、一番奥に一般車のスペースが1台だけ空いていたのであります。大阪ナンバーが役に立ちました。 そうです「夜を徹して来たんです」とお情けを乞うたのであります。

 駐車場所は確保できたものの,そこから蒼前神社まではかなり歩かねばなりません。 そうだチャリンコの出番だ!!! 大阪のデイスカウントストアで買った折畳式のチャリンコが役に立つ時が来た。 それを組み立てて神社に向かう。もう結構人が歩いているから田んぼの畦道でも迷うことなく入っていける。

 途中田んぼの畦道にカメラマンが100名以上も張り付いているところに出る。きっと撮影ポイントなのだろう。 ここだと岩手山をバックにチャグチャグ馬コ!!!の写真が撮れる。 <でもこの日は残念ながら岩手山は雲で顔が見えない>将に絶好の撮影ポイントのようだ。

 そこから間もなくして、蒼然神社に出る。 もう人で一杯だ。 境内<?>には、馬コも既に待機していた。 出店も一杯で賑やかだった。 その風景を撮影して、早々先ほどの撮影ポイントに戻る。

 そこでの撮影が一番いい。ところが既に一杯で、岩手山を背景に行列を正面から取るポイントは入り込めない。仕方がないから、行列を真横から取るポイントに変更。ここはどうにか場所を確保できた。

 まだ時間があるからノンビリしていると、写真コンテストがどうのと、カメラマン同士」が話している。
これがまた「コテコテ<?>の東北弁だから所々解らないところがある。まあ話しの向きから、どうやら宮城県の方から来たらしい。 結構遠くから来ているんですねえ。まあ人のことは言えないが[何せ隠れ関西人だからねえ] 9時半になったと同時に、蒼然神社から出発したらしい。<そんなに離れていない>

 先頭は例によって、村長だか、盛岡市長だとか、どうでもいい馬が通過。 それは無視。 五頭目くらいから、いよいよ「チャグチャグ馬コ!!!」の出番だ。 

 ここのポイントは、なんといっても緑一色の中を「チャグチャグ馬コ!!!」が通り抜けるというところだね。といっても、車一台が、駐車してあり、皆の顰蹙を買っていた。 また少しファインダーの加減を誤ると、家や、ビニールハウスなどが入ってしまう。 

 また心臓強いのオバはんなどがおり、パレードの下の土手<?>にへばりついて、撮影する[即ちその人が他の撮影者のカメラに入ってしまい邪魔になる] これにはブーイングの嵐。 それでも「わたしのこと?」などと、人差指で自分を指す強心の持ち主。即ち自分がブーイングの対象と認識できないご様子。 尤も絶好の撮影ポイントなのだから、誰もそこには行けないという暗黙の了解があるのが解りそうなものだがねえ。

 「チャグチャグ馬コ!!!」の頭数は、約100頭。 南部藩は馬の産地として有数の地であったが、とりわけこの滝沢村はその中心地であったということです。馬を家族の一員と扱い、親しみを持って育ててきた土地柄です。南部の曲家は人馬一体の象徴である。一年の農耕馬にたいする感謝と、五穀豊穣を祈っての行事だと聞きました。 

 パレードが済んで、「鬼越蒼前神社」にもう一度行ってみましたが、人ごみは減るどころか、却って増える勢いで参拝は後日にしました。「鬼越蒼前神社」は後に「駒形神社」の称号を与えられた、即ち、「鬼越蒼前神社」=駒形神社だということが、案内板に書かれていました。それにしても、「鬼越蒼前神社」のほうが通りがいいらしくて、案内板以外には「駒形」の文字は見られませんでした。 

 この「チャグチャグ馬コ!!!」は国指定無形文化財および環境省指定「残したい日本の音風景百選」に選ばれております。「鬼越蒼前神社」から盛岡の八幡宮まで、15km、4時間半のパレードです。

 如何にもみちのくの素朴なお祭りでした。
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みちのく一人旅 青森下北半島1周記 恐山 仏ヶ浦 その2 [旅]

みちのく一人旅 青森下北半島1周記 恐山 仏ヶ浦 その2
[同名のみちのく一人旅 青森下北半島1周記 恐山 仏ヶ浦 その1 の続きです!]

 3人が乗り合わせていた。
 船は比較的小さなもので、波に揉まれて、結構揺れた。私は付き合いで、船に乗って、銚子を出港して、大原の沖合いまで出て、鯛釣りと洒落たことがあったが、船が停泊して、いざ釣る段になったら、完全な船酔いで、昼飯も食わずに、港に帰る迄の、半日間をただひっくり返っていて棒に振ったことがある。果たしてこの船で大丈夫かしらと思ったが、所要時間20分と短いこともあって、何とか無事に陸に戻れた。 まあからっきし意気地がないのである。

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  船の上から望む、仏ヶ浦は又格別だった。丁度山のようになっている中腹に、白い岩が群れになって立っているのである。その姿が、仏のように見えることからこの名前が付いたようだ。<実際に仏像みたいに見える岩や、五百羅漢と名がついた岩群もある> 

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 駐車場はこの山の中腹にあり、海面からは、8・90mは優に登ったところにある。途中から絶壁になっている。帰りはその絶壁を[勿論階段状の歩道になっているが]登っていかなくてはならない。結構息が切れた。

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 ここを出たのが、17:53 出発点から、356kmだった。 もうこれからは特に予定していたところはなく、ただ帰り道を走りに走るのみ。地図を見るとえらい距離を残している。 これから300kmは優にある。そこで考えた。地図によれば、脇野沢村まで行けば、フェリーがある。此れにのって、青森までいければ、その間は運転を休める。此れは適当な休養にもなるし、6・70kmは距離が縮まる。グッドアイデアだ。 その気になって、もう暗くなりかけた峠道を駆け抜けた。 

 途中山を下る時に、微かに海が見えたのだが、そこにフェリーらしいものが見えた。よしよし未だ船はあるなと思いつつ、一気に駆け下り、やがて脇野沢村に入った。 村はお祭りらしく、道路の両側には提灯が幾つも吊り下げてあった。しかし人っ子一人姿が見えない。おいおい!!!幾ら過疎の村とはいえ、お祭りなんだから此れはねえぞなどと思いながら、フェリーの発着所を探し回る。

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                無情にもフェリー乗り場は閉まっていた!

 ところがそれらしき雰囲気のところが全然見当たらない。 フェリーが発着するような感じのするところがない。仕方がないので、案内板を見たら、この寂しい空間がどうやら発着所らしい。よく見ると、平屋の喫茶店風の建物の脇にフェリー乗り場と書いてある。ドアはとっくの昔に閉まっていて、本日は早くも店仕舞いであった。ガラス戸に、時刻表が貼ってあったが、なんと最終便は、16:25であった。ここが行き当たりばったりの旅の悲しいところ。何てことはない、仏ヶ浦の遊覧船に乗って浮かれていた頃、青森行きの最終フェリーは出港していたのである。

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 此れで夢のフェリーの旅は儚く散ってしまった。これから海岸沿いに、むつ市まで出て、それから陸奥湾沿いに南下して、野辺地町まで辿り着いた後、国道4号線を、150kmも南下せねばならない。第一野辺地町まででも、優に150kmはあると思うと一遍に疲れが噴出した。まあ予めの計画のない旅は所詮こんなものである。

 最後に思いついたのは例の毛布である。 よし何処かの駐車場でも潜り込んで寝てしまおう。明日は青森でも出て、三内丸山遺跡にでも寄っていこうと考えたが、何と本日部屋を出る時に、天気が良かったので、窓を開けっ放しにして来てしまった。何たる不覚。此れでは毛布を持ってきた価値がないではないか!!! 何たる矛盾した行為か!!!

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                    人っ子一人居ない!

 もうこうなったら、一時間や2時間早く出たって意味がねえやと思い、完全に開き直ってしまった。まず車を発着所の前に止め、お祭りとやら、八幡宮に行ってみる。 両脇に提灯が釣ってあり、それが延々街中を貫いているのだが、恐ろしく人がいない。 ただ提灯が空しく風に靡いているだけである。かえって不気味な雰囲気だった。お宮の階段を上るが、ここにも人っ子一人いない。お祭りだというのに。 参拝して、階段を下ると、一人の女の子が、浴衣を着て、ジャラジャラ鈴を鳴らして、横切っていった。ああ人がいるんだと思うほど人が居なかった。

 ここ脇野沢村を後にし、夜道の海岸線をひた走る。考えてみれば、夜の海岸を走るくらい味気の無いことはない。只漆黒の闇。

 暫く走ったら、土産物風の店が開いていたので入ってみる。まあ普通の商店だったが海産物など少々置いてある。鱈を輪切りにして干してあるようなものがあったので、店のおばさんに「此れどうやって食べるの??」と聞いてみたが、何か一生懸命喋ってくれているのだが、意味が良くわからない。聞き返すのも悪いと思って、解ったような振りをして、時々相槌などを打っていたのだが少しも解らない。まあ水にでも浸けて戻して煮れば何とかなると思い買ってみた。

そこから又もや、闇の海岸淵を走る。左側は山になっているので、海岸に沿って道が一本通っていて、両側に家が並んでいるだけの漁村を走りぬく。暫くは提灯の揺らいでいる

中を走り抜くが、全然人気がない。

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 川内に入った辺りで、車を停められた。「何だろうなあ」と思ってよく見ると、獅子風なものを、門付けで、やっているのである。ここも車を停めて取材<?>と相成る。家々には、その獅子舞を迎えるために、入り口を開け放ち、お供え物を用意し、家中の者が、獅子舞が来るのを待っているのである。その家の前で、一軒に約10分くらい掛けて獅子が舞うのである。門付けの獅子舞が、私の車を停めてある家に暫くして行くという時分に「大阪ナンバーの車の方ですか」と聞かれ、充分取材も終えたので、??村を後にする。 後は「むつ市」迄の道路標識の距離が少なくなるのを楽しみに只走るのみ。

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やっと町並みが見え始め、道路も明るくなってきた。いよいよむつ市に辿り着いた。暫く走ると「スーパーまえだ」があったので、「ハハーン此れがスーパーまえだか!!」と思い、寄ってみることにした。序でだから、買い物もし、車の中で、夕食にした。

むつ市から、横浜に向かう。ここは市ではなく横浜町である。右側はどうやら海らしいのだが、全くわからない。ただただ車を走らせ、野辺地村に向かう。やっとのことで下北半島の付け根に戻ることが出来た。時間は10時過ぎ。ここで国道4号線に入る。「やれやれ」だ。ここから盛岡まで150kmだ。暫く走ると雨になった。盛岡も雨だろうか。窓を開けてきたのが悔やまれる。

 十和田町・三戸・二戸と南下して行く。 それでも夜も遅いため、道路は勿論空いており、かなりのスピードで突っ走る。漸く渋民村の見慣れた所に出ることができた。昨日来たばかりのところだ。ここからは15kmで盛岡に着く。 後は一気に走りぬく。滝沢村を越えた頃、11時50分くらい。此れなら日付が変らずに家に帰れると思い、意識して車を走らせた。家に着いたのはジャスト12時だった。兎に角走りに走りまくった一日でした。
 「ああ! 疲れた」の一語のみ!

 


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みちのく1人ぶらり旅! 青森県下北半島を1周する! その1  [旅]

日本地図を見ると、日本列島が、本当に竜のおとしごのように見えるねえ。それでもって、本州の最北端にニョキッと突き出ている下北半島を見て、「こいつを何時か征服してやる」と思っていたところ、ついにそのチャンスが来た。といっても、出発予定時刻を2時間も過ぎて起き出して、もうこの時点で、「ハンデイが付いてしまったワイ」本日は日延べをしようかと思ったが、「まあいいか!!」という事で、8時過ぎの出発と相成った。

 実は下北半島は、勿論青森県だが、そこにある「スーパー前田」というチェーン店は、盛岡の社員が、担当していて、月に一回出張で行くのですが、<今の若い社員は宿泊したがらない>、その日は、走りに走って、600Km位になり、何時も朝6時頃直行して、夜10時頃帰ってくるので、此れは最悪その日の内に帰って来れない事もあり得るからと思い、毛布を積み込んでの出発となった。まあ毛布さえあれば最悪の場合でも車の中でも寝れる。

 マア余談だが、「下北半島を一周する!!!」と宣言したら、小泉首相ではないが、かなり変人扱いされた。「モノズキだねえ!!!」だと!!! まあ「チャグチャグ馬コ!!!」の時の話以来から、「変人扱い」だなあ。 

 俺に言わせりゃあ!!! まあ5・6年も、東北に居て、さんさ踊りも、ねぶたも見た事ねえなんて、こんな勿体無いことはないと思うね。 第一得意先に行って、「盛岡はいいとこですねえ!!!この間さんさ踊りを見てきましたよ!!!」なんて、商談の合間に話してみい、自分の故郷を誉められて悪い気のする奴なんていねえ!!! 頗る人間関係だってうまく行くってもんだ。 金が掛かる訳でもねえ!!! 「今度来たのは良いぞ!!!」なんて評価されれば商売だってスムーズに行くってもんだ!。はっはっは!!!

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 我々転勤族は、折角会社が、「そこの土地へ行け」といって、住むところも、会社で面倒見てくれるわけで、勿論仕事には熱心でなければならぬが、折角出会った土地ゆえ、いろんな所へ行くべきだ[と思う]。てな訳で<少しこじ付けだが>そこら中廻っているわけさ。またまた話が逸れてしまったが、その下北半島!!! どんなところだろうと思うわけさ!!! 行って見ようとなったわけ。


 まず盛岡市内、4号線に入り、暫くして、滝沢インターから、東北道にON。ガソリンが全然無かったので、少々焦ったが、岩手山PAで給油できた。そこで道路地図を序でにゲットした。そこから一路八戸に向かう。 八戸に着いたのは、もう10時半だった。そこから後は地図と、道路標識が頼り。先ずは三沢を目指して北上。途中海岸に出て一休み。太平洋だ。一寸九十九里浜に似た感じ。三陸のリアス式海岸とは全然違う景色だなあ。

 そこから338号線をひた走る。何時もなら、興味のあるものがあったら、寄って見るのだが、今日はその気があっても、走行距離が長いので先を急がなければいけない都合上全然余裕なし。全てカット。途中寺山修冶<?>の博物館などもあったのだが。 東通村までの道は、例の「原発銀座」見たいなもので、一寸ビビッた。そこから「むつ市」へ。尻屋崎へは本日はカット。

 

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 むつ市といえば、言わずと知れた、「恐山」だが、本日のメインの一つに考えていたので、先ずそこを目指す。標識通り進んで、市内から、12・3km山の中に入ったところに恐山はあった。先ず車から降りたとたん、「硫黄」の臭いが鼻を突いた。見れば道の脇の川に黄色い線が走っている。硫黄だ。 天候は曇りだったが、少し低く垂れ込めた雲は、山の頂きを包んで、如何にも怪しい雰囲気を漂わせている。


 思うに恐山は、この硫黄の臭いと、噴火による噴出物[岩]の奇景によって、霊場の雰囲気造りをしているように思う。規模自体はそれほど広くないが、何といってもその奇岩から、未だ薄い煙を漂わせているのである。 まあ賽の河原という雰囲気が充分である。

 口寄せの「いたこ」は、今は本堂脇の専用の部屋の中でやっているようで、列を作って待っている人が大勢居た。 そんな訳で、チラッとしか、見ることが出来なかったこともあるが、そんな神聖な場面に、無神経にシャッターを押し、フラッシュを焚くのも憚れた。 仏像や、博物館の展示物などは平気で撮ってくるのにね。はっはっは!!! 何せ霊媒師デッセ!!! 恐れ多いことこの上なし。

 それでも小一時間時間費やし一通り散策した。

 ここを出たのが13:53であった。少々焦りながら、本日のメインイベントⅡ→大間町の本州最北端の地を目指す。甲崎に入る手前あたりから、海岸端を走るのだが、いや水平線の長く見えること、360度パノラマという奴を、犬吠埼で見たこともあるが、[ここは水平線がまあるく見えるがキャッチフレーズ]、ここは何と言うか、180度水平線が一直線という趣だねえ。なんとも雄大な景色だった。

 海岸端を走るっていうのは疲れるねえ。私は千葉支店にいた時、館山・鴨川・一宮・勝浦・茂原地区を担当したことがあるが、走れども走れども、見えてる先のところに着かない。あたらこれから行く先が見えるというのも、走りにくいものだ。ここから大間崎に行く道も、遥かかなたに、これから行く先が見えるのに中々着かなくていらついた。

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 大間町に入るや、狭い道を何となく走っていたら、前方に、ポールが見えてきた。ひょいと仰ぎ見たら、「本州最北端の地」という文字が目に入った。実のところは、逆光で、黒い柱に黒っぽい字で書いてあったので、判読し辛らかった。実にあっけなく目的地に出てしまった。 よく見ると沖合い50mくらいのところに、小さい島がある。

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 ここはポールを中心に、それほど広くないがスペースがあり、公園になっている。啄木の碑などもあるのである。 道路を隔てた向かい側には、「本州最北端のみやげ物屋」というような、派手な看板を掲げた店が4・5軒あるのだが、さして大したものは無かった。私はみやげ物など余り買ったためしはないが、海の傍だから、新鮮な魚貝物などあると思ったが皆無であった。

 ここが本日のコースの最到達点であったが、何とここを出たのが、15:30になっていた。要するにここから折り返しで、帰路に入るわけだが、今までと同じ距離と時間を走らねばならぬということだ。

次は本日の3番目の目的地「仏ヶ浦」に向かう。 思うに海岸端というのは、何処も似たところがある。小さな漁港になっているところや、狭い通りをクランクに曲がったり、走っていて、館山に行く道中を思い出した。まあ下北の方が、海に迫った山などは高く、従って廻りこむ峠道も、こっちの方が標高も高く従って迫力がある。

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 ある魚村についたら、お祭りらしく、提灯が道路の両側に吊るしてあった。暫く走ると

お神輿や、山車が道路に停めてあった。そこはそれ、「自称みちのく特派員」としては、車を脇に停め取材<?>と相成った。一般に漁村のお祭りは派手で威勢のいいのが多いが、ここの山車も華やいだものであった。ここには人が[僅かではあるが]出ていて何かホッとした。

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  仏ヶ浦には16;30に着となる。



 海岸沿いの奇岩の集まりだと想像するが、駐車場からは、「海は何処じゃいな?」という感じで、まるで山の中だ。隅の方に仏ヶ浦遊歩道と矢印が出ている。 そこから暫くは、山道を下って行く。角度が急になり、木造の階段の歩道になる。 ここは三陸のリアス式海岸のような趣である。狭い砂浜に出ると、白っぽい石柱<?>状の岩が連なっている。 浄土ヶ浜よりは、岩群の高さは格段に高い。ここには漁船を改造したような、観光用の船が一隻常駐していて、客が適当な人数になったら、出港<?>する。 ここは海の方から見た方が奇岩の様子がよく解ると思い、乗り込むことにした。私の他には、1家族 →[同名の、その2につづく!] 


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みちのく一人ぶらり旅! 遠野へ再び行く! 倭文神社のお祭り! [旅]

みちのく一人ぶらり旅! 遠野へ再び行く! 倭文神社のお祭り!
     【みちのく通信「遠野パートⅡ」の巻!!!】

 さて今日は、遠野に行ってきました。 6月頃に一回行きましたが、その時行けなかったところもあり、もう一回は行かなくてはと思っていたのですが、休みの最後でもあるので、余り遠くないところで、何処かに行ってみるかと思い、よし遠野に行ってみるか!!!と思い行くことにしました。例によって、単身赴任・予めの行動予定無しの一人旅[?]です。

 この前行けなかった所即ち、千葉家の曲り家→狐の関所→倭文神社→早池峰古参道跡→馬っこつなぎ→たかむろ水光園→デンレダ野→佐々木喜善の生家→山口の水車→ダンノハナ→貞任高原→大槌街道追分→北川家のオシラサマ→西教寺→角助の墓→母也明神→松崎観音→飢饉の碑→横田城跡→村兵稲荷→阿曽沼公歴代碑→太郎河童→清心尼公の碑と廻ってきました。

 本日一番印象に残ったところ。それは「狐の関所」に行こうと思って、駐車するところを探そうとして、脇に入ったところ、やけに車が止まっていたので、「?」と思って、先を見たら、倭文[ヒドリ]神社というのがあって、幟が立っていたのです。「おやお祭りかな」と思って、関所をそっちのけで、行ってみたら、それは小さなお宮でしたが、その境内で、村の人たちが集まって、踊りの奉納をしていました。丁度幼稚園の子供達が踊っている最中でした。小さいながらも、村の人の前で、元気で踊っていました。そのあとは、「さんさ踊り」だと思いますが、太鼓だけの伴奏で、輪になって踊っていました。遠野と盛岡は、約60kmの距離がありますが、こちら岩手の盆踊りはみんな、「さんさ踊り」のような形なのでしょうか? 10日会社が終わってから、網掛温泉に向かいましたが、途中小雨の中で盆踊りをしていましたが、それも「さんさ踊り」の形でした。           
             
 そのあとに始まったのが、何と「遠野のしし踊り」だったのですねえ!!! 花巻とか、遠野とかに、しし踊りなるものがあることは、知っていて、何時か見てみたいなあと思っていたのですが、まさか本日見れるとは思いませんでした。それも一番自然な形で見れるとはねえ!!! 行き当たりばったりの旅<?>だけど捨てたもんじゃねえなあ!!!と自己満足致しました。 こんな形で、村の人総がかりで、集まって、お祭りを祝うなんて、未だ残っていたのですねえ。傍らには舞台もあり、その前には、7・80人の人たちが、酒を酌み交わしています。きっとしし踊りが終わったら、所を舞台に変えて、カラオケでも始まるのでしょう!!!今時貴重なものだと思いました。
              
 ここに着いたのが、12時頃でしたが、1時間位見続けていたと思います。 ただ日の当たっているところと、杉の木の陰で暗くなっているところと、、極端だったため、画像が不安定だったのが非常に残念でした。

 遠野は民話などというイメージがあるせいか、何となく、青森県との県境当たりにあって、小さな村だと思っていたのですが、盛岡より、南にあり、レッキとした市です。 まあ田園地帯ですが、本日で2回目の訪問ですが、まだまだ見落としがあり、あと何回は行かなくてはならないような感じです。
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まほろばの国 ぶらり一人旅! 明日香 新発見遺跡探索記 ! [旅]

まほろばの国 ぶらり一人旅! 明日香 新発見遺跡探索記 !

 さて明日香の例の亀ちゃん、蓋付宮<運転中の車のラジオで聞いたのを慌てて書き留めたので正確でないかもしれない。ご存知なら教えてください。字は当て字>というのだそうだが、3月だったか、早く行かないと、また埋めてしまうということを聞くに及んで、今日しかないと思って、行ったときのことを記しましょう。大分前だから記憶も曖昧なところもあるが例の気儘な一人旅、明日香の里をのんびり過ごしました。

 さてさてH12:3:18の日。朝6時半に出発したのであります。10日程まえ<発見された直近の土・日>に、現地説明会が開かれたそうですが、雨にも拘わらず、何と6千人の考古学ファンが押し掛けたということを聞くに及んで混んでいたら大変だと思って早朝の出発と相成った次第。ところが枚方大橋を超え、307号線に入り、一号線との交差点を越えた辺りから、ノロノロ運転。早くもイライラモードに突入。<血圧が高くなる筈だ>

 その後は比較的順調に車は走り、8:25頃に着いたのですが、流石に誰も居なく、車も<勿論路駐=岡寺から200mくらい手前の空き地>楽々停められました。既に3回この近辺には来てましたので、一発で分かりました。小さな丘の尾根伝いに「酒船石」に向かう。そこから坂を下りるのだが、「立入禁止」の標識が出ているが、それを無視して下る。途中丘の中腹に、石垣状の遺跡が、小屋に覆われて、あるのだが、ここは昔から、「石の宮城」伝説があるのだそうで、この石垣自体も、有力な証拠になっているのだそうです。今回新たに亀ちゃんが発掘されたわけで、益々その説が有力になったということです。ここからもう少し下ると、例の亀ちゃんの発掘現場です。

 縄を張り巡らしてありましたが、それを越え、現場を見渡しましたが、な・何と、亀ちゃんがあるところは、青いシートを被せてあるではありませんか!!! 肝心の部分がまるで見えません。「参ったなあ!!!」と思いつつ、それでも、現場の写真を撮っておこうと、未だ日も射さなくて、陰になっている現場を押さえました。そのうち、カメラを持ったおっちゃん<自分もそうだが>、彼女を連れた若者がやってきましたが、同じくがっかりとした様子。「シャッターを押して下さい」等といわれて、撮ってあげましたが、そんな場合じゃないぞ!!! 自称特派員としてはこの後どうすべきか気がきじゃなかった。

この遺跡の部分は約12mくらい掘り下げられており、<幅は40mくらい>その溝状の対岸<?>にも、ぼちぼち人が集まって来始めました。元々この亀ちゃん、どうして発見されたかというと、道路工事をしていたんですねえ。丁度その工事現場になって居たところに、遺跡が出たので、出入り口なんかも、しっかり締め切ってあり、結果的に、厳重な警備<?>体制にあるって訳。いっそのこと一人底まで降りていってシートを剥いで写真を撮ろうかと思いましたが、流石に自重しましたです。ハイ!! 下手すれば建造物不法侵入とか、重要文化財破損行為<こんなのあるかどうか知らんが!!>とかで、敢えなく逮捕なんて事になったら堪らんぞい!! そんな奴もいるかも知れないという事とも思えんが、当然 工事担当者が一人張り付いていまして、無茶な行動をしないでよかったと胸を撫で下ろした次第です。

 対岸の見物人も、中にも入れないで、がっかりした様子がこちらからも分かる。中には早々諦めて、戻る人もでる始末。こりゃ側にも寄りつけないし、この程度の撮影で諦めるしかないかと思って居たところ、なんとヘルメットを被った作業員風の人が、その入り口の方へ歩いて来るではないか。鍵を開けて見物人を中に入れている。こっちは掘り下げられた、崖淵に立っているわけで、而も立入禁止を無視して入った弱み<?>もあるしなあ。他の二組は、素直に、酒船石に戻って、回り込んで対岸に行く模様。こっちは面倒くさいから、戻らずに竹林をそのまま横切って、溝の端のところに出て、今度は反対側から、酒船石のある岡<今まで居た方向を>をバックに遺跡の撮影敢行。

 そのうち、今日は亀ちゃんのレプリカを造るための、「型どり」があるとの噂が流れてきました。ということは、ブルーのシートを取り外すということではないか!!! おー!!少しは光が射してきたぞ!!! もうこの頃には既に30名くらいの見物人。不思議なもので同好の士、待ち時間もあることも手伝ってか、俄然情報交換の場と化してしまった。先ずこの遺跡の配置の件で一くさり。というのは、シートを被せてあるため、その下は想像するしかないので、亀ちゃんは、「あそこか?」・「いや違うこの向きだろう!!」と、諸説が飛び交う。亀ちゃんはテレビで見る限り、丸い形をしていた筈だが、丸状と解る部分が見あたらない。亀ちゃんの水取り口<?>と、酒船石は、岡の上下で、一直線に繋がっているという説もあるとのことで、それに従えば、真っ正面のシートしか考えられない。

 既にこの亀ちゃんは、発見されて10日くらいしか経たないというのに、パンフレットを持っている人が居る。「これどうして手に入れたの?」と図々しく聞く私目。「ああ!! これ!! 役場に置いてあったんだよ」という返事。それからもう一人からの情報あり。季刊「あすか」も丁度出ており、こちらも既に亀ちゃん特集を組んでいるんだと!!! 亀ちゃんモテモテだなあ。この季刊誌、近鉄京都駅の構内に置いてあり、只で配っていたんだと。<要するに置いてあり勝手に持ってきてもいいようになっているの意味> ウーン対応の早い奴っていうのは居るもんだなあ。情報力の差かなあ。

 そうこうしている内に、工事現場の人と、腕に腕章を巻いた一群がやってきました。腕章はよく見えないが、「教育委員会」と書いてある模様。漸くシートを外しそうな雰囲気。「待っていた甲斐があったぞ!!!」 例の亀ちゃんと思しきシートが外された。見物人一同

 期待の「おー!!!」というざわめきが木霊する。ところが一瞬がっかりのためいき。な・何と未だ覆いがあったのであります。一同失笑!!! 今度はシートだけでなく、木枠で覆ってある。これが丸い形を隠していた元凶<?> 道理で上から見ても、解らなかった訳だ。

木枠を外し、その下にあったシートも漸く外し、亀ちゃんの全容<?>が見えたと思いきや、なんと真っ白に塗られている<シリコンを塗ったという説有り>ではないかいな!!! 「???」 そのうち、一人が何と亀ちゃんの丸い形の中に座り込んで、アルミ箔のようなものを張り付け始めました。「これじゃあ、しようがねえなあ」と思いつつ、「まあ写真にでも撮っておけや」ということで、作業の様子を写しておきました。

アルミ箔を張り付けて、その上から、石膏<?>状のものを流し込んで、型を取り、レプリカを作成するんだそうな。それにしても、よく情報を取ってくる奴も居るなあと感心することしきり。そのくらいでないと、来ても空振るぞ!!! 私なんぞは常に行き当たりばったりで、見逃している部分も可成りあるんだろうなあ。

 前にも書きましたが、この「亀ちゃん」の南面が竹林になった小高い丘で、この頂に、例の「酒船石」が巨体<?>を横たえているのです。それと、亀ちゃんとの中間くらいのところに、石で積まれた帯状の「石垣<?>」がある事は既に書きました。この丘の近辺は「石の神殿」伝説が元々あったみたいです。酒船石も本来何の為に使われたか不明だった代物ですが、この亀ちゃんの発見で、なんか分かるのではないかといわれています。亀ちゃんの水取り口と、酒船石は一直線に結ばれるのです。この亀ちゃんの遺跡は、向かって左手に階段状になっていて、何かスタンドの観覧席みたいな形相を呈しています。なにかの神事に使われたのでしょうか? またこの遺跡の東側の博物館の駐車場予定地まで発掘を拡張し、更にこの遺跡の解明に当たるそうです。全容が解明される日が近いかも知れません。

 この工事現場<?>の入り口から、少し下ったところに、古い民家状の建物があり、人が入っていくので、ついて<この野次馬根性が大切?>行ったら、民俗資料館風になっていて、昔の農作業で使われた道具や、生活道具・馬屋などを見ることが出来ました。そこの入場券売場には、亀ちゃんの絵葉書が既に陳列され売られて居ました。発掘直後に、カメラを持って行き、撮影したんだそうです。まあプロではないので、写った状態は、如何にも素人風でしたが、肝心の亀ちゃん、本日は厚化粧<??!!>の為、写真に撮れなかったので、これを購入するということに相成った次第。それにしても、地元の強みだなあ。商売上手や。

 この民俗資料館で、北海道から来たという髭もじゃのお兄さんと、丹後半島の出という中年<失礼>女性と、展示してあった農作業の道具について、一談義。「これ私の実家にもありましたよ!!」・「私の小さな時にも実際これ使っていました」・「これ<とみ>とかそんな名前でしたねえ」・「私も丹後ですが確かそう言っていました」・「私の田舎も長野ですがそう呼んでいましたよ」この最後の発言者が何を隠そう私目で、この場面を正確に報告すると、殆ど私以外の二人の会話に、<聞かれても居ないのに>単に私が割り込んだというのが真相<?>であります。なんとシャシャリ出の厚かましい奴です !!!

 そこを出て、今度は回り道をして、酒船石に再度出て、<前回は黄昏時に間に合わせで写真を撮ったので>改めて写真を撮ろうと思っていたら、既に10人くらい周りにおり、なかなか写真が撮れない状況。「まあ人が切れるのを待つかあ」と思って、ブラブラしていたら、例の北海道から来たというお兄さんと再会。酒船石をバックに記念撮影をしたいというので私が撮ってあげました。しかしいろんなところから明日香に来て居るんだなあ。北海道からなんて大変だなあ。それに較べれば、おいらなんて恵まれて居るぞ!! 来ようと思えば何時でも気軽に来れるし、一回来れば、3万円の「積もり貯金」もできるし、<下ろす事が出来ないのが玉に瑕>、京都に勤務している間に精々いろんなところに行っておこう!!!

 酒船石も無事撮影し、竹林を左手に見ながら、尾根伝いの小道を戻る。途中道端に蜜柑が置いてある。無人交易<確かこんな言い方をしたと思う>とかいうもの?? 200円を竹の筒の中に入れて一袋貰ってくる。風邪気味だから丁度いいや。

それにしても陽気は春爛漫という感じで、寒いといけないと思って、重装備で行ったのですが、セーターを脱いでも全然寒くはありませんでした。

 亀ちゃんの後は、キトラ古墳→文武天皇陵→役場<パンフレットを貰いに行く>、近鉄「明日香駅」<季刊(明日香)を貰いに行く=こちらは近鉄京都駅と違い、200円だった>→JR朝市<ほうれん草や玉ねぎを買った=華<?>の単身赴任者なもんで>→岩屋古墳→牽牛子塚古墳→乾城古墳→貝吹城跡→潅子塚古墳→マルコ山古墳→ 壷阪寺→伍百羅漢→高取城跡と例によって欲張った行程をこなしました。高取城に着いたのは、16:20頃。全くの山の頂で、誰も居らず<そうだよねえ、こんな時間に来る酔狂な奴はおらんぞ!!>心細い思いをしました。山の頂に結構な高さの石垣が何重にも残っていました。それにしてもこんな山の中によくぞこんな大規模なものを作り上げたものだと感心しました。<井戸も7つ程あるとか。2つしか解からなかったが> 車に戻った頃は、もう辺りは真っ暗になっていました。

 一番遠いところが一番最後になってしまったので、帰りは混雑で大変な目に遭いました。

 いま毎週のように「奈良」<そのうち京都にも行く!!>に行って、行動の方が先行しすぎて、「放浪記」の整理が追い付きません。そのうちボチボチやりまんねん!!! この日の古墳巡りは面白かったですねえ。それぞれ特徴があって!!! そのうち、また報告します。

この日は「男の一人旅(?)」とかなり出逢いました。北海道・栃木・それから身元不明<?>の一見大学教授風。「同好の士」どうし。色々教えて貰いました。前述のパンフや季刊誌の情報源は彼らから得ました。中には行く先々でまた出逢ったりして。それぞれ徒歩だったり、自転車だったりするので。

 今日は車で回りましたが、明日香も大分地理的なものは分かってきました。2箇所くらいかな。迷ったのは。迷ったお陰で案内書に載っていないところにも行くことが出来ました。

 「乾城古墳」←<これは誰も訪れる人が居ないのか、入り口に梯子が掛かっていたのですが蔓草が絡まっていました+天井がものすごく高く而もドーム状の古墳だった。思わぬ収穫> や「貝吹城跡」←<すごい山道で行っても行っても辿り着かず、やっと着いたと思ったら、ただ「貝吹城跡」の標識があったのみ>などです。

 それにしても、日の当たる田圃の土手に腰掛けて食べた弁当<CVSで間に合わせに買ったもの>だったけど美味しかったねえ。明日香はゆったりしていて気持ちが癒せるねえ。隣に女の子でも居れば尚よかったけれどねえ。高望みはしてはいけないねえ。はっはっは!!!!! 朝市で野菜など買ちゃってねえ。

いつもながらの、明日香巡りでした。
それでは又。

神岳に登りて山部宿禰赤人の作る歌一首ならびに短歌

 みもろの 神なび山に 五百枝さし しじに生ひたる つがの木の いや継ぎ継ぎに

 玉葛 絶ゆる事なく 在りつつも やまず通はむ  明日香の 旧き都は 山高み 

河とほしろし 春の日は 山し見がほし 秋の夜は 河しさやけし 旦雲に たづは

 乱れ 夕霧に かはづは驟ぐ 見る毎に ねのみし泣かゆ 古へ思えば

反謌

明日香河 川余藤不去 立霧乃 念応過 孤悲爾不有國


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信州 神社仏閣名所旧跡 ぶらり一人旅! 若穂綿内 蓮台寺=九体寺 参拝! [旅]

信州 神社仏閣名所旧跡 ぶらり一人旅! 若穂綿内 蓮台寺=九体寺 参拝!

 信州長野市若穂綿内にある「蓮台寺」は、いわゆる九体寺と言われるお寺です。この阿弥陀仏像を中心にして、左右に4体づつ阿弥陀像が鎮座しております!この中心の像は藤原~鎌倉時代に作られたと推定されており重要文化財に指定されています!九体寺としては、京都の浄瑠璃寺、東京の浄真寺の2寺しか存在しないと言われておりますが、この蓮台寺も立派な九体寺であると思います。小学校の頃須坂からこのお寺まで遠足(文字通り徒歩で往復しました)で来たことがありましたが、九体の仏像がおわすとは全く記憶にありませんでした。浄瑠璃寺も、浄真寺も参拝しましたが、その際不覚にも「この2寺しか九体寺は存在しないという説」を受け入れていました。退職し、郷里に来る機会が多くなりましたが、偶然車を走らせていたら、「蓮台寺」と案内板が目に入ったので、小学校の遠足を思い出し、60年振りに寄ってみました。九体仏を目の当たりにして、「ああ我が郷里の傍に九体寺が存在していたとは!」と誇りに思ったことでした。もっと世の中に知られて良いお寺だと思います!
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まほろばの国 女人高野! 室生寺から仏隆寺に抜ける山道にある西光寺の枝垂れ桜! [旅]

まほろばの国 女人高野! 室生寺から仏隆寺に抜ける山道にある西光寺の枝垂れ桜!

 ある年の「週刊現代」か、「週刊ポスト」のグラビアに、室生寺の奥の小さな西光寺の庭にある1本の枝垂桜の満開の写真が載っていた。

 その時は京都支店に勤務中のときで、室生寺など何回も訪れていたので、櫻の咲く頃には行ってみようと思っていた。室生寺は「女人高野」と呼ばれ、高野山男子禁制だったのを受け、数多くの信仰深い女性を受け入れた寺である。室生寺に参詣する為に向かうルートは4つあって、それぞれに案内寺という寺を伴っている。室生寺に入る橋に至る道をそのまま通り越し、橋本旅館まで行く手前の坂道に右折して入ると、底海道といい、その山道を3・4kmほど行くと、海道の仏降寺と言う名刹に出る。それを知っていたので細い山道だったが車を走らせた。暫く奔っていたら、右側に小さなお寺がポツリとあり、境内の入り口に立派な枝垂桜があった。早速境内に車を乗り入れ一休みする事にした。その時件の「グラビア」が頭を過ぎった。果たして寺の名前は「西光寺」だった。それは小さなお寺だったが、入り口に聳え立っている枝垂桜はお寺の屋根をすっぽり覆い隠すような立派な櫻だった。いつもそうだが、目的地を決めて出掛ける事はあまりないので、こういった偶然に思わぬものに遭遇する場合が多い。季節は櫻の頃ではなかったので、その絶頂期の姿は勿論望めなかったが、それだけに、春先には絶対来ようと心に決めた。

 この峠道の頂上を超え、降り切ったところに、先程の仏降寺がある。このお寺も山の中腹にあり、境内に入るには長い石段を登らなければならぬ。

この上り坂の中程に、ここにも立派な桜の木がある。ここのお寺も前段の西光寺に行った時、山を越えて着いたのではなく、反対側の方から回り込んで、偶然目に飛び込んだ案内板を頼りに辿り着いたのだった。将に山道に入ろうというところに、駐車場があり、そこから斜めに道筋がついた坂を登って行くのである。階段の中ほど右手に樹齢500年といわれる櫻がどっしりと腰を据えている。これも花をつけたらさぞかし綺麗だろうなあと充分予測できる櫻であった。未だ春とはいえ寒さもぶり返す時期だったので、次回を期す事にした。この階段を登りきったところに本堂があり、丁度ご住職の奥様が境内の掃除をしていたのだが、私が入ってきたので、「ご参拝されますか?」と声を掛けてくださった。「はいお願い致します」と答え、本堂に入らせていただいた。
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山形ぶらり一人旅! 注連寺参拝! ご住職につきっきりで案内して戴いた! [旅]

山形ぶらり一人旅! 注連寺参拝! ご住職につきっきりで案内して戴いた!

 さて大日坊を後にして、坂を下っていくと、「注連寺」という案内板が目に入った。最初大日坊の別名なのかなと思ったが、方向が全く異なるような感じなので、兎に角矢印に沿って走ってみた。大日坊とはまた違った山の斜面にそのお寺はあった。外見はそこかしこにあるような全く何処にでも見られるようなお寺だった。「まあ折角来たのだから参拝ぐらいはして行こう」と思い、階段を上がり、お寺の正面に出た。そこには善光寺のご開帳で言うところの「回向柱」が立っており、柱からは、お寺の扉に向かって「善の綱」が伸びている。「あれこのお寺もご開帳なのかな???」と思った。

 さてご本尊の正面に立って、先ず「鈴」を鳴らしたら,脇の扉から、ご住職と思われる方が突然出てこられたので、こっちは少々面食らった。私は、先ずお寺などに立ち寄ると、正面入り口のところや、仁王門、そして、その門を背にして、お堂の正面を先ず写真に取ります。おそらくご住職は、私が階段を上がり切ったあたりで、「(なにやら変てこな親父が朝早くから)入って来たな!!!」と私の姿を認めたに違いない。本堂までかなり時間を要して、辿りついたので、待っていたのかもしれない。こっちは、ただお参りだけして、そのまま退のこうとしていたのに、すっかりペースを乱してしまい、つい「参拝よろしいでしょうか???」と予定<?>外の言葉を口にしてしまった。「どうぞどうぞ」とそりゃ言うわなあ!!! 拝観料を払って、中に入った。

 東北に来て思うことだが、「(単に拝むだけなら)、料金は特に要らないよ」という感じのところが多い。拝観料をお支払いするということは、慈恩寺にせよ、先ほどの大日坊にせよ、(例えこっちが一人でも)お寺の方で、直々についてくれて、いろいろ説明をしていただけるという意味なのだ。京都や奈良では、そもそも敷地の中に入るという意味で、拝観料を取られる。中には何十人か集まるのを待って、お寺の方が付いてくださって、説明をしてくれるところもありますが。東北では全くそういうことはない。第一拝観料を取らないというところが多い。昨日の長谷寺なんかは典型的にそういうお寺で、そもそもお寺の人が端から出ていないのである。拝みたい人は、「お好きなように、御堂の中に入って拝んでください」というやり方なんです。
   
 慈恩寺に行ったときは少々面食らいました。規模の大きなお寺なんですが、囲いというものがありません。山門の横はそのまま空間(塀等がない)になっていて、誰でもそのまま入っていけます。別に参拝受付みたいなものも一切ありません。最初私はその儘山門を入って行っていいのか迷いました。よく見ると本堂の欄干の右脇に机があって、お坊さんが二人座っています。近づいていって、「参拝はどのようにさせていただいたらよろしいのですか?」と聞いたら、「こちらでいいんですよ」という答えだったので、京都方式で、既に境内に入ってしまったが、後付で、参拝料を支払ったような後ろめたさを感じながら、(遅まきの)参拝料を支払った。それで勝手に中に入って、お参りをしようと思っていたら、お坊さんが一人付いてきて、「まあお座りください」というなり、「それでは当寺の縁起からお話いたしましょう」とお話を始めた。「おいおいおい!!!」と思ったが、人懐っこい、東北弁でお話されるので、また目の前には、仏像の数々が並んでおわすので耳を傾けた。それは40分も長きに渡って懇切丁寧に説明いただいた。こっちも浅はかな知識だが、質問などをすると、一々懇切丁寧に答えていただけるので却って恐縮してしまった。まあこれも、参拝客が、京都や奈良のように多くないから出来ることであって、まあ手作りのもてなしですねえ。

 さてこの注連寺も全く同じ形式で、先ずご本尊への参拝から、「当寺は善光寺さんと同じでご開帳・・・・・」から始まって、延々とご説明いただいた。そしてこの坊様の特徴は、こっちに向かって質問をしてくることであります。したがって、話を曲りなりとも、よく聞いておかんと、とっさに答えが出なくなってしまうから、油断<?>出来ないのであります。「ところで仏心はあります???」などと、急に振り向けられるのであります。「なけりゃお寺なんかに来ねえワイ!!!」と思いつつ、「えー!!!まあ」などと分けの解んないあやふやなことしか返事が出来ない自分がもどかしい。

 さてこのお寺は、外見から見るだけでは解らない、いろいろな特徴のあるお寺で、やれ「天井の龍の絵がどうだ。こっちから見るのと、向こうから見るのではこう違う・・・」やれ、「???忘れてしまった」の描いた手のひらの組み方の見え方が全く逆になる・・・云々」と説明の巧みなこと巧みなこと。天井を見たり、襖絵を見せていただいたり、挙句の果ては、お寺の木戸を開け放ち、「一寸来るのが遅すぎた!!!」といいながら、今は緑一色になった、枝垂櫻を説明していただいたり、また反対側の戸をあけて、あそこに見えるのが、「月山!!!」「もう行ってきた???」、「否これから行くとこです!!!」、もうすっかり会話調!!!すっかりお友達気分!

 「出羽三山は初めて???」と仰るから、「今回初めてです!!!」と応えたら、ご本尊の前に座らされて、「出羽三山は、古来から、霊地として、厳しい修行の場であったが、修行半ばで、命を落とした修行者も多かったので、霊に引っ張られるようなこともある」というようなことを言われて、「おいおいおい!!! 大丈夫かいな!!!」と思ってしまった。

 そこで月山や、湯殿山に入る際には、麓の神社仏閣に詣でしっかりと身を清めるのだそうな!このお寺にも即身仏様がおられ、今日は朝一番で、ここ注連寺と、先ほど行った太郎坊と、2体と出会え、お参りできたのは幸運だった!
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京の都一人ぶらり旅! 随心院唐棣<はねず>踊り見聞記! [旅]

京の都一人ぶらり旅! 随心院唐棣<はねず>踊り見聞記!
 
 今日は雨模様でしたが、「唐棣<はねず>踊りは、屋外から屋内に切り替えて行われました。唐棣とはうす紅色のことをいいますが、京の山科小野の、真言宗「善通寺派曼荼羅寺随心院門跡は紅梅の名所としてつとに有名ですが、特にこの寺の紅梅は、唐棣と呼ばれ、古くから親しまれてきました。

 この随心院は、小野小町縁の寺で彼女を慕う深草の少将の百夜通いの話は有名です。少将は誠に悲運と言うか、悲願をこめて、通い続けたにも拘わらず、99日目の大雪の日に、代人を立てたのが運の尽きで、儚い恋に終わってしまったのであります。<98日も頑張ったのだから、幾ら雪でも自分で行くべきでしたなあ。「そんな雪でもよう来て下さいました」なんて感激されてハッピーエンドだったものを!!! 根性が無かったなあ!!!残念!!!>

 その後の小町は、毎年「はねず」の咲く頃、老いの身も忘れたように、里の子供たちと、楽しい日々を過ごしたと言う。

 「はねず踊り」は、この随心院に伝わる、小野小町の伝説を、テーマとしたものであるが、童歌の類の常として、何時頃から歌われ、踊られたかは、定かではないが、今から50年程前に、随心院の「はねず<梅>」が衰え始める頃までは、毎年「はねず」が咲く頃に、里の子達が、家々を回り、門内の庭で、踊っていたのである。随心院の「はねず<紅梅>」が見事に蘇った、昭和48年の春に、「はねず踊り」の復活を願う人たちの、努力に応え、古老の記憶を辿り、50年前の、歌詞・曲・振り付けを蘇らせたのである。

 今日は、11時・13時・15時と三回あったのですが、11時に上演されたものを見ました。地元の京都テレビと、朝日放送が取材していましたので、今日のニュースで放送されると思います。13時からのは、「狂言(土蜘蛛)」がプログラムに入っていて、こちらも見たかったのですが、何せ、屋内なもので、人数が限られ、また11時のを見るために、8時頃から並んでいたとかで、とてもそんな元気が無かったため、次の方たちに譲りました。

 まあ京都の踊りですから、ゆったりした、優雅なものでした。はねず踊りは、小学生が踊りました。神社仏閣巡りも数多く回りましたが、こういう行事を見る機会はあまり無く、随心院は昨年の桜の咲く頃来た事がありますが、また全然趣が違って、充分満足して帰ることが出来ました。

 その後、醍醐寺に行きましたが、枝垂桜が、何本も境内にはあるのですが、一分咲というところでした。蕾も大分膨らみ、この一週間くらいで、櫻の見頃になりそうです。関西は最南端の和歌山では昨日開花宣言が出たそうです。
いよいよ櫻の季節ですね。

唐棣踊り<今様>
 あ~りゃ これ これ これは楽しや 小野のお寺の おどりでござる はねず踊りと申してござる
めでためでたの こりゃせ おどりでござる みんなそろうて さあ おどりはじめじゃ めでたやな
めでたやな
少将さまがござる 深草からでござる 毎夜よさりに 通うてござる 榧の木の実で 九つ十と
日数かぞえて ちょいとかしまみりゃ 今日もてくてく よう お遊びじゃ
少将さまがござる 深草からでござる 雪の夜道を とぼとぼござる 今日でどうやら九十と九夜
百夜まだでも、まあおはいりと あけてびっくり よう おかわりじゃ
少将さまがござる 曼荼羅さんにござる 小野の梅ノ木 はねずでござる 雪が止んだら
もう花付けて、 春やめでたの 鶯なけば 朝の野面で よう お遊びじゃ
小野様でござる 曼荼羅さんにござる 小野のはずねは 紅梅でござる 花はうすべに
九つ十の わらわあつめて 手拍子そろえ はねずおどりに よう おうかれじゃ
あ~りゃ これ これ これは楽しや 小野のお寺の おどりでござる
はねず踊りのかたちでござる めでためでたの こりゃせ おどりでござる みんなそろうて
さあ おどりおさめじゃ めでたやな めでたやな

■ それに付けても、99日目も、根性を見せるべきであった。 成就したならともかく、成就もせず、命まで落として、いくら童歌といえども、子供たちに囃され、踊られちゃあ、立場がおまへん。最も成就し、小町ちゃんと、懇ろになってしまえば、他の男どものジェラシーをかってこんな伝説も世にも残らず、有名にならなかったかも!!! それにしても小町ちゃんも、指折 り数えて<というか榧の実を数えて>待っていた節もあるから、草深の少将も今一つだったね え!!! 惜しかった!!!>




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明日香 ぶらり一人旅! 古墳 巨大な石造物の宝庫だ!   [旅]

 3連休、無為に過ごしてはとお思い、さて何処に行こうかと思いを巡らし、門前払い(遅くなって拝観時間に間に合わなかったことがある!)を喰ってはいけないと、朝早く出るつもりが、結局家の中で、燻って、初日は出掛けずじまい。

お陰で、掃除・洗濯・食器洗いは、しっかりとやり、それなりの意義を見出す。←なにせ華の単身赴任(?!)生活だからねえ!

さて二日目、昨日の二の舞はいかん、兎に角出掛けなくてはと思い、それでも9時になってしまったが、車のキイを入れた。空いているかと思った道路は、あに計らんや、混んでおり、最初から苛つき気味。

1時間20分くらい掛かって、漸く奈良市にはいる。169号線を南下する。「さて今日はどうしようかいな」 今日は取りあえず、明日香に行くことはこの時点で決めていたが、何をするかは全く不明<?> 何時もの事とはいえ、「お気軽、気儘な旅<?>」

そうこうしている内に、柳本というところを通過。道路端に何と古墳が見えるではないか! 思わず車を停め、案内板に走り寄る。「ウーン!!!なになに、上の山古墳??

景行天皇陵!!!」見ればこんもりとした丘。祠が祀ってある。その左手にも古墳が。こちらは、崇神天皇陵だとか? ここら辺は、「大和古墳群」・「柳本古墳群」・「纏向古墳群」と北から南に拡がっており、古墳時代前期「前方後円墳」の宝庫なんだとか。

「おいおい!!また寄り道かい!!」と思いつつ、「まあいっか!!! 別に目的地がある訳じゃなし!!!」 暫く行くと、「日本一大きな鳥居」大神神社<?>ここは通過。

ここらは辺は、そうめんの生産地として有名なところ。題して、「三輪そうめん」

櫻井市の辺りに入ったと思う頃、左手に、安部文殊院の標識あり。曰く「日本三大文殊」

こういうのに極めて弱い。「はてさて他の2大文殊って何処?」と思いつつ、「もし他の文殊に行ったとき、ここに行かなかったら、<揃わなくて>後悔するな」只それだけの理由で参詣と相成った次第。文殊様もさぞかし迷惑な話だ事。ここで印象に残ったことは、境内に、古墳があること。奥文殊とかなんかで、石室の中にお祀りしてありました。後で本で確かめたら、「西古墳」と称される、特別史跡指定のれっきとした古墳だよー!!! 「大化改新以前に、蘇我氏と密接な関係にあった<阿部一族の墓>」と記されている。

そこから更に南下。「石舞台」左折の標識。「この前行ったけどもう一回行くか」と思い、左折。しばらく走ったら、岡寺の駐車場。この前来たときには気が付かずその儘通過してしまったと言うことか? 岡寺の急な坂を登る。岡寺は、正式には「東光山 龍蓋寺」と称し西国三十三所、第七番札所、厄除け観音として有名なところです。日本最大、最古の塑像の如意輪観音様が安置されております。

そこから「石舞台」は極僅かの距離。本日は大変混んでいました。駐車場もやっと確保。今日はカメラを持ってきたので、高台に登り撮影を敢行。石舞台古墳は、言わずと知れた、日本でも最大級の横穴式石室を持ち、<土塁の部分が無くなって>その石室が剥き出しになっている古墳です。蘇我馬子の墓と推定されています。売店で明日香の航空写真マップを購入。この時点で、「よし今日は古墳と巨石群の探索<?>だ」と決定した次第。それにしても、「売店に我が社の商品が並んでいないなあ」とこんな処に来ても商売気が出てしまう。

石舞台は先回も来たので簡単に流し、さっき買ったばかりの、マップを見ながら、車を走らせる。「ウーンなかなか解らんぞ!!!」ぐるぐる回るも埒が明かないので、「まら石」はカット。一寸名前が「意味しん」。この件は後でもう一回出てくるのでお楽しみに。

稲渕と言うところまで出てしまったので、そこから明日香村の中心部に戻る。村立明日香小学校の先に、公民館があり、そこの駐車場にちゃっかり車を停めて、後は地図を頼りに、歩いて回ることにする。何せ車だと小廻りが来かぬ。迷ったら最後大廻りしたり、駐車できるところを探したりで却って疲れてしまう。見ればみんな自転車を乗り廻しておる。ウーンあれが正解かもね。それにしてもみんなツーショット!!!。中年のおっちゃん而も単独<?>なんて他に居ねえぞ!!! テレるなあ。そういえば、何処の観光地に行っても、男一人とか、2・3人連れなんて居ないなあ。おとこ何てえものは、会社の慰安旅行かなんかで酒によってくだを巻いているのが精々か!!! 長生き出来ないやねえ。最も俺も慰安旅行くらいしか行ってなかったけどね。<こんな風にいろいろ行くようになったのは京都に転勤したお陰かねえ>

その駐車場からすぐ側になにやら人だかり。何だと思ったら、探していた、「亀石」 余り簡単に見つかりすぎて、却って拍子抜け。それにしても、民家の隣にこの亀石なるものはあるのです。こんなもの<?>家の隣にあったら迷惑ダッセ!!! 人はやたらに来る。覗かれたりされた日にゃ、プライバシーの侵害なんてもんじゃありません。自販機を4・5台付けただけじゃ元がとれん。この亀ちゃん、眠っているようにも、笑っているようにも見えるのだが、正体不明、何の為のものかも皆目分からないらしい。

マップを見るとこの辺に色々と巨石物があるらしい。地図を便りに歩くことにする。しかし人が多いよなあ。これだけ人が多いと、テレてる必要も無いなあ。アベックのチャリンコにスイスイ抜かれる。しかしだ。歩きの特権は、どんな狭いとこでも行けるんだい!!!

その特権を生かして、田圃の畦道や、狭い路地を通り抜ける。明日香小学校の脇を抜け、正面に、小高い丘が見える。マップをみると、やはり古墳らしい。曰く「天武・持統天皇陵」

ウーン!!! 夫婦合葬かあ!!! 羨ましいなあ。正式名称は、檜隈大内綾<ヒノクマオオウチノミサギ>と申す。南面に拝所が設けられている。天皇陵の特徴は「八角形墳」であるが、今は頭頂部だけが残って居るんだそうな。被葬者が確実になっている数少ない古墳なんだって。「へへーん!!! 詳しいこと知ってんだろう!!!」 実はここには約30名の歴史探究ツア<?>の団体が居りまして、解説者付きだったんですねえ。ここから暫くこの団体の後を着いて行きましたのです。ハイ!!! ずうずうしいって? 違いますよ!!たまたま私の行こう行こうとする方に、団体が先に先に歩いて行っただけですよ!!! 

 まあコースというのがあるみたいなんでそうなったと言うことですが、探す手間が省け、而も解説付きなんで、こっちは大助かり。而も団体のメンバーと、仲間の一人みたいな恰好しちゃってずるい奴。そして行ったのが、「鬼のまないた」。只平べったい石があるだけのものですが、古墳の石室の底部の石だと言うことです。これは丘の中腹にあるのですが、ここから道路一つ隔<下がった>てた畑の中に、この「まないた」の上に被せてあった部分<蓋石>といわれる巨石が転<この表現が適切>がっています。曰く「鬼の雪隠」。 

むかしこの辺りに鬼が居て、旅人が通ると、霧を降らせては捕らまえ、このまないたで料理し食したという。満腹になった鬼が用を足したのが雪隠という言い伝えがあるのだそうな。

さてそこから先に行くと、長閑な田園風景が拡がります。最も明日香自体そう言う雰囲気なんですが。そこからは畑の中に丘状のものが多く見られるのですが、古墳また古墳の連続です。先ず、欽明天皇の祖母の古墳と言われるものがあり、暫く歩くと、明日香で一番規模の大きいと言われる、欽明天皇の陵があります。周りに濠があり水をたたえて居りました。

拝所も立派なものがありました。しかしこの陵は本当のところ誰を祀ってあるか不明なのだそうです。欽明天皇陵は、「丸山古墳」と呼ばれている古墳ではないかとの説もあるそうです。古墳からの出土品が、欽明天皇<570年に没>の時代と合わないのだそうです。

この陵のすぐ脇に、吉備姫王<キビヒメノミコ>の墓=檜隈墓と言うのがあり、そこには、

「猿石」なるものが安置されています。1メートルくらいの石像ですが、4体ありました。

これは元々はここにあったものではないと言うことで、欽明天皇の陵<と言われている陵>の南側にある、水田の中から発見されたものをここに安置したものだそうです。

さてさてここを最後に戻ることにして、<団体さんは更に岩屋山古墳とか牽牛子塚古墳とか行くんだそうな←タフだなあ>少々痛くなった足を引きずりながら、「ただ」で停めている駐車場に進路<?>をとる。それにしてもいい天気だなあ。「こんな田圃道を歩くなんて暫く無かったわい」等と思いながら、日頃の仕事のことなどすっかり忘れて長閑な時を満喫したのでありました。

車を走らせてすぐ、「川原寺跡」に出て、ここも一寸散策しようと思ったが、なにせ駐車するところがおまへん!!! 苦し紛れ<?>に右手を見ると、お寺あり。「もしかして、橘寺?」と思って、坂を上がると、まさしく「橘寺」 ラッキーと思い境内に入りました。

このお寺<正式には仏頭山上宮皇院 橘寺>の一番特筆すべき事は、かの聖徳太子の生誕の地と言われていることです。当時ここに欽明天皇の別宮<橘の宮>があり、同天皇の第4皇子<橘豊日命←後の用明天皇>と穴穂部間人皇女を父母とし、572年にこの地で生まれたと言うことです。五重塔などは焼失し今は礎石が残るのみです。ここには「二面石」と言うものが太子殿の左脇の庭にありました。人の心の「善悪二相」を表したものと言われている。橘寺を出て川原寺跡をも見ようと思ったがやはり車を停めること叶わず、諦めて、石舞台に戻る。

戻ったのは、今日は「巨石」を結構見れたので、先ほど探して<?>だった「まら石」を

「絶対探してやる」という一念でありました。もう既に16時半近くでありましたが、今回は門前払い<?>の心配はないので、今度は車を石舞台の駐車場に入れて歩いて探しました。

マップを頼りに歩いていたら、<あれ程探して見つからなかったのに>公園みたいな所にそれは聳え立って<?>いました。その名の通り、男根神の一種と言われているが、五穀豊穣を願ったものとか言われるが詳細は不明。全長1メートル余り。

そこから仏頭山の石段を上がり、頂上まで行かず、途中右に折れ、展望の開けたところに出ました。そこからは明日香<北側に向けて>を一望できるところで、香具山・耳成山をはじめ、明日香一帯が見えました。そこから遊歩道を下り、石舞台に戻りました。

岡寺に抜ける道をあえて通らず、そのまま下り、右折し、狭い道を遣り過ごすと、「酒船石」の入り口に出ました。もう薄暗くなっていましたが、折角だから行ってみました。この巨石も何の為のものかははっきりしていません。何者かによって割られた跡もあり、竹林の中に無造作に放うり投げ出されているようにひっそりと佇んでいます。

さてさて今日は随分あちこちに行ったぞ!!! まんぞく満足。やはり家の中に燻ってばかりではいかんなあ。今日は一応寒くないように重装備<?>で行ったのですが、とても暖かく汗をびっしょりかいてしまいました。

それにしても、明日香は歴史の宝庫だなあ。まだまだ見るべきものが一杯あるぞ!!! 今日もあてなしの行き当たりばったりの一日だったがなかなか充実した一日になったわい。

「明日香川 川淀さらず 立つ霧の 思い過ぐべき 恋にあらなくに」 山辺赤人

明日香は日本の原点みたいな所ですが、本当にここから歴史が始まったともいえるところで、いろいろ見るべきところが、そこかしこに散らばっており、こりゃあ何回も来ることになるぞと思った次第。いろんな雑誌を買ってきて読んでいるわけですが、読んだ段階の勝手な想像と、実際行ってみるのとでは、やはり大きな違いがありますね。
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まほろばの国 一人ぶらり旅 東大寺・興福寺・法隆寺参拝! 雨もまたよし! [旅]

まほろばの国 一人ぶらり旅 東大寺・興福寺・法隆寺参拝! 雨もまたよし!
【奈良→東大寺・興福寺・法隆寺】

昨日・一昨日と暖かな陽気だったが今日は打って変わって雨模様。気温激変。本日は悪天候を押して奈良へと向かう。

【東大寺】9時半頃着。流石に人影もまばら。車も楽に駐車できた。鹿が出迎えてくれる。

大仏
【興福寺】前駐車に困り、側まで来たが、参拝できないでいた。本日は時間も早いせいか、楽々車を止める事が出来た。博物館は後にして、五重塔を見る。何かどっしりとした重みのある塔である。横幅が広い。上にいっても屋根の幅が変わらないように見える。東寺の五重塔が一番高いと聞いたが、こちらの塔の方が高いようにも思う。東寺の方は、「京都で・・」という但し書きが付くのだろうか? 興福寺は春日公園の中に散在しているという趣だが、

かつての興福寺の境内が奈良公園になっているというのが本当だと思うが、当寺は建物が余り残っていないのもそう思わせる原因かもしれない。今年を期して、金堂などの再建を進めているとの事だった。 堂、三重の塔と見て回り、 金堂の前庭には、旧 金堂の発掘調査中で柱跡などを見る。 東金堂のみが拝観料を払って入る建物だった。

中央には薬師如来、両脇には日光・月光菩薩を従えている。

興福寺から、法隆寺に向かう。昨年11月後半頃に来て、二度目だが、本日は雨。雨の法隆寺もまた良しというところだが、本音は鬱陶しい。何せ、学生時代、雨が降ると、「絶対登校しない男」との異名を付けられたくらい雨が苦手な奴でしたなあ。「あれは傘が無いから来れないのだ」という尾鰭が付きまして、卒業の折り、記念に傘を貰ったという逸話の持ち主。

本日は雨のせいか余り人が居らず、ゆっくりとする事が出来た。山門から、夢殿に抜ける、小道は、両脇に土塀が続き、如何にも落ち着いた風情である。こういうところに日がな一日静寂を求めて、散策するのも、なるほど一興。雨の中法隆寺を後にする。
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京の都 ぶらり一人旅! 長岡京続編と嵯峨野清涼寺「狂言」を見る! [旅]

長岡京続編と嵯峨野清涼寺「狂言」を見る。
 本日のコース。
 阪急にて、長岡天神駅へ。→ 天満宮→乙訓寺→赤根神社→大峰山参拝禊ぎ場→大正寺→南真経寺→向日神社→神崎屋→須田家住居→長岡京大極殿跡・小安殿跡→長岡宮寶憧跡→石塔寺→ 長岡京築地跡→西向日駅→嵐山駅→嵐山→法然寺→清涼寺→嵯峨念仏狂言→清涼寺寺宝特別拝観→慈眩堂→落柿舎→常寂光寺→御髪神社→トロッコ電車嵐山駅→嵐山→阪急嵐山駅
             
      
 本日は過日行った長岡京の続編版と、清涼寺「嵯峨狂言」を見に行く事と、清涼寺の特別寺宝展を見に行くことをきめました。尤も後者二つはハプニング的に行ったのであります。即ち阪急長岡天神駅に降りて、暫く歩きましたら、観光案内所があり、そこで何気なくパンフレットを2・3枚持ってきたのですが、神崎屋というスーパーで、竹の子ご飯を買い込み、大極殿跡の芝生の上で、昼食を摂っていたのですが、その時ふと見た件のパンフレットに、4月の行事予定がカレンダーに書かれていました。「1日は?」と見ると、清涼寺「嵯峨狂言」とあるではありませんか??!! この間の「はねず踊り」は、コンパクトフラッシュが開かずに結局は画像を駄目にしてしまったので「名誉挽回」とばかりに行くことを決めたのでした。
               
 嵯峨狂言は、13:40から、14:40、15:40と三回あったのですが、そんな訳で2回目のを見ました。「愛宕詣」という演目でした。はじめ何処でやっているのか解らないくらいで、「一瞬今日はなしか?」と思ったほどでした。そしたら鐘楼の裏手の目立たないところに、念仏狂言堂というのがあってそこに2百名くらいの人が集まっていました。清涼寺は昨年秋に、例の10人乗りのボンゴを運転して案内したときに、嵐山に駐車場がなく、苦労して探した末の駐車場がこの清涼寺の駐車場で、序に参拝したのがこのお寺でした。誠にひょんな事で知ったのでありました。
                         
 そのときも狂言堂には気が付かず、また豊臣秀頼の首塚なるものもあるのに気が付きませんでした。やはり折をみて、季節を選んで、何回も行くのがいいのであります。寺宝展もホンの偶然で本日見る機会に恵まれたということです。本日ここに来たのも、偶然取ったパンフレットがあればこそです。

 後は嵯峨野界隈を嵐山に向かって適当に歩きました。
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まほろばの国 ぶらり一人旅! 度重なる悲運を克服した法輪寺! ご住職の熱心な説明に聞き入る! [旅]

法輪寺
法輪寺は斑鳩の里でも北方にあって、土地の名に拠って、「三井寺」とも呼ばれています。
三井の地名は古く、聖徳太子が飛鳥の里より、三つの井戸をこの地にお移しになった頃から起こったと伝えられています。

当寺の創建につきまして、一には聖徳太子の御子・山背王がご建立せられたと伝え、「聖徳太子伝暦」並「太子伝補闕記」には、百済開法師・円明師・下氷新物等三人合力して、造寺されたと説いています。

 伽藍配置は、法隆寺式で、昭和25年、石田茂作博士により、発掘調査され、法隆寺西伽藍の三分の二の規模である事が判明し、又出土した鐙瓦の蓮華文、宇瓦の忍冬唐草文までが、法隆寺のそれと酷似しています。

法輪寺が現在のような規模になってしまったのは、江戸時代の正保2年の台風によるものです。伝わるところでは、金堂・講堂・中門・廻廊・食堂等、諸宇、悉く倒壊し、ただ三重目を吹き飛ばされた、三重塔が残ったのみだったとの事です。元文2年、宝祐上人が、復興に着手され、先ず三重塔が修理され、金堂・講堂などが新しく建てられましたが、昭和19年に至り、またしても雷火にて三重塔が焼失してしまいました。

斯くの如き重なる悲運に遭遇致しましたが、昭和の各位のご支援で昭和50年4月再び甦りました。<この時幸田文などが参画した>

ご住職の熱心なご説明に感謝し寺を後にしました!
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まほろばの国 ぶらり一人旅! 恭仁京大極殿と山城国分寺跡に一人立つ! [旅]

恭仁京大極殿と山城国分寺跡

 この場所は天平12年<740>12月15日に、聖武天皇が、「恭仁宮に幸す」と宣言して、平城京<奈良市>から遷都して来た所で「恭仁京」と呼ばれました。聖武天皇が恭仁京に遷都された理由は明らかではありませんが、北に急峻な山地を頂き、南に平野が開けて、その中央を泉川<木津川>がゆったりと流れる瓶原の環境も無視できない重要な要素でした。「万葉集」には、新しき都を称える、歌が収録されています。

  三香の原 布当の野辺を 清みこそ 大宮のところ 定めけらしも <1051>
  咲く花の 色は変わらず ももしきの 大宮人ぞ たち変わりける <1061>

このように新宮を詠んだ歌には、季節によって移ろう景観の美しさや、「泉川」と呼ばれた木津川の清流に心引かれたものが多いようです。

 恭仁京の中心には、天皇の住まいや、国の行政官庁が入っていた恭仁宮が設けられ、宮の中央に国政を司る建物が配されました。そこには平城京から移築された大極殿が聳え立ち、天平の瓦が輝いていたのです。

 現在恭仁小学校の裏にある土墳が恭仁宮大極殿の跡で、昭和51年<1976>京都府教育委員会によって発掘調査が実施されました。

 恭仁京は僅か3年余りの短命な都でしたが、この太極殿はじめ、恭仁宮の中心部は後に、山城国分寺として再利用されました。大極殿<国分寺金堂>跡の東側は、国分寺の鎮守社として祠られていた御霊神社の境内地だったところで、永年地域の氏神として、信仰を集めていた社には、楠・椿が繁茂して、大極殿跡とともに、歴史的な景観を保っています。

 恭仁宮跡の発掘調査は、昭和49年<1974>より、京都府教育委員会によって行われ、平成8年、<1996>には宮域が確定しました。
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みちのく盛岡一人ぶらり旅! 岩手県名の由来・三ッ石神社を参拝する! [旅]

岩手県名の由来・三ッ石神社他 [さんさ踊りは、先ずこの三ッ石神社でさんさ踊りを奉納して開始される!]

 ああ!! 休日は早く過ぎる!!! 日曜日のこの時間帯は「魔の時間<??!!>」だ。明日からは特に最終週!!! 進捗が良くないので辛い週になりそう!!! 毎日遅くなるぞ!!!

 今日は3時ごろに漸く日が差し始め、そうなると、何処かへ行ってみようと相成る。昨日昨日とずっと家の中だったもので、余り時間も無いが、車で出かけてみる。「みちのく通信」も、はじめは先ず岩手県の県名に因んだものにするかあと思い、「大きな岩がある神社が関係あるとか言ってたなあ」と思い、例によって予め調べるでもなく、車を発信させた。

 少しして、「南部家菩提所」聖壽禅寺というプレートが目に入る。こうなると寄ってみるしかないなあと思い左折する。早速寄り道だ! もう4時を回っていたので、[何せ岩手県の由来が本日のメインなもので]足早に見て歩く。ここは岩手城主南部氏の歴代の御墓がある。この隣に、木神山稲荷神社があり、一寸寄ってみた。赤い派手な色の神社だった。さつきが綺麗に咲いていた。

 一週間前に迷って歩いた時、三ッ石なんとかというプレートがあったことを思い出し、大体の見当がついていたので、車を走らせって行ったら、ばっちり、この間迷った場所に出た。そこからはこの前トボトボ歩いているので簡単に行けた。道に迷うのも無駄ではなかったね!!! 少し行ったら、左手に立派なお寺が目に入った。報恩寺である。「五百羅漢」とある。三門が立派である。五百羅漢は後日にして、<実は慌てて来たので財布を忘れたのである>三ッ石神社を目指す。ここから直ぐのところにありそうだ。案内板に沿って、車を走らせる。
               
 この神社は直ぐに分かった。鳥居越しに、巨石が見える。それにしても、お社より、巨石の方が圧倒的に目立つ神社だ。この岩は三つに分かれているが、高さは優に2m以上はある。将に巨石だ。

この巨石には謂れがあり、石碑に刻まれている。この碑も巨石の一部だったらしい。以下その由緒書きからの抜粋。

 岩手の呼び名について、大和物語によれば、平城天皇の御世に、みちのくから、鷹が献上され、帝はこれを岩手と名付けたとあります。しかし俗説によれば、「三ッ石と鬼の手形」の物語が、岩手の地名や、不来方の起源や地名であると言われている。

 伝説によれば、昔この地に「羅刹」という鬼が住んでいて、付近の住民を悩ませ、旅人を脅していたという。そこで人々は、三ッ石神社の神にお祈りをして、鬼を捕らえてもらい、境内にある巨大な三ッ石に縛り付けた。鬼は二度と悪事をしないこと、またこの地には二度と来ないことを誓ったので、三ッ石に手形を押させ逃がしてやったのである。以来この手形の後には苔が生えないといわれている。この岩に手形を押したことが、「岩手」の県名の由来といわれている。また鬼が二度とこの地に戻らないと誓ったことから、この地を「不来方<こずかた>」と呼ぶようになったという言い伝えもある。
          
 鬼の退散を喜んだ住民たちは、幾日も幾日も踊り、神様に感謝の真心を捧げたという。この踊りが名物「さんさ踊り」の起源である。「さんさ」とは、「差し上げ踊り」即ち、お供え物として踊るという意味である。尤もこの起源については、33も流儀があるから「さんさ」であるという説とか、その他いろいろある。

 三ッ石は本々は一つの巨石だったという。長い年月の間に三つに割られ<自然に割れたのか人為的に割ったのか不明>、現在の形になった。昔、「愛宕町・名須川町・三ッ割」の一帯を、「三ッ石野」と称していた。

  三ッ石神社には、「小名彦尊」・「稲荷大明神」を祀っており、増産・縁結び・医療の神として崇められている。

 岩手県の県名の由来になったにしては、余りにも、ヒッソリとした神社でした。

 今日はここが目的であり、もう5時もとっくに過ぎていたので帰路につく。ここから直ぐ右折したところに、松峰山東顕寺というお寺がある。ここも南部家と縁の深いお寺らしい。

 今日は夕方少し日が差したが、暖かくならず、夜は寒いくらいの陽気です。長袖を一枚着足しました。今でこうなら、少し早いが、冬が思いやられる。今日は洗濯をしどうしで、冬物を、仕舞い込んでしまおうと思います。ガラス戸を拭いたら、なんか変だなと思ったら、何とガラスが二重になっているのを発見しました。どうりで戸が重いと思ったよ。やはり冬は寒いんだと改めて思ったね。
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